◆終了した講演会◆令和 7年7月26日
第一部
演題:鑑真の渡来に見る8世紀の日本と国際社会
講師:田中 史生氏(早稲田大学文学学術院教授)
気温が37度とか38度になる午後1時30、
多くの人たちにお集まりいただきました。
この日、1時30の開演に間に合うために
高崎駅から上信電鉄に乗り込もうとした人たちにとって、
上信電鉄の駅のパンタグラフが故障して、
電車が動かなくなり、
多くの人たちは、高崎駅からタクシーで、
本会場まで駆けつけてくれました。
このパンタグラフの故障で、昼食も取れず、
そのまま会場へ入り、
田中氏の講演を聞くということになりました。
皆様の熱意には本当に頭が下がります。
埼玉、東京、神奈川その他遠方よりわざわざ高崎駅まで来て、
挙句の果て、電車の故障というハプニングに遭遇し、
この暑さのなかで、本当にご苦労様でした。
田中先生の講演は、鑑真に関する伝記から始まりました。
①「広伝」
②「延暦僧録」
③「唐大和上東征伝」
これらの伝記に関する詳細を語った後は、
鑑真招聘の背景について語りました。
目的は、日本に仏教の戒律をもたらすこと。
このため、
正式な授戒の儀に必要な戒律の専門僧もまた必要となりました。
「東征伝」における
鑑真の渡日を促す呼びかけは、圧巻です。
その呼びかけに誰も答えるものはいません。
日本は遠くして命の危険がある。
仏教も未だ熟していない状態で、
それゆえに、皆、僧は黙して答えるものがいません。
そこで、
鑑真は「これは法事のためなり。
何ぞ身命を惜しまん。諸人去かずんば、
我すなわち去かんのみ。」
こういうことで、もろもろの諸僧も日本へ行くことに同意します。
「和上若し去かば、彦もまた随いて去かん」と。
何度も渡航を試みましたが、
6回目の渡航にしてようやく日本へ到着しました。
日本へ到着したときは、
鑑真の目は見えなくなっていたとのこと。
先生は結論として、
鑑真の一団が日本へ与えた影響は大きなものがあり、
鑑真のもたらした天台宗関連の経典類が、
最澄の天台宗成立へと導いたこと、
いわば日本仏教の基礎が固まったということになります。
最後に、先生は、
「渡来文化の意味は、伝える主体、受容する主体の双方向的関係性の中にある」
と意味深いこと言葉を発して終わっています。
第二部
第二部は、田中先生と当会顧問の右島先生による対談でした。
短い最後の時間でしたが、鑑真のこと、そして朝鮮半島から来た馬のこと、
有意義なお話を伺いました。
田中史生講師資料「鑑真」.pdf (0.69MB)
両先生の対談が、上毛新聞系の「タカタイ」8月1日号に掲載されました。





