一言法話

2022-07-11 00:00:00

61.あたりまえ その1

 

癌により32歳の若さで亡くなった医師の井村和清さんの「あたりまえ」という詩を紹介させていただきます。この方の生前の手記は「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」として書籍化され、映画化やドラマ化もされており、ご存じの方も多いかと思います。

あたりまえ 
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう。
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気をむねいっぱいに吸える
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失った人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ

ほんとにそうですよね。私たちは何かにつけ、自分が気に入らないことに愚痴を言ったり、「もっとこうであればいいのに」と不満を言ったりしますが、それに引き換え、様々なことを、あたりまえ、に出来る喜びに浸ったり、日常を、あたりまえ、のように暮らすことのできる有難さを口にすることは、とても少ないのではないでしょうか。井村医師がこの詩の中で言っている通り、こんなこと、あたりまえ、と思っていられる有難さはそのことを失ってみて、やっと気づくことが多いわけです。それでは非常にもったいないことだと思いませんか。
(次回に続く)