◆終了した講演会◆令和 8年10月17日

 

演題:「倭国」から「日本国」へ

ー白村江の戦いのインパクトー

講師:田中 史生氏(早稲田大学 文学学術院教授)

 

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(講演中の田中 史生先生)

聴衆R8 10 17.jpg

(聞き入る聴衆)

 

田中先生の講演は、当会では、三回目になります。

いつも講演の内容は、古代史における朝鮮半島と倭国との関係です。

 

今回は、「倭国」から「日本国」へ

ー白村江の戦いのインパクトー

 

内容の要約を書きますと:

618年隋が滅びます。唐がとってかわります。

630年唐は北方の東突厥を滅ぼします。

そして640年には、西域の高昌国を滅ぼし、

一躍、大帝国へと上り詰めます。

 

朝鮮半島は、高句麗、新羅、百済の三国が鼎立しています。

唐の飛躍的な発展で、朝鮮半島にも緊張感が走ります。

 

百済と高句麗は連携し、新羅は孤立します。

新羅は、援軍を唐に求め、唐はそれを受諾。

 

新羅は唐との連携に成功します。

倭国は、当時、全方位外交。あいまいな態度に終始します。

唐の方は、倭国へ新羅に与するよう要請しますが、

倭国の態度は曖昧なままです。

 

新羅は、唐との路線が明確になったことで、

曖昧外交を続ける倭国に対しては対決姿勢を取ります。

 

660年 唐の水軍と新羅の陸軍の前に、百済は降伏。

が、百済の敗残兵は、各地で蜂起し、戦いを続けます。

抵抗軍の鬼室福信は、倭国に使いを派遣します。

 

斉明大王は、福信の要請に応じます。

倭国参戦

663年 白村江にて唐水軍と倭水軍の激突。倭軍の完敗。

 

白村江以後:

倭王権は外交の基軸を失います。

それにともない、国土防衛の強化という方向へ進みます。

軍馬養成、軍事訓練、戦術刷新、水城・山城の設置

 

亡命百済人が大勢やってきます。

倭国の官位を与え、官人化を進めます。

 

新羅は朝鮮半島を統一します。

660年に百済が滅亡、668年には高句麗が滅亡します。

 

701年 倭国はその名称を「日本国」へと改めます。

702年 日本国は唐へ遣唐使を派遣します。33年ぶりの派遣。

唐へ国名「日本国」の改名を伝えますが、

うまく伝わりません。

日本国号の成立以前にも、

「日本」の語が百済をも含みうる地域概念として流通していました。

中国にとっては、日本とは、東夷の日の登る地を漠然とさす語。

唐にとっては不都合な国名ではないのでした。

 

百済を包摂した王権は、中国東方世界(東夷)を取りこむことを理念とする

王朝名として「日本」号を採用。東夷には、新羅をも含むことになります。

 

したがって、唐へ朝貢し、中国中心の国際秩序の中で、

日本が新羅の上位にあることを認めさせます。

 

そして最後に、先生は締めくくります。

中国の東夷世界にあって、これを束ね従える小中華帝国「日本」と。

 

以上が要約です。

田中先生、本当にありがとうございました。

 

ー終わりー