◆終了した講演会◆令和 元年 7月 7日

令和 元年 7月 7日(日)

原 雅信先生の「群馬の縄文社会ー縄文土器はこころの器ー」、

ヤマダ電機4階ホールには210名の聴衆が詰めかけました。

 

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先生の講演内容は、6個の章に分かれています。

1.発掘生活41年

2.平成~令和、昭和~平成、大正~昭和

ー改元と遺跡ー

3.教科書の中の縄文時代

ー常識的な縄文観ー

4.縄文時代をめぐるトピック①

ー縄文人登場 ホモ サピエンス日本列島へー

5.縄文時代をめぐるトピック②

ー始まりはいつ? 縄文時代とは?

6.縄文を学ぶ

ー土器・弓矢・縄は縄文人の発明ー

 

大学を23歳で卒業されて、群馬県埋蔵文化財調査事業団へ入り、

遺跡の発掘41年間の思い出を語っていただきました。

 

■鉢かぶり葬

その中で、特に忘れられない思い出があったとのことです。

それは、発掘しているときに、

土の中から大きな土器性の「鉢かぶり」が出現したときです。

よく見ると「鉢かぶり」には穴が穿たれておりました。

発掘をしていたある人から

「この「鉢かぶり」の穴は、この世ではこういう風に開けていて、

あの世へ行けば、「鉢かぶり」の穴は無くなり、完全なものになる」と。

いわばこの世とあの世では、あべこべになっているという説明でした。

「鉢かぶり」に故意に穴を開けるのが、埋葬の一種のやり方でもあったと。

 

若き学徒で、この発掘の世界に入ったばかりの原先生にとって、

この言葉は驚愕的なものでした。

一生涯にわたって、忘れえぬ言葉と遺跡となりました。

 

 群馬の縄文時代

さて、先生の説明によれば、

1950年代から「炭素14年代測定法」が考古学の分野に導入されました。

それまで縄文時代の開始は、約5,000年前と考えられていました。

それが炭素14の導入で、現在では、もっとも古い縄文の遺跡は、

青森県の大平山本I遺跡で、年代測定は16,500年前と推定されています。

 

私たちの群馬県でも、

縄文の草創期、隆起線文土器が前橋徳丸仲田遺跡から発見されています。

 

歴文HP用 徳丸仲田遺跡 縄文-3.jpg

 約12,000年前のものと推定されています。

 (群馬県埋蔵文化財センター蔵)

(写真と図:前橋市教育委員会事務局 文化財保護課 

「赤城山南麓の縄文Part 2」より)

縄文時代の幕開けのころ、

やはり群馬にも縄文人は生活し始めていた痕跡。

 

■ 縄文の文様

縄文は、縄目を付けて土器の表面に施文しました。

縄と言っても、もちろん現代人の考える藁(わら)で作るはずがありません。

未だお米の無い時代ですから。

縄は、シダ類や木々の表皮や山ブドウのツルなどを使ったと推測されています。

つまり植物繊維を束ねて、撚り合わせ、

幾重にも撚り合わせることによって、長さと強度を増やしました。

実用面では、建築、運搬、狩猟、裁縫などの生活上の万能用具として、

また装飾面では、撚る、巻く、結ぶ、組むなどの組み合わせ技術により

「縄技術・縄芸術の極致」として、

日本で独自の進化を遂げました。

 

■ 縄文は右と左の組み合わせ

 

図 右撚り左撚り.jpg 

(原先生 講演会資料より) 

 

縄文 撚り.jpg

 (原先生 講演会資料より) 

 

■ 縄文の基礎知識

  • 土器は調理用の深鍋として登場(直接火にかけられる)
  • 土器以前に使用していた容器(編みカゴ、革袋などの)形状をモデルに制作
  • 以後、各地で  各時期、特徴的な文様が生み出される
  • 文様は、直線・曲線・渦巻・波状・刻み目・列点・コンパスなど
  • 施文具も多様:棒・竹・貝殻・粘土紐・粘土粒・

 (原先生 講演会資料より)

 

先生の言葉によれば、

縄文の人たちは、土器の文様になみなみならぬ思いを込めていたと言います。

命の糧を支える土器、

その命の糧を、土器の表面に文様を刻むことで、デザインすることで、

命の糧の食料が守られるという発想。

味わうべき言葉かと思います。

 

■ 縄文は呪術の時代

当時の人たちにとって、大自然は驚異の連続でした。

超自然的なもので、自分たちではどうすることもできない恐ろしいものでもありました。

 

また一方、大自然からの恵みで、その日の糧を得たり、

美しい感動的な風景を現出させてくれたりで、

大自然に対し、驚愕と同時に畏敬の念もありました。

そんななか、先生の言葉に従えば、呪術は、

「超自然的な力に働きかけ、願望をかなえようとする行為。まじない・

魔法・魔術」を意味するものでした。

 

「土器文様を含め土偶・石棒など代表的な呪術具だ」と言います。

群馬県内の東吾妻町郷原で発掘された「ハート型土偶」は、妊娠・出産に関する、

いわば生命の誕生にかかわる呪術具であったと言います。

 

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(ハート型土偶 複製 群馬県郷原遺跡出土)

 

あちこちの遺跡では、石棒も発掘されています。

また男性の象徴として、生命誕生に関する呪術具でもあります。

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(石棒 出土地不明 浅間縄文ミュージアム蔵・展示)

 

なお、講演の最中、先生は、ハート型土偶とパウル・クレーの抽象絵画作品とを並べて、

原始的抽象性と現代的抽象性を比較もされていました。

 

熱演する先生.JPG

 

(熱演する原先生)

 

■ ホモ サピエンスの登場

ホモサピエンスの登場は、約20万年前と言われてきました。

が、2004年にアフリカのモロッコで30万年前と推定される頭蓋骨が発見され、

ホモサピエンスの登場は約10万年も前に遡ることになってきました。

 

いずれにしても、ホモサピエンスは今から7万年前、

アフリカを出発します。

そして各地の拡散しながら、

日本列島へは4万年前に到着したであろうと推測されています。

 

人類は、アフリカが故郷です。

アフリカに生まれたホモサピエンスが全世界へ拡散しました。

先生の説明では、

そのホモサピエンスが日本へ到着したのは、約4万年前と云われています。

 

■ 私たちは単一種から生まれた兄弟

講演会が終わった後の懇親会の席上で、先生は呟いていました。

「私たちは単一種から生まれました。アフリカの地で。

ですから私たちの祖先の祖先を訪ねれば、アフリカの単一種へと行きつくわけです。

みな血肉を分けた兄弟みたいなものですね。

だから、人間同士が殺し合いをしたりするのは、醜いですね。

他の動物たちは、集団的な殺し合いは一切ありません。」

 

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 (原先生を囲んで)

実を言うと、私たちの会で、

縄文時代のお話は初めてでした。

先生の熱のこもった講演、縄文時代を始めた知った感じです。

これからもご指導よろしくお願い申し上げます。

ー終わりー