◆終了した講演会◆H 31 3 2

綿貫観音山古墳と朝鮮半島

 6世紀後半(古墳時代後期)

 

右島先生の講演は、群馬県高崎市にある綿貫観音山(わたぬきかんのんやま)古墳

に関するものでした。

昭和43年から5回にわたって発掘調査され、多くの出土品(副葬品)がありました。

それら副葬品は、朝鮮半島

(特に南部の百済・新羅・伽耶地域)との深い関係があることが分かっています。

 

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先生は言います、

◆「西の藤ノ木古墳、東の綿貫観音山古墳

6世紀後半という同時代の古墳であり、

またその副葬品がそのままの状態で発見された稀有な古墳でもあります。

 

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(講演会場は240名ほどの大入り満員といった盛況ぶりでした)

 

今回の講演は、副葬品よりもむしろ横穴式石室に焦点を当て、

多くを語っていただくことになりました。

 

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(綿貫観音山古墳)

 

優美な姿の前方後円墳は、全長97m.

後円部の高さは、9.6m.

前方部の高さは、9.4m。

上段と下段の二層の構造になっていて、

後円部墳丘の上段に横穴式石室は作られています。

墳丘の表面は、葺石は全く無く、

石室の開口部から前方部へかけての上段と下段の中間面には、人物埴輪が続いていました。

胡坐をかく男子に容器を差し出す女子、その脇にいる三人の女子、

靫(ゆぎ)を背負う男子三名、さらに盛装した女子等の人物です。

前方部の北西側から北東側には、馬型埴輪が続いていました。

また墳丘の頂上には、家形埴輪や盾や刀、鶏などの埴輪が並べられていました。

 

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 (群馬県立歴史博物館 展示品より)

 

 

観音山古墳入口.JPG

(綿貫観音山古墳 石室入口)

 

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(綿貫観音山古墳 石室内部ー右島先生 講演会発表資料P1からー)

 

いうまでもなく、群馬県最大規模の石室です。

両サイドの壁石は、角閃安山岩が使われています。

先生のレジメによれば、この石室は、

「角閃石安山岩削石積石室」(かくせんせきあんざんがんけずりいしつみせきしつ)

と呼ばれ、6世紀第2四半期の榛名山の噴火で噴出した石であるとのこと。

天井石は、牛臥砂岩で覆われています。

この牛臥砂岩の天井石の最大のものは、22トンの重さです。

 

◆ 石室の朝鮮半島色

先生によれば、

このような特徴をもった石室は、観音山古墳だけにとどまらず、

「周辺地域の有力古墳にも数多く確認することができます。加えて、

それぞれの古墳の副葬品にも観音山古墳と同様に顕著な朝鮮半島色が

見い出せるところです。」

 

先生がその例として挙げるのは

① 前橋市 山王金冠塚古墳

 ここでは新羅製の出字式金銅冠が出ています。

② 高崎市 井出二子山古墳

 副葬品には伽耶・新羅系の最先端の品々が確認されています。

朝鮮半島と上毛野地域との関係は、

5世紀にまでさかのぼり、渡来してきた人たちが、

馬生産に関与した痕跡が残されています。

これらを受け入れたのは、当地域の首長層でした。

③ 前橋市 前二子山古墳

 この石室は、伽耶西部の固城松鶴(こそんそんはくどん)1B号古墳との

直接的関係が指摘されています。

 

さて、このような背景を踏まえて、先生が言うのには、

「観音山古墳をめぐる上記のような考古・歴史的状況を踏まえたとき、

本横穴式石室は、伽耶地域南西部の横穴式石室との類縁性が

強くうかがわれるところです。」

 

◆ 観音山古墳横穴式石室の諸特徴

先生は、その特徴として以下の9か条を挙げています。

 

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(石室構造 -群馬県立歴史博物館 動画画面よりー)

 

観音山古墳石室の主な特徴を整理すると以下の通りである。

① 石室は後円部基壇面上で南西に開口する両袖式

② 壁石材には、FP噴火で噴出した角閃石安山岩を面加工したものを使用する。

  石材は、設置時の背後の面を除く5面を丹念に削り加工している。

③ 玄室プランは、直線から構成される長方形プラン(羽子板形)の単室構造である。

④ 玄室に比べて羨道が大幅に短い。

⑤ 玄室壁体は、両側壁・奥壁とも整然とした多石構成であり、

  横の目地が通る互目積である。

⑥ 袖部の屈曲は天井面にいたるまで明瞭に認められる。

⑦ 天井面は羨道から玄室にかけて段をなさず、連続している。

⑧ 床面は羨道から玄室にかけて一段下がる框構造である。

⑨ 従来の使用石材の限界を遥かに上回る巨石が天井石に使用される。

 

◆ 副葬品

石室が盗掘されなかった稀有な古墳です。

石室の大きな天井石の崩落があり、

それが副葬品をそのままの手つかずの状態にしておくことを可能にしました。

 

そのもっとも有名なものの中に獣帯鏡があります。

百済の武寧王の石室から出土した獣帯鏡と同じ鋳型から作られたものです。

 

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(獣帯鏡ー群馬県立歴史博物館蔵)

 

またこの古墳から出土した「銅製水瓶」は、

遠く古代の中国に同じものがあると云われています。

 

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(銅製水瓶ー群馬県立歴史博物館蔵ー)

 

今回の先生の説明は、主に、出土した馬具に関するものでした。

金銅製透彫杏葉.JPG

金銅製透彫杏葉ー群馬県立歴史博物館蔵ー)

 

金銅製歩揺付飾金具.JPG

金銅製歩揺付飾金具ー群馬県立歴史博物館蔵ー)

 

馬のどこの箇所につけていた装飾品なのか、分かりずらいと思いますので、

下記に馬につける備品の図解を掲げます。

 

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金銅製歩揺付飾金具(こんどうせいほようつきかざりかなぐ)も杏葉(ぎょうよう)、

これらは馬の尻の上あたりに付けるものですね。

両方とも銅の上に金メッキですから、

当時としては、ずいぶんと威厳ときらびやかさを誇ったことでしょう。

 

● 鉄製異形冑(てっせいいぎょうかぶと)

 

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(鉄製異形冑ー群馬県立歴史博物館蔵ー)

 

百済や伽耶で同型品が存在しているとのことです。

一般に「冑」(かぶと)といえば、

上の突出する部分が無いのが普通ですが、

この冑には、まずらしく垂直性の突出があります。

先生は、おそらく「隊長格」の人物が身に着けていたのであろうと、

推測しています。

朝鮮半島に同型品がある以上、

おそらく半島から日本へ舶載されてきたものとみて差し支えないようです。

 

 鉤状鉄製品(こうじょうてつせいひん)

鉄製の細い棒を折り曲げて、

ちょうど四隅に蚊帳を吊る時のように、

壁面の上層部に差し込んで、垂れ幕のようなものをつるしたものです。

 

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先生の講演中の画像からの写しです。

投影された画像では、かなり大きく見えますが、

実物は約10cm位の長さです。

 

では、垂れ幕はどのようなものだったのでしょうか。

幸い、群馬県立歴史博物館には、格好のCG復元画像があります。

 

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(群馬県立歴史博物館 動画画像より)

 

豪華な装飾品に囲まれ、

布製の垂れ幕の中で眠る被葬者像です。

玄室の中の垂れ幕を支えるのが、

鉤状鉄製品(別名 吊手金具)です。

 

◆ 角閃石安山岩削石積石室(かくせんせきあんざんがんけずりいしつみせきしつ)

綿貫観音山古墳の石室は、最初のところで説明したように、

上記のような名称で呼ばれています。

そして先生が説明するには、

この上毛野の地域では、上記のような名称の石室がしばしば見受けられるとのことです。

「総社二子山古墳、不二山古墳、山王金冠塚古墳、阿弥陀古墳、

旧芝根村1号墳、小泉大塚越3号墳、小泉長塚1号墳」

これらはすべて上記の角閃石安山岩削石積石室という石室を共有しています。

石室の共有は、

当時の上毛野の首長たちの「首長連合」の形成を偲ばせます。

 

綿貫観音山古墳と総社二子山古墳を盟主とする上毛野の姿が浮かんできます。

またこれらの石室からは、朝鮮半島、特に新羅系の副葬品が目立ちます。

銅製水瓶などは、

中国の北朝時代の北斉の重要人物の墳墓からの出土品と酷似していると云われています。

 

6世紀後半から7世紀初頭にかけての上毛野地域の古墳の副葬品は、

中国や朝鮮半島との関係性を色濃く偲ばせるものです。

 

◆ 講演会後の懇親会

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 (お疲れになった後は、「歴史と文化を学ぶ会」の人たちと歓談)

 

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 (理事長 結城よりビールをつぐ)

 

右島先生、

感銘深いお話、

二時間以上にわたり、本日の講演、ほんとうにありがとうございました。

ー終わりー