◆終了した講演会◆H 30 9 2
若狭 徹先生
「首長の水の祭りー三ツ寺1遺跡を語るー」の講演会でした。
私たちも待ちに待っていました。
また多くの方々から、この講演会を待っているという声を聞きました。

(三ツ寺遺跡 豪族の館復元模型ー若狭先生のパワーポイント画像よりー)
かつて東海地方に住んでいた人々が、何らかの理由によって、
大挙してここ群馬の井ノ川先端部から太田地方の平原にかけて移住してきました。
井ノ川先端部から太田地方、当時は湿地帯で、米作には適していないところでした。
この地に移住してきて、彼らは、東海地方で培った技術、湿地帯を乾かし、あらたな水利を
敷く技術、この技術をもってして、この地を稲作に適した水田地帯へと変貌させてゆきました。
そこから、多くの技術と労働を調整する統率者が生まれ、
それが上掲の豪族の館へと進展してゆきました。
その技術は、なんといっても、水田のための水利を考える技術でした。
豪族の館自体、水利の便の象徴性を物語る結構になっています。

(三ツ寺遺跡 豪族の館復元模型ー若狭先生のパワーポイント画像よりー)
そして豪族が亡くなると、その墓標兼シンボルとして、
大古墳の造営になったわけです。

(三ツ寺遺跡 豪族の館復元模型ー若狭先生のパワーポイント画像よりー)

(保渡田古墳群 八幡塚古墳 背景は榛名連峰)
榛名山麓からの水を引っ張り、この平地部に大口径の水路を作り、
広大な水田を展開した人々は、当然のこと、水を自分たちの生活の基盤、
いわば自分たちを養う基本中の基本と考え、水を神聖なものとして祀りました。
八幡塚に展示されている埴輪のなかには、水を祭る儀式の埴輪があります。
若狭先生は、これを重要な水の儀式としてとらえています。

(三ツ寺遺跡 豪族の館復元模型ー若狭先生のパワーポイント画像よりー)
◆ 会場も200名を超す大勢の方々でいっぱいでした。


◆ 講演会前の理事長 結城順子との打ち合わせ

◆ 奈良大学学友会の人たちと
今回は、若狭先生は所用で夕食会には出られないため、先生とは、講演会前に、
控室にて質疑応答を行いました。

(正面中央が若狭先生。左手が結城理事長。後ろ4名が奈良大学学友会の方々。)
