大将のブログ 冒険小説「らーめんダイバー」
dive54
やっぱりおかしい。ただの疲れじゃないんじゃないか。しばらく店を休んでゆっくりしてもらおう。そう思って王さん家に運び麗華さんに世話を頼んだ。そしてかたずけのために店に帰ろうとしたとき、麗華さんに呼び止められた。
「哥哥说了。快点做给我吃。我期待着你的担担面。」(兄が言っています。早く俺に食べさせてくれ。お前の担々麺を。)
なんだよ王さん、自分の心配しろよ!王さんの気持が私を支える。しっかりしろよ藍生!私が作る担々麺で王さんを呵呵と笑わせるんだよ。46になるおっさんが泣きじゃくりながら走って店に帰る。店に戻った私は、すぐに材料を用意する。日本で働いていた時に作っていた担々麺は、ラーメンの醤油ダレにゴマペーストとお酢を混ぜスープで割り、茹でた麺に青菜そして肉未醤(ルーモージャン)と呼ばれる肉みそを乗せ、辣油をかけるというもの。これは四川料理を日本に広めた陳健民氏が作った日本版担々麺。彼は言った。「私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ」
そう、日本人に合わせた和風四川料理を発表したのだ。今でもエビチリといえばケチャップ、ホイコーローといえばキャベツ、山椒辛くない麻婆豆腐と彼が作ったモノの影響は多大だ。本当のエビチリは辛い醤油味、回鍋肉はキャベツではなくニンニクの葉、しかも炒めた豚肉ではなく茹でた豚肉、「回」という字は中国語で帰る、返すという意味。肉は豚肉のこと。茹でた豚肉を鍋に返すという意味の料理です。味噌も甘味噌ではなく豆豉(ドウチ)という黒豆味噌。しかしここにダブルスタンダードが生まれ、ちゃんとした中華料理を学んだものが混乱する事態を生んだ。フランス料理、イタリア料理は本場さながらが貴ばれるが、中華料理はというと大衆的な和風中華が基準になってしまったため、本場のモノはなかなか受け入れられない。しかし、ならば私はもっと変えてしまおう。変わっていくことは悪ではない。それでこそ、その土地に根差す料理になるのだ。この時代にとっては一足飛びに、未来の、そして異国に渡った担々麺の進化を味わってもらおうじゃないか。そうそれは、担々麺がゴマペーストを表すと勘違いして、ゴマペーストを使っているものを「担々」と言ってしまうという、おかしな人々の中から突然生まれ、そして先祖の実家に帰ってくるように。それこそ、陳健民氏の言う「美味しいウソ」そのものではないか。
私の担々麺は、そんな、ここ四川でも新しく、未来の日本でも斬新で、世界中の人々においしいと言われるようなものを目指そう。そう心に誓い、初号機の製作にかかる。さっきの日本らしい担々麺は、これでも美味しいのだが・・・そうだもっと日本や海外でも好まれるクリーミーな感じに・・・なんか違うなぁ・・・そうだ、ナッツのペーストも入れて・・うん、コクと甘みが増した。ん、でもなんか、ぼんやりするな。このぼんやり感を酢で絞めて、輪郭を際立たせる。うん、方向は間違いない。でもこれ、お酢の種類によってだいぶ変わるな・・・これをもっと・・ううん・・醤油も私の使っていたものとだいぶ違うからなかなかビタッとこないな・・・いやでもこれ・・・そうそう・・こんな感じいいね・・そうゴマとナッツのポタージュみたいな感じ、これこれ、これは食べたことないだろう。でもなんだかこれに普通の肉末醤では合わないな。それにこの濃いポタージュに頼りない青菜ではだめだ。もっちりした麺に対してシャキシャキとした触感、そして味のある野菜、・・・・そうだニラともやし・・でも普通のもやしだと根の臭さが、スープの邪魔になる。うーーーん・・・市場に行って探そう。それから辣油だ。甘い香りの八角や肉桂を足して香る辣油をかけよう。ふと、気づくともう深夜になっていた。外に出て月を眺め、ちょっと気分を変えた。なんだ今日は満月だったのか。今初めて気が付いた。でもなんか妙に赤くて不気味だな。最近月なんて見上げる余裕なかったな。突然ぞわっとして気が付いた。えっ!王さんの症状って、この前の事件の症状に似てやしないか。いやでもそんな、あの人そんな変なもの食べないでしょ。でも・・・やけに,似てるな・・・・
dive55に続く・・・
dive53
私の持論として『料理とは芸術を伴う錬金術である』と考えている。新しいものを作るには、今まであったものを何をどう作っているか理解し、材料に分解し、新たな方法に変えるか、状態を変えるか、はたまたデザインを変えるかという再構築するということに尽きる。また視覚、聴覚、触覚、嗅覚の上に絵画や彫刻では与えられない味覚が上乗せされるうえに健康状態さえ司ることのできる最高の芸術である。例えばチャーハン、ご飯と卵と具材を炒めたものだ。ここで卵を全卵にするも白身だけにするも自由、なくすことも。何の具に変えることも。味付けを変えれば、チキンライスも、どんどん卵の量を増やせばオムライスに、具を別にして餡にすれば餡掛けチャーハン、スープを入れれば雑炊のように。ご飯を揚げれば コーパー(おこげ)。ちょっと具材を変えるだけでもいろんなチャーハンになる、煮豚もあれば叉焼もハムや他の肉も、海鮮も、野菜も、ハーブも。味付けを変えれば、塩味、醤油、牡蠣油、みそ、カレー、ケチャップ、ピリ辛、ニンニクなどいくらでもできる。
今回はこの担々麺を分解しよう。材料は小麦の麺、これも検討しよう、今の麺はうどんに近いの平打ち麺。具はゴマ、落花生、葱、ニラ、豚肉のミンチ。味付けは醤油味に甘味と酸味、そして辣油。この辣油もブレンド次第で香りが変わる。そうだ、全体像を理解しよう。四川料理独特の甘味、辛味、酸味をバランスよく合わせ、食欲をそそを、甘味は脾臓を、辛味は肺臓を、塩味は腎臓を丈夫にする効能があると言われている。酸味は肝臓、胆嚢、目に効き、気血の流れを円滑にするには血液を浄化し、解毒作用があり、血管や皮膚、筋肉を引き締める。辛味は肺、鼻、大腸に作用し体内の濁気を排る。東洋医学において酸味は肝臓を、苦みは心臓出、養分を行き渡らせる。甘味は脾臓、胃、口に作用し食べ物を消化し栄養を吸収し全身に巡らせる。この作用があってこその担々麺。そうだこれを踏まえて再構築しよう。私の経験というフィルターを通して再構築だ。私の時代、そうだ、ラーメンのようなスープだ。しかしこのままスープを足せばゴマとナッツなどの具が乗った醤油ラーメンだ。そんなんじゃ担々麺でなくなる。もっとこう・・・私の時代にもあった担々麺はゴマのペーストを使っていた。しかしそれでは、私の過去にあったもののまねだ。この時代のものともっと融合して・・・・落花生もペーストにして・・・もっと濃厚に。それでもって野菜をたっぷりにして。辣油は辛いだけじゃなく、もっと香る感じのものにして、でもあんまり濃厚にしても・・・そこはお酢で絞めて輪郭をはっきりさせよう。そうだ豚ミンチをうまみたっぷりに炒めて・・・こうやって・・・ああやって・・・
だんだんイメージができてきた。これを試してみよう。楽しみだ。面白くなってきた。そう目を閉じて考えていると、横でドタッと大きな音が、王さんがまた倒れた。
dive54に続く・・・
dive52
すぐに山を下り呵呵に急いだ。準備中の札がかかる扉を開け、あわてて中に入ると王さんは座っていた。あれっ!と思い、王さんに
「不是倒下了吗?身体没问题吗?睡吧。」(倒れたんじゃないの?体は大丈夫?寝ていなさい。)
横には医者もいて、特に異常はない、疲れたんじゃないかと言っている。
「丽华太吵了。对不起让你担心了。」(麗華が騒ぎすぎなんです。心配かけて申し訳ない。)
それでも麗華さんが心配するもんだから、次の日から修練はお休みして呵呵の手伝いに専念するようになった。王さんにあまり負担にならないように、熱い湯の前には私が立ち、麺をあげる。昼休みには練習で私が担々麺を作る。何日か経ち、何回もやってみるがうまくいかない。王さんも教えてくれて、同じようにやる。しかしもう一つ何か足りない感じだ。そしてある日、王さんが言った。
「蓝生!这是我的担担面。你想怎么做就怎么做吧。请做你的担担面。把你至今为止学过的东西全部拿出来。答案就在那里吧。」(藍生!これは私の担々麺です。お前の好きなように作ってみなさい。お前の担々麺を作りなさい。お前の今まで学んできたことをすべて出しなさい。)
私の?私の担々麺?自分の学んできたものをすべて出して?はっとした。胸を突き抜ける槍のような一言だった。そうか、足りないものはそこにあるのか。まねをしているだけではできないモノ、そこにこそすべてがあるのか。自分の学んできたものすべてと言われ、自分を振り返る。あの時か、調理師になるために大阪の調理師学校に行った時か、いや、料理の本を見てはいろいろ作っていたころのことか、いやもっと前だ、土曜日、学校に行く前にタコ焼きの材料を母に買って来てと頼み、半日授業が終わって帰ってきて急いで家族分のたくさんのタコ焼きを一人で焼いてたあの頃か、違う、小学校の時、家庭科で初めての調理実習の時に作った スクランブルエッグを毎週日曜日の朝に作っていた時か、古紙と木っ端や落ち葉を燃やしすぎて炭にした焼き芋か、すべて?私の中の調理のすべて、いや、食べてきたものも考えると記憶に残る食べ物はもっと幼少期から、田舎の土間で大勢で食べたジンギスカン、初めて科学館の帰りに叔母が連れて行ってくれた中日ビルの回転レストランで食べた魔法のランプみたいな銀器に入ってくるカレーライス、生鶉卵がご飯の上にのったのを見て度肝を抜かれた。家で母が作るカレーの時に必ず作るキャベツと人参ときゅうりの塩もみ。総菜屋の友人の家の店でおやつに買った一個25円だったコーンコロッケ。思い出が、自分の生きてきた、いや食べてきた思い出が、大粒の雨の様にこの身に降り注ぐ。一滴一滴、思い出の一つ一つがあたる度に、その背景が弾ける様に現れる。まるで線香花火の様に。そうだ、私の料理は私の生きてきたすべての結晶なのだ。一つ作り、また別の経験を経て新たな結晶を生み出す。
王さんの言葉でさっきまで自分で作っていた担々麺がしらけて見えた。そういえば、私は基本的なことを忘れていた。王さんはこれを作っているときとても楽しそうだったということを。私も楽しめるような一杯、みんなに食べてもらいたいな、これが私の一杯ですと言えるようなものを作ることを。最初からやり直しだ。ジャッキーさん、私も最初からやり直しだ。またもや頭の中で♬クレイジーモンキーが流れ始めていた。
dive53に続く・・・
dive51
藍染めの原料の蓼藍の葉の収穫時期である7月、寺は総動員で刈り取りに当たる。1番刈りを済ませお礼肥えを撒いておくと3番刈りぐらいまでできるという。刈り取った葉は水につけ夏の太陽光に当てると発酵していきそこにアルカリである石灰を加えると生成された藍色素が沈殿していく。上水を捨て残った泥上の藍色素をさらに日に干し切ってサイコロ状にする。藍染め用の藍錠(あいじょう)の出来上がりである。沈殿藍、泥藍ともいうこの方法を使えば年中いつでも染め物ができる。また花の中にできる種には漢方薬にもなり、解毒、解熱の効果がある。寺の収入源の多くを占めるこの作業はキツイ肉体労働だった。刈り取った葉を籠に入れ寺の境内に持っていき甕に水を張ってつける。山から寺への往復、夏の作業は、蒸し風呂のような厨房で毎日働いていた体力自慢の私にとっても重労働だった。終わってからゲラゲラ笑って走り回っている一青を見ていると老化の恐ろしさをつくづく感じる。最近は寺と呵呵の往復でかなり筋力が若いころに戻ったと思っていたのに、スタミナはそうでもないのかと、日本にいた時を思い出し、怠けた生活に反省すらする。しかし、うれしいのは労働後の食事の幸福感が半端ないことだ。やっぱりこれがなくては。ありがたいことに、この寺は寄付も多く食に事欠かない。そんな食事をしていた時、和尚が千道に、明日使いに隣町まで行ってくれと頼んでいた。どうも毎月末日に行っているところらしい。私はもしかして誰かに接触するのではないかと、様子を見守ることにした。このことは、まだ円炎や円静にも話していない。先日、和尚にあの術のことを皆に話していいかと聞いたら、口外してはならないと言われたからだ。説明もできないものを理由に協力をお願いできない。何とか和尚には、呵呵に用事があるということで許可をもらった。
次の日の早朝、寺から下りる山道で千道を待ち伏せた。怪しまれるといけないので籠を背負って、買い出しにでも行くような感じに変装をした。千道が下りてきた。和尚に頼まれたものか、あるいは術の本の写しか、荷物を背負っている。いったい誰に渡すつもりだろう。渡すところを見たら、今度はそいつが何者か探らなければならない。そう思いながら後をつける。街道を歩いていく。人通りが多いうちは目立たないが、あまり近いと気づかれる。町を過ぎるころには目立つので少し遠くから見つめる。今のところだれとも接触はない。峠を過ぎると間もなく隣町に入る。もうすぐお使いに来た問屋に着くというところ、路地から千道の腕を引くものが。あわてて近づき、気づかれないように横目で見ながらゆっくり通り過ぎる。
「师傅・・・」(師匠・・・)
その言葉しか聞き取れなかったが、顔を確認した。顔の右側にやけどの跡と、右目に眼帯をしていた大柄の男、歳は和尚より少し下ぐらいか。少しして千道が出てきた。心なしか背中の荷物が減っているような気がする。男の後をつけようと路地を見たがもう姿はなかった。仕方がないので千道を追う。お使いを済ませた千道の背中に荷物はなくなっていた。帰り道ではだれにも会うことはなかった。寺に帰り、その後数日、千道を見張っていたが、特に動きはなかった。和尚に言うべきか、しかし何の証拠もない。千道が本当にあの本を書き写したということもわからない。聞けば白を切るだろうし、師匠と呼んだあいつも誰だかわからない。そして、もうすぐ月末、今度こそあいつが何者か突き止めなくてはと考えていると、事件は意外なところで起こった。
「蓝生!马上来!哥哥倒下了。」(藍生!すぐ来て!兄さんが倒れたの。)
dive52に続く・・・
dive50
王さんにも相談すると、婚約ということで当面は今のままでいいんじゃないか、ということになった。私も修練があるし、一段落ついたら考えようということになった。なんか気が楽になったのと、知らない土地に身内がいるという安心感も相まって修練に没頭できた。来る日も、来る日も仏の力を借りるための真言と印の繰り返し。和尚の言う通りにやっているのだが何とも・・・和尚が言うには明王をその身に宿すらしい。繰り返し唱える真言に思いを込める。だんだん帰れる気がしなくなってくる。最初のうちは帰る気満々だったが、この時代に暮らすことが長くなると、知り合いもでき、寺の者とも仲良くなり、愛着もわく。遠い実家から働きに出てきた時を思い出す。最初は不安で地元に帰りたい気持ちがあるが、生活に慣れて、仲間もできると、少しずつ忘れていく。そしていずれは帰ることのほうが面倒になっていく。たまにかえって、昔の友人に会っても、今度は出ていった先のほうに早く帰りたくなっていく。若いころから、土地土地を渡って調理の修行を行ってきた私には、あまり場所に対する執着がない。生まれてずっとその土地で暮らせば、風景や仲間、言葉、食べ物に特別な思いがあるだろう。数々の国の料理が食べられる日本で、日本人でありながら中国の料理を毎日作り、食べ、各地で働いて何度も引っ越しをしてきた私にとって、『どこにいる』というのはさほど問題ではないのだ。しかも、海外に越境する勇気がなかったせいか、いざ本場に料理修行に来られている今のほうが楽しく感じることもあるのだ。本当に私は帰りたいのだろうか。あちらに帰ったとして、息子たちや孫にも会えるが、最愛だった妻に会えるわけではないし、また一人になる。だったら麗華さんもいるこちらのほうがいいんじゃないか。帰って、孫に会って、プレゼントを渡し、またこっちに帰ってこられる保証などどこにもない。だいたいそんなにポンポン移動できるならその術を皆が会得するだろう。麗華さんを連れて向こうに帰ったとしたらどうなるだろう、などとまた考えてしまう。結婚というのはどちらかが示した生き方に賛同するかは別として、その人の人生を変えてしまうことなのだとつくづく思った。今が楽しい人たちが、このまま生活を変えたくないから結婚しない、という考え方をするのもわかるような気がする。だから、無理やりでも、えい、やっと変えてしまう力を持ったモノの勢いがないと結婚という地点まで到達できないのだろう。麗華さんが結婚という勢いで私の人生を変えこちらで暮らしていくという道、そして私と一緒に日本に行って現代で暮らすという道、二人が結婚したら、それぞれの目標に向かっていく大きな分かれ道でどちらかを選択しなければならない。私はそんな雑念を振り払うことができず進まぬ修練に少しほっとしているのかもしれない。
そんな修練に励むある日、一青が泣きながら走ってきた。どうしたのか聞くと、千道に叱られたというのだ。千道が写経をしたものを入れておく箱をこっそり開けたところ見つかって叱られたらしい。人のものを無断で開けて叱られる、それは仕方ないが、なんでそんなものを見たぐらいでそんなに怒ったのだろう。何か見られては困るものがあったのか、と思い一青に、何か変わったものが入っていなかったか聞いてみた。すると写経したものでなく、何かの術について書いたものが何冊か入っていたという。一青にはそれが何かはわからないが、それを見ていた一青の手をたたき、烈火のごとく怒ったそうだ。それを聞いてピンときた。千道は和尚の術の本を写していたのだ。そうかそれでこそこそと。しかし、そんなものどうするんだ。あいつに法力なんて使えないだろうし。すると一青は泣きながら、千道はお使いで外へ出るときに必ずあの箱から何かを持っていき、また帰ってくると何かをしまっているから、何かお菓子とか隠してるんじゃないかと思って開けたんだと言った。あれ、外へもっていくってことは誰かに見せているってことか?誰かと繋がっているのか?麺料理に潜る術のことも、石のことも、この寺以外のやつが知っているってことか?そんなことまでして盗み出そうとする者が悪党でないわけがない。とても嫌なきな臭さが漂う。まるで紙に落ちた墨滴が少しずつ染めていく様にじわじわとこの寺に黒くしみ込んでいるようだった。
dive51に続く・・・

