みなさんご存知ですか?
「 賢し人 」
さかし-びと と読みます。
意味は、かしこい人、賢人(けんじん)と言うことですね。
文字 通り
古文を学んでいる方なら、ご存知と思います。
推古紀
「五百いおとせにして乃今いましいま賢さかしひとに遇ふ」
また、しっかり者として
源氏物語 帚木 で
「このさかし人はた、
軽々しきもの怨じすべきにもあらず、
世の道理を思ひとりて恨みざりけり」
【現代語訳】
この賢し女はいかにも
軽々と嫉妬口にする様子もみせず、
男と女の情理をわきまえ知って恨んだりいたしません。
「2023 源氏物語を正しく読むために」より
ここで言う 賢し女(さかしめ):賢く優れた「女子(おなご)」のこと。
もうひとつ
賢し顔(さかしがお):自分でかしこいと思っている顔つき。
では、
賢しら人(さかしら-びと)
意味は、
-
1 そうに振る舞う人。物知りぶること。また、そのさま。かしこだて。
-
2 自ら進んでする人。また、そのさま。
-
3 よけいな を焼く、出しゃばる、おせっかいな人
-
4 さし を言う人。 (ざんげん) 。
[名・形動]《「ら」は接尾語》だけで
賢さの賢人・賢者のように振舞う仕草をする偽り者に変わります。
日本語て、 意味深く
昔の方々は、凄いですね。
なんで、こんな雑学を・・・と、
実は、
十七世紀のスペインの著述家であり、哲学者、修道士、
「バルタザール・グラシアンの賢人の知恵」
を手にし、ウィキペディアで調べていたら、
と言う訳でした。
「成功するための知恵」
自ら運命を切り開く
賢人は、何事にも偶然はないことを知っている。
誰でも幸運を掴む能力は備わっているのだ。
ただし運命にじっと身を任せるよりも、
自ら運命を切り開いていく人になろう。
・・・・
・・・・
それがないことは最大の不運だ。
「バルタザール・グラシアンの賢人の知恵」より一部を引用させていただきました。
このイラストは
創作神楽
『女たちの畠山重忠』&『源実朝に寄せて』
当庵ホームページ「お知らせ」掲載で描いたものです。
加えて、
源頼朝は、鎌倉に三つの大きな寺院を建立しました。
鎌倉三大寺院ですね。
その中の一つ、『永福寺』
建立に携わった畠山重忠
縁合って ご紹介させていただきます。
国指定史跡 永福寺跡(ようふくじあと)
こんな自然の中に寺院が建っていたなんて、
鎌倉市 「二階堂」の由来の地
源頼朝によって建立された永福寺(ようふくじ)の本堂を二階堂と言ったことから
この地を二階堂と呼ぶようになったといわれています。
源義経、藤原泰衡など、頼朝の奥州攻めで亡くなった武将たちの鎮魂のため、
平泉の中尊寺二階大堂を模して建立され、建久5年(1194年)に
二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の山堂が完成しました。
昭和58年〜平成8年の発掘調査結果、
二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂を中心とする
壮大な伽藍や庭園の存在が確認されました。
伽藍の配置は三堂が複廊を介して南北方向に一列に並び、
両側の堂からはL字型の廊が付属し、
中門・釣殿が造られていました。
こうした伽藍配置は他に例を見ないもので、
当時の国内でも有数の規模を持つ寺院でした。
鎌倉幕府から手厚い保護を受けてましが、
応永12年(1405年)に焼失し、以降は再建されませんでした。
鎌倉市の永福寺跡ホームページより
是非、「AR 永福寺」でご覧ください。
また、永福寺跡へ足を運んで頂きまして復元CGでご覧ください。
先日、永福寺跡に観光で来られていた中国の方に
「AR 永福寺」アプリを教えてあげました。
喜んでいただきましたよ!
鎌倉にお住まいの方でも なかなか足を運んでいらっしゃてないようです。
途中で、瑞泉寺〜天園ハイキングコースへ向かわれるんですか〜ね。
岩手県平泉町から寄贈された「中尊寺ハス」
数年後には、鎌倉名所になりますね。
鎌倉三大寺院
二階堂の永福寺(国指定史跡 永福寺跡)と雪ノ下の勝長寿院(勝長寿院跡の碑)
どちらも廃寺
残る大寺院は、鶴岡八幡宮でした。