金継ぎ教室
毎月の第一週 水曜日 am10:00より
まずは、ご見学からでも、
当庵のカレンダーからもご予約申込み出来ます。
金継ぎ(きんつぎ)は、
割れや欠け、ヒビなどの陶磁器の破損部分を漆によって接着し、
金などの金属粉で装飾して仕上げる修復技法である。
金繕い(きんつくろい)とも言う。
金継ぎの歴史
縄文土器にも見られる「破損部を漆で修復した痕跡」
室町時代以降、蒔絵など漆を使う工芸技術と
修理した器もありのまま受け入れる茶道精神の普及により、
金継ぎに芸術的な価値が見出されるようになった。
破片が失われている場合など、
欠損の穴埋めとして異なる器の破片を用いて継ぐことを
「呼び継ぎ」と言います。
修復された器の継ぎ目を景色と呼び、
破損前とは異なる趣を鑑賞することも魅力的です。
鎌倉小町庵より豆知識
朝鮮李朝前期
個人蔵 金沢市
口径 14.5センチ 高台径 4.7センチ 高さ 7.9センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
雄大でさびのある趣は、よく井戸茶碗としてのよさをあらわしている。
「筒井筒」の銘は、もと 筒井順慶 がもっていて、茶碗が深めであり、高台が高いところから
「筒井の筒茶碗」といわれ、この名前が生まれたと伝えられている。
のち 順慶 の命より辰市城城主の井戸氏から 豊臣秀吉 に贈られて秘蔵されていたが、
ある日、秀吉 は 細川幽斎 を招き茶会を模様しました。
その際にこの自慢の井戸茶碗を近侍の小姓が誤って取り落とし、5つに割ってしまった。
激怒した 秀吉 が小姓を手打にしようとしたところ、たまたまその場に居合わせた
機知に富む 幽斎 が、咄嗟に五つに割れた茶碗を見て
「つつゐづつ 五つにわれし 井戸茶碗 とがをば おれが 負ひにけらしな」
と狂歌に詠んで秀吉の機嫌を治しことなきを得ました。
『 伊勢物語 』二十三 筒井つの
「筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見えざるまに」
秘められた意味は、
昔、地方へ出かけて行って生計を立てる仕事をしている人の子供たちが共同で使う井戸のそばで遊んでいたが、おとなになるにつれ男も女も互いに恥ずかしがって一緒に遊ばなくなった。
けれど、男は女を自分の妻にしたいと思い、女もまた男を夫にと思いつづけていた。女の親は他の男と結婚させようとしたが、女はかたくなに拒んだ。
歌は男が女に詠んだ。しばらく会わない間に私もずいぶんと大きくなった。お会いしたいという意味が込められている。
その伊勢物語の有名な歌である「筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」にかけ
「つつゐづつ 五つにわれし 井戸茶碗 とがをば おれが 負ひにけらしな」と詠んだ咄嗟の 幽斎 の機転が、
『 能 』をこよなく愛した 秀吉 の機嫌をたちまち魅了しました。
小姓は一命を取り留めた逸話が残っています。
細川幽斎は古今伝授を受けた歌道の大家で、茶の湯や能にも非常によく通じた武将でした。
昭和60年「石川県の文化財」より
茶道で継いだ茶器を受け入れた瞬間でした。
また、金継ぎされた器を鑑賞する。
それは継師の技と、またその陶器への古き想い出が新たな器となり作品となる。
そして新たな器は、
我が暮らしへ戻り美食を盛るおもてなしの器となる。
古典落語の「井戸の茶碗」でも
有名ですね!!!
◆◆◆ 正直者は救われる ◆◆◆