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2020-08-14 20:08:00

dive56

急ぎ山道を登る。いったい何の目的で王さんを狙った。お菓子に細工をしたのか。何を入れた。頭の中で同じような問いがぐるぐる回る。千道一人でできるわけがない。あの術を使える・・・和尚が・・・いや和尚は術は使えても潜れない。じゃあ、だれが・・・あいつかあの眼帯の男か?千道を捕まえて全部白状させよう。しかし、みんなにこの話をするわけにもいかない。まずは和尚に話してそれからだ。山門をくぐり、汗だくで駆け上る。境内に入るが誰もいない。そうだ蓼藍の2番刈りに出ているのだ。しかし、これなら千道に気づかれて逃げられる心配はない。私があいつのしたことを知っているとはまだ気づいていないだろう。早く和尚に話そう、そう思い和尚の部屋に行き、大きな声で呼ぶ。

「怎么了,这么着急。」(どうした、そんなにあわてて。)

のんきな声がする。和尚に分かるようにすべて話す。和尚の顔色がみるみる変わっていく。血の気が引いて、青ざめていく。

「你知道脸颊上有烫伤痕迹的男人吗?戴着眼罩。千道说是师傅」(頬に火傷の跡がある男を知っていますか?眼帯をしている。千道は『師匠』と言っていた。)

その男の話になったとたん、さっきまで青かった顔が烈火のごとく赤くなる。

「你见到那个人了吗?」(お前そいつに遇ったのか?)

私の肩を掴み鬼の形相だ。しかし、私に当たってもしようがないことがわかるとするすると手を放し、へたり込んでしまった。そして少しずつ話し始めた。

「我必须告诉你。」(お前には話さなければなるまい。)

あきらめ顔で思い出しながら話す顔には涙すら浮かんでいる。話を聞くとどうもそいつは和尚の兄弟子で名を行徳と言う法力に長けた僧侶だったそうだ。二人がいたこの寺の先代の和尚龍徳は次の和尚をだれにするか悩んでいた。法力に関していえば兄弟子である行徳のほうが勝っていたが欲深く争いばかりで本来の仏教の教えにそぐわない。一方龍仁は仏道を極め、下の者の面倒見もよく、村の者とも仲が良かった。大きなこの寺のために龍仁を選び、行徳を田舎の小さな寺の住職にした。もちろん最初は納得はしなかったが、破門にされるのを恐れ、いやいや田舎の寺に行った。何とかそちらでも弟子ができ、やっていけるようになってきた。しかし龍仁だけが秘伝の術の教えを受けられることに腹を立て、龍徳に教えを願い出た。しかし受け入れられることはあるはずもなく、またも破門されそうになる。行徳は考えた。どうせ教えてもらえないのならば破門など怖くない。そして龍徳を恨み魔道に落ちた。術を使おうとしても仏は力を貸さず、怪しげな魔物たちが力を貸す代わりに見返りを要求してくる。そしてある晩、大きな力を持つ魔物と契約を交わすときに右目を要求された。それなら仏にも負けぬ力をよこせと願い右目と交換で契約を交わした。それをのぞき見ていた弟子の良徳が恐ろしくなり、龍徳のところへ相談に来た。

「我造了魔王。」(魔王をつくってしまった。)

龍徳はもはや手が付けられないと判断し、いっそ寺ごと燃やしてしまおうと、行徳が寝ている間に火をつけた。しかし、行徳は何とか生き残った。その時の跡があの頬のやけどだ。そしてその寺を廃寺にし残った良徳と千道を引き取った。その後、行徳は一時廃人のように呆けていたが、ある夜、龍徳と良徳を殺してどこかに消えた。龍徳はこうなることを予期していたのか早々に隠居し龍仁に代を譲っておいた。秘伝の経典、術や歴史の書いた書を龍仁に託して。龍仁は部屋でその一部古くなったものを新たに書き写す作業をしていた。その中に今回の石に関するものと、私が教えてもらっている時渡りの術の書があったそうだ。千道は洗脳されているのか、それとも・・・

dive57に続く・・・

2020-08-13 14:36:00

dive55

 月夜が明け、はっとして起きる。どうやら一晩中作っていた私は、テーブルに突っ伏して寝落ちしてしまっていたようだ。昨日は結局、完成しなかったがイメージは固まってきた。すべての食材が喧嘩せず、うまく調和する一杯。主旋律を目立たせるための副旋律をしっかりさせないと全体のバランスが崩れてしまうハーモニーのように。そう調理とはオーケストラの指揮をするようなものだ。この料理はどこを強調し、何をベースにして、アクセントには何を入れるか、そしてどうバランスをとるか。このバランスが難しいからうまいまずいが出てくる。楽譜のように、レシピは同じでも出来上がるものは調理する人によって変わってくる。それが調理師としての技術。技術だけなら習えばできる、しかし、そこから新たなものを生み出すのは経験と特殊な感性。こればかりは天が与える才能だろう。雪山の登山の様に半歩ずれたら滑落してしまうようにちょっとの塩加減、甘味などを間違えれば途端に『うまい』から『まずい』に転落してしまう。どこが正解なのか、自分の考える鍵穴にぴったりとはまるようなものを作るためには、どういう凹凸なのかという設計図である自分のイメージをはっきりさせることが重要である。何度も作っては食べ、いらないところを削り、足りないものを足しという作業を繰り返しているとだんだん正解がどこなのかわからなくなってくる。そんな無限ループのような地獄を抜ける一手は意外なところにあり、見つけるとなんだこんなことかと思えるようなものだったりするものだ。そこに近づくにはいろんな問題を解いてきた経験が必要なのです。そう数学の証明問題のように何度も経験して正解への扉をこじ開ける方法を身に着けることが大事なのです。芸術的なものも理屈だったりするんです。まるで黄金比のように。だから調理師には芸術的な脳と理系的な脳が両方なくてはならないのです。

 だいぶイメージができてきたので食材を探しに市場へ向かう。その途中、王さんの症状がこの間の事件の奥さんの症状に似ていたのでちょっと聞いてみようと思いお見舞いがてら立ち寄った。ちょうど夫婦そろっていたのでどんな具合だったか聞いてみた。奥さんが言うには、特に何をきっかけにというわけではないのだけれども、急に目眩がして意識が遠くなり倒れたそうだ。最初は疲れかと思って横になっていたけどすぐに戻り、普通に生活していたらまた倒れた。2回目になってから頻度が増して寝込むまで5日とかからなかった。意識がなくなるときに何か暗い渦に吸い込まれるような感覚があったそうだ。横になっているときも意識はあって、目を開けようとするのだけどぼんやりして動けないそうだ。旦那さんに聞くと特に熱もなく、寝ているだけのようだったと。それで何かにとりつかれたのかもと思い和尚様に相談したのだそうだ。あれ以来もう何ともないと言う。ちょっと気になったのでその前に何かいつもと違うものを食べてないか聞いてみた。すると、いつも大体なじみの店にしか行かないのだけれど、倒れる二日くらい前に新しく出来た麺料理やにいったぐらいだと。後は友人のお土産で焼き菓子と饅頭を食べたぐらいだという。やっぱりあの店が・・・でも王さんが食べるとは思えないしな・・・色々聞かせてもらってありがとうとお礼を言って王さんのところに急いだ。一度和尚に相談したほうがいいな。でも、もしもあの石に関係する病だとしたら、王さんはいったい何を食べたんだろう。例の店にはいかないだろうし。そんなことを考えているうちに王さんの家に着いた。相変わらず寝ているようだ。麗華さんに聞くと起きたり寝たりの繰り返しだという。そこで最近王さんがいつもと違うものを食べたことはないか尋ねた。すると特にないという。思い当たる節がないなら、と思い市場へ向かおうとすると麗華さんが

「等一下!我想应该没关系,但是我从寺庙那里得到了之前的回礼点心。」(ちょっと待って!関係ないと思うけど、この前のお礼だってお寺の方がお菓子を持ってきました。)

和尚にそんな話は聞いたことないけど、

「诶!谁拿来的?」(え!だれが持ってきたのですか?)

「看,那个,总是粘着和尚大人。千道先生。」(ほら、あの、和尚様にいつもくっついてくる。千道さん)

なにーーーーーー!千道ーーーーー!市場へ行くのはやめだ。和尚に聞きにいかないと。このとき私はまだ重大なことに気づいていなかった。ダイブするのに最も重要なことに。

dive56に続く・・・

 

 

2020-08-12 01:07:00

dive54

 やっぱりおかしい。ただの疲れじゃないんじゃないか。しばらく店を休んでゆっくりしてもらおう。そう思って王さん家に運び麗華さんに世話を頼んだ。そしてかたずけのために店に帰ろうとしたとき、麗華さんに呼び止められた。

「哥哥说了。快点做给我吃。我期待着你的担担面。」(兄が言っています。早く俺に食べさせてくれ。お前の担々麺を。)

なんだよ王さん、自分の心配しろよ!王さんの気持が私を支える。しっかりしろよ藍生!私が作る担々麺で王さんを呵呵と笑わせるんだよ。46になるおっさんが泣きじゃくりながら走って店に帰る。店に戻った私は、すぐに材料を用意する。日本で働いていた時に作っていた担々麺は、ラーメンの醤油ダレにゴマペーストとお酢を混ぜスープで割り、茹でた麺に青菜そして肉未醤(ルーモージャン)と呼ばれる肉みそを乗せ、辣油をかけるというもの。これは四川料理を日本に広めた陳健民氏が作った日本版担々麺。彼は言った。「私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ」

そう、日本人に合わせた和風四川料理を発表したのだ。今でもエビチリといえばケチャップ、ホイコーローといえばキャベツ、山椒辛くない麻婆豆腐と彼が作ったモノの影響は多大だ。本当のエビチリは辛い醤油味、回鍋肉はキャベツではなくニンニクの葉、しかも炒めた豚肉ではなく茹でた豚肉、「回」という字は中国語で帰る、返すという意味。肉は豚肉のこと。茹でた豚肉を鍋に返すという意味の料理です。味噌も甘味噌ではなく豆豉(ドウチ)という黒豆味噌。しかしここにダブルスタンダードが生まれ、ちゃんとした中華料理を学んだものが混乱する事態を生んだ。フランス料理、イタリア料理は本場さながらが貴ばれるが、中華料理はというと大衆的な和風中華が基準になってしまったため、本場のモノはなかなか受け入れられない。しかし、ならば私はもっと変えてしまおう。変わっていくことは悪ではない。それでこそ、その土地に根差す料理になるのだ。この時代にとっては一足飛びに、未来の、そして異国に渡った担々麺の進化を味わってもらおうじゃないか。そうそれは、担々麺がゴマペーストを表すと勘違いして、ゴマペーストを使っているものを「担々」と言ってしまうという、おかしな人々の中から突然生まれ、そして先祖の実家に帰ってくるように。それこそ、陳健民氏の言う「美味しいウソ」そのものではないか。

 私の担々麺は、そんな、ここ四川でも新しく、未来の日本でも斬新で、世界中の人々においしいと言われるようなものを目指そう。そう心に誓い、初号機の製作にかかる。さっきの日本らしい担々麺は、これでも美味しいのだが・・・そうだもっと日本や海外でも好まれるクリーミーな感じに・・・なんか違うなぁ・・・そうだ、ナッツのペーストも入れて・・うん、コクと甘みが増した。ん、でもなんか、ぼんやりするな。このぼんやり感を酢で絞めて、輪郭を際立たせる。うん、方向は間違いない。でもこれ、お酢の種類によってだいぶ変わるな・・・これをもっと・・ううん・・醤油も私の使っていたものとだいぶ違うからなかなかビタッとこないな・・・いやでもこれ・・・そうそう・・こんな感じいいね・・そうゴマとナッツのポタージュみたいな感じ、これこれ、これは食べたことないだろう。でもなんだかこれに普通の肉末醤では合わないな。それにこの濃いポタージュに頼りない青菜ではだめだ。もっちりした麺に対してシャキシャキとした触感、そして味のある野菜、・・・・そうだニラともやし・・でも普通のもやしだと根の臭さが、スープの邪魔になる。うーーーん・・・市場に行って探そう。それから辣油だ。甘い香りの八角や肉桂を足して香る辣油をかけよう。ふと、気づくともう深夜になっていた。外に出て月を眺め、ちょっと気分を変えた。なんだ今日は満月だったのか。今初めて気が付いた。でもなんか妙に赤くて不気味だな。最近月なんて見上げる余裕なかったな。突然ぞわっとして気が付いた。えっ!王さんの症状って、この前の事件の症状に似てやしないか。いやでもそんな、あの人そんな変なもの食べないでしょ。でも・・・やけに,似てるな・・・・

dive55に続く・・・

 

2020-08-11 18:52:00

dive53

  私の持論として『料理とは芸術を伴う錬金術である』と考えている。新しいものを作るには、今まであったものを何をどう作っているか理解し、材料に分解し、新たな方法に変えるか、状態を変えるか、はたまたデザインを変えるかという再構築するということに尽きる。また視覚、聴覚、触覚、嗅覚の上に絵画や彫刻では与えられない味覚が上乗せされるうえに健康状態さえ司ることのできる最高の芸術である。例えばチャーハン、ご飯と卵と具材を炒めたものだ。ここで卵を全卵にするも白身だけにするも自由、なくすことも。何の具に変えることも。味付けを変えれば、チキンライスも、どんどん卵の量を増やせばオムライスに、具を別にして餡にすれば餡掛けチャーハン、スープを入れれば雑炊のように。ご飯を揚げれば コーパー(おこげ)。ちょっと具材を変えるだけでもいろんなチャーハンになる、煮豚もあれば叉焼もハムや他の肉も、海鮮も、野菜も、ハーブも。味付けを変えれば、塩味、醤油、牡蠣油、みそ、カレー、ケチャップ、ピリ辛、ニンニクなどいくらでもできる。

 今回はこの担々麺を分解しよう。材料は小麦の麺、これも検討しよう、今の麺はうどんに近いの平打ち麺。具はゴマ、落花生、葱、ニラ、豚肉のミンチ。味付けは醤油味に甘味と酸味、そして辣油。この辣油もブレンド次第で香りが変わる。そうだ、全体像を理解しよう。四川料理独特の甘味、辛味、酸味をバランスよく合わせ、食欲をそそを、甘味は脾臓を、辛味は肺臓を、塩味は腎臓を丈夫にする効能があると言われている。酸味は肝臓、胆嚢、目に効き、気血の流れを円滑にするには血液を浄化し、解毒作用があり、血管や皮膚、筋肉を引き締める。辛味は肺、鼻、大腸に作用し体内の濁気を排る。東洋医学において酸味は肝臓を、苦みは心臓出、養分を行き渡らせる。甘味は脾臓、胃、口に作用し食べ物を消化し栄養を吸収し全身に巡らせる。この作用があってこその担々麺。そうだこれを踏まえて再構築しよう。私の経験というフィルターを通して再構築だ。私の時代、そうだ、ラーメンのようなスープだ。しかしこのままスープを足せばゴマとナッツなどの具が乗った醤油ラーメンだ。そんなんじゃ担々麺でなくなる。もっとこう・・・私の時代にもあった担々麺はゴマのペーストを使っていた。しかしそれでは、私の過去にあったもののまねだ。この時代のものともっと融合して・・・・落花生もペーストにして・・・もっと濃厚に。それでもって野菜をたっぷりにして。辣油は辛いだけじゃなく、もっと香る感じのものにして、でもあんまり濃厚にしても・・・そこはお酢で絞めて輪郭をはっきりさせよう。そうだ豚ミンチをうまみたっぷりに炒めて・・・こうやって・・・ああやって・・・

 だんだんイメージができてきた。これを試してみよう。楽しみだ。面白くなってきた。そう目を閉じて考えていると、横でドタッと大きな音が、王さんがまた倒れた。

dive54に続く・・・

2020-08-10 14:10:00

dive52

 すぐに山を下り呵呵に急いだ。準備中の札がかかる扉を開け、あわてて中に入ると王さんは座っていた。あれっ!と思い、王さんに

「不是倒下了吗?身体没问题吗?睡吧。」(倒れたんじゃないの?体は大丈夫?寝ていなさい。)

 横には医者もいて、特に異常はない、疲れたんじゃないかと言っている。

「丽华太吵了。对不起让你担心了。」(麗華が騒ぎすぎなんです。心配かけて申し訳ない。)

それでも麗華さんが心配するもんだから、次の日から修練はお休みして呵呵の手伝いに専念するようになった。王さんにあまり負担にならないように、熱い湯の前には私が立ち、麺をあげる。昼休みには練習で私が担々麺を作る。何日か経ち、何回もやってみるがうまくいかない。王さんも教えてくれて、同じようにやる。しかしもう一つ何か足りない感じだ。そしてある日、王さんが言った。

「蓝生!这是我的担担面。你想怎么做就怎么做吧。请做你的担担面。把你至今为止学过的东西全部拿出来。答案就在那里吧。」(藍生!これは私の担々麺です。お前の好きなように作ってみなさい。お前の担々麺を作りなさい。お前の今まで学んできたことをすべて出しなさい。)

 私の?私の担々麺?自分の学んできたものをすべて出して?はっとした。胸を突き抜ける槍のような一言だった。そうか、足りないものはそこにあるのか。まねをしているだけではできないモノ、そこにこそすべてがあるのか。自分の学んできたものすべてと言われ、自分を振り返る。あの時か、調理師になるために大阪の調理師学校に行った時か、いや、料理の本を見てはいろいろ作っていたころのことか、いやもっと前だ、土曜日、学校に行く前にタコ焼きの材料を母に買って来てと頼み、半日授業が終わって帰ってきて急いで家族分のたくさんのタコ焼きを一人で焼いてたあの頃か、違う、小学校の時、家庭科で初めての調理実習の時に作った スクランブルエッグを毎週日曜日の朝に作っていた時か、古紙と木っ端や落ち葉を燃やしすぎて炭にした焼き芋か、すべて?私の中の調理のすべて、いや、食べてきたものも考えると記憶に残る食べ物はもっと幼少期から、田舎の土間で大勢で食べたジンギスカン、初めて科学館の帰りに叔母が連れて行ってくれた中日ビルの回転レストランで食べた魔法のランプみたいな銀器に入ってくるカレーライス、生鶉卵がご飯の上にのったのを見て度肝を抜かれた。家で母が作るカレーの時に必ず作るキャベツと人参ときゅうりの塩もみ。総菜屋の友人の家の店でおやつに買った一個25円だったコーンコロッケ。思い出が、自分の生きてきた、いや食べてきた思い出が、大粒の雨の様にこの身に降り注ぐ。一滴一滴、思い出の一つ一つがあたる度に、その背景が弾ける様に現れる。まるで線香花火の様に。そうだ、私の料理は私の生きてきたすべての結晶なのだ。一つ作り、また別の経験を経て新たな結晶を生み出す。

 王さんの言葉でさっきまで自分で作っていた担々麺がしらけて見えた。そういえば、私は基本的なことを忘れていた。王さんはこれを作っているときとても楽しそうだったということを。私も楽しめるような一杯、みんなに食べてもらいたいな、これが私の一杯ですと言えるようなものを作ることを。最初からやり直しだ。ジャッキーさん、私も最初からやり直しだ。またもや頭の中で♬クレイジーモンキーが流れ始めていた。

dive53に続く・・・

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2024.05.13 Monday