◆終了した講演会◆令和 8年5月9日
テーマ 古代馬生産から見た畿内と東国
第一部
演題:畿内における馬の生産と利用
講師:諫早 直人氏(京都府立大学 准教授)
(左 右島和夫先生 右 諫早直人先生)
(講演中の諫早直人先生)
諫早先生、わざわざ京都から来てくださいました。
■ 日本列島には、もともと馬は存在せず、
現代のDNA分析から、日本馬は、朝鮮半島を経由して、
日本へ入ってきた蒙古系の馬が日本在来馬の基礎となったと言います。
■本格的な馬の渡来時期は、
古墳時代中期前葉とみなされ、
蔀屋北遺跡、八尾市佐堂遺跡などの馬遺存体が知られています。
これ以降、時機が下るにつれ、
馬の馬具、馬型埴輪などの出土例が増えていきます。
■牧(馬の大規模生産地)が出現します。
馬関連の考古学的資料の出土する地域と
家畜馬が飼育・利用された地域と同一とみなしたうえで、
家畜馬利用の場と馬生産の場を峻別する必要があるとのことです。
これにより、畿内では、大規模な馬生産と利用が始まります。
河内における牧、7世記には、馬の生産は廃絶します。
ただ讃良地域では、廃絶の後も同一系譜の人たちが継続して居住をつづけます。
河内の馬飼いの伝統は、平安時代まで命脈を保ったとのことです。
■最後に大規模家畜馬生産地の東漸、北漸
古墳時代中期(7世紀後半から)東北地方北部へ
8世紀には東日本内陸部へ+東北地方
そして中近世には、東北地方北から北海道の一部まで
近代には、北海道。
馬に関する貴重なお話、ありがとうございました。
第二部
演題:東国における馬生産の歴史的展開
講師:右島 和夫氏(歴史と文化を学ぶ会 特別顧問)
(講演中の右島和夫先生)
馬はもともと日本にはいませんでした。
朝鮮半島から渡来してきたわけです。
畿内地方の政治権力が、これには、大いに関係しました。
畿内の馬生産からそう遠くなく、
長野県飯田や群馬県西部地域で馬生産が始まります。
平安時代には、馬を朝廷に献上する習わしがあり、
「御牧」が置かれました。
信濃、甲斐、上野、武蔵国に設定されました。
東国内陸部と畿内地域(王権)との関係は、
この馬の生産開始と密接な関係があります。
群馬における古墳の分布をみると、
浅間山、大鶴巻、長者屋敷天王山、白石稲荷山古墳等は、
馬が登場する以前の古墳でありました。
之より後、剣崎天神山、高崎1号、岩野谷57号、経塚古墳は、
烏川、碓氷川上流の山間部へと入ります。
この遡上は、馬生産と密接な関係を有します。
榛名山北東麓の金井遺跡群は、
5世紀なかごろ、馬生産が始まる前までは、
人々の生活痕跡が認められません。
馬生産が始まって、それから、
金井遺跡群の人たちは、この山間部へと入植しました。
黒井峯遺跡があります。
6世紀初頭の大災害(火山噴火)のため、
金井遺跡群の人たちは、当地での復興をあきらめ、
吾妻川対岸の子持山山麓で再起復興を計画しました。
金井遺跡地域からこの黒井峯遺跡地域へと移住したわけです。
この黒井峯遺跡が、また馬生産の一大拠点となりました。
そして黒井峯遺跡から利根川上流まで馬生産は拡大します。
(6世紀前半)
岩下清水古墳群では、2基の小型積石塚方墳が見つかっています。
馬生産に関わる渡来系の人たちの古墳と考えられています。
7世紀には、利根川上流地域で馬の大生産が開始されます。
それに関する多くの遺跡古墳群が見つかっています。
すべてが10m程度の円墳です。
馬具類の副葬がめだっています。
この地域が飛躍的に発展したのは、
馬の生産地であったことが大きく関係しています。
第三部
両講師による対談
まるで師と弟子の関係のような和やかなる対談でした。
両先生、ほんとうにありがとうございました。
両先生の講演が上毛新聞に掲載されました。
ー終わりー





