◆終了した講演会◆H 29 7 8

平成29年7月8日、ヤマダ電機大ホールは200人を超す聴講者でした。

当会の事務局へは、開講の数日前から、数十人の方から電話での問い合わせがありました。

「群馬県における火山噴火と遺跡」に関し発見当初から調査研究に携わっている右島先生の講演であり、

おおくの人たちの待ちに待った講演会の開催でした。

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金井東裏遺跡

古墳時代の群馬県地域には火山の大噴火がありました。

右島先生の講演会資料より:

「5世紀末ないし6世紀初めの榛名山噴火〈FA:二ツ岳軽石)、

同じく6世紀第2四半期の榛名山噴火(FP:二ツ岳軽石)である。

いずれの噴火も空前の規模であり。対象範囲こそ異なるが、

その噴出物により広域にわたって歴史空間を瞬時に埋め尽くしてしまったところである。中略

 

ということは被災直前の地域社会が、

いずれの噴火の場合も、火山堆積物層下に完全にパックされていることになる。中略

 

渋川市にある「金井東裏遺跡」は、

今からおよそ1500年前の榛名山の噴火に関わる遺跡であり、

現在の地表下約3mまで掘り下げることによって

手に取るように蘇ってきた歴史世界ということができる。」

 

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6世紀初頭の榛名山の噴火で、火砕流が起こり、その直撃で甲をきた男性がうつぶせのまま倒れてしまい、

その甲を着たままの状態で2012年11月に金井東裏遺跡の発掘調査で発見されました。

右島先生の説明では:

「現地での一連の人骨調査を主導し、その後の分析も担当した九州大学の田中良之享受の所見によると、

男性は164cm、40歳代前半とのことである。」

また右島先生は、男性の頭蓋骨の特徴から、明らかに渡来人系統であることも言明されました。

 

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右島先生はまた

「男性が着用していた甲は、小札甲(こざねよろい)と呼ばれている形式で、5世紀後半の時期に、

それまでの短甲(たんこう)から取って替わっていった新式の甲である」とも言っています。

 

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この大腿骨の分析から、この甲を着た男性が、馬に関わる男性であることが判明したそうです。

この男性もまた近くで発見された女性の遺骨も、ともに信州伊那谷の出身であることが、

残された歯の分析から、割り出されています。

伊那谷からこの上州の地まで馬飼人がやってきたと推察されています。

当時、馬の技術は、先進技術の一つで、この男性は、

この村の中で首長ともいうべき地位に就いていたと思われます。

 

この発見場所から400m離れた場所、金井下新田遺跡からは、2頭の馬(仔馬)の遺骸が発見されています。

 

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甲は二つあり、一つは男性が着用していてそのまま倒れた状態のもの。

もう一つ甲は、倒れた男性のすぐそばに放り出された状態でおかれています。

このことから、右島先生は、この男性は、この村の首長でもある関係上、

高価な宝である甲を身に着け、そしてもう一つの甲を手で持って、災厄を避けるため、

安全な処へと避難しようとしているところを火砕流に襲われ、倒れたとみています。

 

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後援会の後は、恒例の懇親会。

13:30-16:30までの3時間近くの講演を終え、

ほっと一息つく右島先生。

講演会の時には見せなかったにこやかな顔が印象的です。

 

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左端から5人目が右島先生。

右先端から先生に挨拶しているのは、奈良大学学友会の小原さん。

恒例の懇親会には、いつも奈良大学学友会の皆様が出席しています。