◆終了した講演会◆令和 8年7月25日

 

演題:倭の五王と東国

講師:若狭 徹氏(明治大学 専任教授・群馬県立歴史博物館 特別館長)

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熱中症の警報が出る中、

この酷暑の中を大勢の方々にお集まりいただき、

恐懼に堪えません。

 

日本の考古学の権威でもある若狭徹先生の講演に、

この群馬の高崎市吉井町まで足を運んでくださり、

本当に参加者の方々には、頭が下がります。

 

講演の内容も素晴らしいものでした。

 

■西暦400年から500年にかけて

倭国から当時の中国へ使節団を遣わしています。

413年の倭王「讃」から始まり、

479年の倭王「武」そして

502年の倭王「武」の号を征東将軍に進めるまで、

約100年間にわたり、当時の日本は、中国に使いを遣わしました。

 

■この100年の間、日本は、東アジアとの交流の中で、

一大飛躍を成し遂げます。

●馬生産

●鉄器生産

●須恵器生産

●製塩

 

■倭の五王の時代前半には、

丹後・吉備・上毛野にも巨大古墳が存在し始めます。

大和と同じ古墳設計が採用されています。

また日本の海と川を利用した物流ネットワークも存在します。

 

上毛野では、外交軍事を倭王権から委任され、

代表者を選任し、共立の王を立てます。

これが巨大古墳の建造となります。

各豪族は競って外来先進技術(朝鮮半島の技術)を取り入れ、

朝鮮半島から渡来系の人々を導入招聘します。

これが地域経営の基盤となります。

 

■水利経営拠点として、三ツ寺1遺跡があります。

保渡田古墳群に埋葬された豪族の経営拠点です。

朝鮮半島系の治水技術により、

用水管理を実現しています。

用水では、幅10m、深さ4mの大水路を建造しています。

その用水は、広大な水田へと整備されます。

 

■倭の五王のひとりである雄略天皇、

彼の時代に、保渡田古墳群の成立があります。

雄略期の東国の実力者です。

大和王権に対しても、朝鮮半島に対しても、

相当なコネクションを持った人物です。

井出二子山古墳、八幡塚、、薬師塚を建造しています。

出土品には、数多くの朝鮮半島系のものがあります。

 

最後に、倭の五王と東国に関し、

先生は下記のようにまとめています。

 

1.倭の五王の遣使の目的

 ●朝鮮半島情勢の中で、倭の政治的位置を高める目的

 ●宋の権威を背景に、諸豪族の序列化を企図=卑弥呼も用いた手法

2.珍の属僚13人(将軍)から済の23人(将軍・郡太守)の除授へ

 ●格付けの近い13人から序列化された23人へ

 ●有力豪族は、同盟勢力から属僚へ変質

 ●前方後円墳築造競争の収束=墳長500mから200mへ

3.東国は早い段階から対外活動に参画

 ●ヤマト葛城勢力と上毛野勢力が分担

 ●東国の大型前方後円墳被葬者の共立は、対外活動対応のための

  地域力結集の結果

 ●対外活動従事による渡来人の招聘(これが目的)=地域開発進展

4.外交ルートの確立

 ●5世紀後半以降は、対外活動のルートが確立し、東国にも継続的に

 外来文物が流入(綿貫観音山古墳、埼玉将軍塚古墳)。

 

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聴衆の方々、暑い中、日本全国からお集まりいただき、ありがとうございました。

また熱心にご講演してくださった若狭先生にも感謝/感謝。

 

上毛新聞に掲載されました。

若狭氏新聞記事編集済み.jpg

ー終わりー