一言法話

2021-04-30 00:00:00

18.声なき声

 

北海道のあちらこちらから桜満開の便りが聞こえる今日この頃です。早いもので明日から5月、ちょうど一年の三分の一が過ぎたことになります。私の住まいのすぐ近くに桜並木があるのですが、いつもよりずいぶん早くから咲き誇った桜も今は散る寸前となりました。
日本の中でも北海道は四季の移ろいが特にはっきりしているといわれます。春の桜は一週間もすれば散り始め、すぐに若葉の季節を迎えます。短い夏の暑さもお盆を過ぎるころには、秋風に変わり、散りゆく木の葉は、あっという間に白い雪に覆われます。それぞれの情景の移り変わりにまさしく諸行無常を感じずにはいられません。
あの有名な二宮尊徳は「音もなく 香もなく 常に天地は 書かざる経を 繰り返しつつ」と詠みました。音とはお経の声、香とはお香の香りのことです。つまり、読経の声やお香の香りがなくても、天地(宇宙)には“み教え(お経)”が散りばめられているのだということです。

お大師さまが詠まれた漢詩『遊山慕仙詩』の中に「乾坤は経籍の箱なり」とあります。「乾坤」とは天と地、すなわちこの大自然、ひいては宇宙全体を指します。「乾坤は経籍の箱なり」とはつまり、私たちを取り巻く周りのもの全てに様々な“み教え”が詰まっているのだ、そのみ教えの声なき声に耳を傾けなさい、と。
お大師さまは816年に嵯峨天皇から修禅の道場、そして祈りを捧げる場として人里離れた標高800メートルの高野山を賜りました。高野山は自然があふれ、声なき声に耳を傾けることのできる最適の地であるわけです。

今の世界の状況の中では、安どの日々を送ることは難しいわけですが、時にはじっと心を落ち着けて、声なき声を感じたいものです。