大将のブログ 冒険小説「らーめんダイバー」
dive52
すぐに山を下り呵呵に急いだ。準備中の札がかかる扉を開け、あわてて中に入ると王さんは座っていた。あれっ!と思い、王さんに
「不是倒下了吗?身体没问题吗?睡吧。」(倒れたんじゃないの?体は大丈夫?寝ていなさい。)
横には医者もいて、特に異常はない、疲れたんじゃないかと言っている。
「丽华太吵了。对不起让你担心了。」(麗華が騒ぎすぎなんです。心配かけて申し訳ない。)
それでも麗華さんが心配するもんだから、次の日から修練はお休みして呵呵の手伝いに専念するようになった。王さんにあまり負担にならないように、熱い湯の前には私が立ち、麺をあげる。昼休みには練習で私が担々麺を作る。何日か経ち、何回もやってみるがうまくいかない。王さんも教えてくれて、同じようにやる。しかしもう一つ何か足りない感じだ。そしてある日、王さんが言った。
「蓝生!这是我的担担面。你想怎么做就怎么做吧。请做你的担担面。把你至今为止学过的东西全部拿出来。答案就在那里吧。」(藍生!これは私の担々麺です。お前の好きなように作ってみなさい。お前の担々麺を作りなさい。お前の今まで学んできたことをすべて出しなさい。)
私の?私の担々麺?自分の学んできたものをすべて出して?はっとした。胸を突き抜ける槍のような一言だった。そうか、足りないものはそこにあるのか。まねをしているだけではできないモノ、そこにこそすべてがあるのか。自分の学んできたものすべてと言われ、自分を振り返る。あの時か、調理師になるために大阪の調理師学校に行った時か、いや、料理の本を見てはいろいろ作っていたころのことか、いやもっと前だ、土曜日、学校に行く前にタコ焼きの材料を母に買って来てと頼み、半日授業が終わって帰ってきて急いで家族分のたくさんのタコ焼きを一人で焼いてたあの頃か、違う、小学校の時、家庭科で初めての調理実習の時に作った スクランブルエッグを毎週日曜日の朝に作っていた時か、古紙と木っ端や落ち葉を燃やしすぎて炭にした焼き芋か、すべて?私の中の調理のすべて、いや、食べてきたものも考えると記憶に残る食べ物はもっと幼少期から、田舎の土間で大勢で食べたジンギスカン、初めて科学館の帰りに叔母が連れて行ってくれた中日ビルの回転レストランで食べた魔法のランプみたいな銀器に入ってくるカレーライス、生鶉卵がご飯の上にのったのを見て度肝を抜かれた。家で母が作るカレーの時に必ず作るキャベツと人参ときゅうりの塩もみ。総菜屋の友人の家の店でおやつに買った一個25円だったコーンコロッケ。思い出が、自分の生きてきた、いや食べてきた思い出が、大粒の雨の様にこの身に降り注ぐ。一滴一滴、思い出の一つ一つがあたる度に、その背景が弾ける様に現れる。まるで線香花火の様に。そうだ、私の料理は私の生きてきたすべての結晶なのだ。一つ作り、また別の経験を経て新たな結晶を生み出す。
王さんの言葉でさっきまで自分で作っていた担々麺がしらけて見えた。そういえば、私は基本的なことを忘れていた。王さんはこれを作っているときとても楽しそうだったということを。私も楽しめるような一杯、みんなに食べてもらいたいな、これが私の一杯ですと言えるようなものを作ることを。最初からやり直しだ。ジャッキーさん、私も最初からやり直しだ。またもや頭の中で♬クレイジーモンキーが流れ始めていた。
dive53に続く・・・

