大将のブログ 冒険小説「らーめんダイバー」
dive50
王さんにも相談すると、婚約ということで当面は今のままでいいんじゃないか、ということになった。私も修練があるし、一段落ついたら考えようということになった。なんか気が楽になったのと、知らない土地に身内がいるという安心感も相まって修練に没頭できた。来る日も、来る日も仏の力を借りるための真言と印の繰り返し。和尚の言う通りにやっているのだが何とも・・・和尚が言うには明王をその身に宿すらしい。繰り返し唱える真言に思いを込める。だんだん帰れる気がしなくなってくる。最初のうちは帰る気満々だったが、この時代に暮らすことが長くなると、知り合いもでき、寺の者とも仲良くなり、愛着もわく。遠い実家から働きに出てきた時を思い出す。最初は不安で地元に帰りたい気持ちがあるが、生活に慣れて、仲間もできると、少しずつ忘れていく。そしていずれは帰ることのほうが面倒になっていく。たまにかえって、昔の友人に会っても、今度は出ていった先のほうに早く帰りたくなっていく。若いころから、土地土地を渡って調理の修行を行ってきた私には、あまり場所に対する執着がない。生まれてずっとその土地で暮らせば、風景や仲間、言葉、食べ物に特別な思いがあるだろう。数々の国の料理が食べられる日本で、日本人でありながら中国の料理を毎日作り、食べ、各地で働いて何度も引っ越しをしてきた私にとって、『どこにいる』というのはさほど問題ではないのだ。しかも、海外に越境する勇気がなかったせいか、いざ本場に料理修行に来られている今のほうが楽しく感じることもあるのだ。本当に私は帰りたいのだろうか。あちらに帰ったとして、息子たちや孫にも会えるが、最愛だった妻に会えるわけではないし、また一人になる。だったら麗華さんもいるこちらのほうがいいんじゃないか。帰って、孫に会って、プレゼントを渡し、またこっちに帰ってこられる保証などどこにもない。だいたいそんなにポンポン移動できるならその術を皆が会得するだろう。麗華さんを連れて向こうに帰ったとしたらどうなるだろう、などとまた考えてしまう。結婚というのはどちらかが示した生き方に賛同するかは別として、その人の人生を変えてしまうことなのだとつくづく思った。今が楽しい人たちが、このまま生活を変えたくないから結婚しない、という考え方をするのもわかるような気がする。だから、無理やりでも、えい、やっと変えてしまう力を持ったモノの勢いがないと結婚という地点まで到達できないのだろう。麗華さんが結婚という勢いで私の人生を変えこちらで暮らしていくという道、そして私と一緒に日本に行って現代で暮らすという道、二人が結婚したら、それぞれの目標に向かっていく大きな分かれ道でどちらかを選択しなければならない。私はそんな雑念を振り払うことができず進まぬ修練に少しほっとしているのかもしれない。
そんな修練に励むある日、一青が泣きながら走ってきた。どうしたのか聞くと、千道に叱られたというのだ。千道が写経をしたものを入れておく箱をこっそり開けたところ見つかって叱られたらしい。人のものを無断で開けて叱られる、それは仕方ないが、なんでそんなものを見たぐらいでそんなに怒ったのだろう。何か見られては困るものがあったのか、と思い一青に、何か変わったものが入っていなかったか聞いてみた。すると写経したものでなく、何かの術について書いたものが何冊か入っていたという。一青にはそれが何かはわからないが、それを見ていた一青の手をたたき、烈火のごとく怒ったそうだ。それを聞いてピンときた。千道は和尚の術の本を写していたのだ。そうかそれでこそこそと。しかし、そんなものどうするんだ。あいつに法力なんて使えないだろうし。すると一青は泣きながら、千道はお使いで外へ出るときに必ずあの箱から何かを持っていき、また帰ってくると何かをしまっているから、何かお菓子とか隠してるんじゃないかと思って開けたんだと言った。あれ、外へもっていくってことは誰かに見せているってことか?誰かと繋がっているのか?麺料理に潜る術のことも、石のことも、この寺以外のやつが知っているってことか?そんなことまでして盗み出そうとする者が悪党でないわけがない。とても嫌なきな臭さが漂う。まるで紙に落ちた墨滴が少しずつ染めていく様にじわじわとこの寺に黒くしみ込んでいるようだった。
dive51に続く・・・

