◆理事長ー歴史の散歩道 2ー

美保神社

「妻木晩田遺跡」を降りて、国道9号線にはいり、

しばらくすると米子です。美保湾が広がります。

米子の皆生温泉の海辺の宿の庭から島根半島の美保神社方面を眺めています。

 

米子皆生温泉の海岸から.JPG

 

これから美保湾をぐるっと半周する感じで、美保神社へと向かいます。

 

神社入口.JPG

 

来てみて初めて知りました。

この神社が、恵比寿様の総本社であることを。

さすがに総本社だけあって、鳥居から右手収蔵館をへて拝殿へと上る道は、

鬱蒼たる緑の木々と相まって、荘厳な雰囲気を醸し出しています。

 

美保神社.JPG

 

拝殿のこけら葺きの屋根からは、午後の陽をうけて蒸気が立ち上り、

なにやら神々しさを立ち昇らせています。

この拝殿が、あの高名な建築家、伊東忠太の設計であることも、今回初めて知りました。

そういえば、橿原神宮や宮崎神宮も彼の設計ですし、

また平安神宮、明治神宮なども他の建築家との共同設計になっていますよね。

またなんと埼玉県日高市にある高麗神社も、彼の設計です。

彼は、辰野金吾に教えを受けた一人です。

辰野金吾といえば、日本の西洋近代建築の草分け的存在で、

東京駅や日銀本店などの西洋風な建物を設計した逸材として知られています。

伊東忠太は、師匠の西洋流の建築には関心が薄く、日本古来の神社の建築に多大の精力を費やしました。

そうして今このような神々しい建物を目の前にしているわけです。

 

虚子.JPG

 

神社からの帰り道、わき道に入ると、高浜虚子の句碑が立っていました。

このあたりは、美保湾からあがるイカが美味しく、数件のお店で、

イカの醤油焼きを売っていました。

虚子もそれを頬張ったとみえ、イカのおいしさを記念して歌った句です。

 

美保の漁港.JPG

 

美保神社前に広がる漁港です。

イカはおそらくここから水揚げされるのでしょう。

のどかな風景でした。

 

高崎のえびす講

恵比寿様の総本社をお参りし、

なにやら気持ちよくなって故郷高崎へと戻ってきてみると、

子供のころ、高崎市内で開かれた「えびす講ー大売出し」を思い出します。

当時の「えびす講」は人と活気にあふれ、

市内の田町や連雀町あたりを歩くと、肩と肩が触れ合うほどの賑わいでした。

高崎の「えびす講」は、私自身、単なる年末の大売出しのうたい文句かキャッチフレーズで、

えびす様信仰とは関係がないのかと思っていました。

が、当会(歴史と文化を学ぶ会)の神保氏に聞くと

「いやいやきちんと島根県の美保神社から勧請して高崎神社に祀ってあります。

不況だった時代、商売の神様でもある恵比寿様を、わざわざ分霊して、

それを機会にえびす講と銘打って、高崎では大売出しを始めたのです。」

なるほど、高崎の大売出しのえびす講も、

きちんとした謂われがあるのだなあ、と認識を新たにしました。

 

えびす講.jpg

 

昭和の時代に出版された「ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和 高崎」(国書刊行会)

を開いていたら、上掲の写真に出あいました。

残念ながら、この写真には、撮影した年代が記載されていません。

正面の芸者さんらしき人三名と周囲の人たちの服装や髪型から、

昭和20年代後半でしょうか。

高崎神社境内にてえびす講の祭典の始まりのようです。

 

さてもう一枚、「えびす講ー大売出し」について、

上記の本の中に当時の大賑わいの様子が写しだされています。

 

 

えびす 大売り出し.jpg

この写真は、昭和30年代でしょうか。

肩と肩がふれあうほどの賑やかさでした。

右上の文言は、この本の編者、田島 武夫さんの注釈であろうと思われます。。

 

「えびす講ー大売出し」は、

現在でも高崎市内で毎年恒例行事として続けられているそうです。