◆理事長ー歴史の散歩道 1ー

妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)

(鳥取県米子市淀江町福岡ならびに同県西迫郡大山町妻木)

ちょうど淀江町と大山町をまたいだところに位置しています。

 

専門家の調査によれば、遺跡から出土する土器を目安にして、

集落として存在したのは、

弥生時代後期の初めから古墳時代前期までの200~250年間と推察している模様です。

(高田健一著「妻木晩田遺跡」)

 

標高が90~150mほどの高地の丘陵地帯にあり、

国内最大級の規模の集落跡や墳丘墓が見つかっています。

現在までの調査結果によれば、その広さは156haとなり、

九州の吉野ケ里遺跡をはるかにしのぐ面積です。

この遺跡からは、日本海(美保湾)が、コンパスでえぐり取られたように広がります

 

美保湾.JPG

美保湾の向こうに広がる半島には、美保の関と美保神社があります。

 

高床倉庫.JPG

妻木晩田の遺跡は、6か所の遺跡ゾーンから成り立っています。

この高床倉庫(復元)は、洞ノ原地区にあたります。

この美保湾を望む地区には、弥生時代特有の四隅突出型の墳丘墓があります。

 

四隅突出型墳墓.JPG

 

四角形の各四隅を引き延ばした墓の形式です。

この写真だとかなりわかりずらいですね。

出雲地方にある本来の四隅突出型は、4m位盛り土をし、縦横40×50m

などという大きな墳丘墓があり(西谷墳墓群)、一目で大豪族か首長層の墓だとわかりますが

ここの四隅突出型は、概して小型のものが多く、首長だけでなく、

一般の人たちも埋葬されているような感じを受けました。

 

DSCN8737.JPG

 

調査の結果では、竪穴住居400基、掘立て柱建物500以上を数えています。

復元された竪穴住居に入ってみました。

竪穴住居内部.JPG

 

内部は意外に広く、ガイドさんが中にある弥生式の土器の説明をしてくれました。

また当遺跡の資料館「やよいの館ー妻木晩田」へも入り、

北九州や朝鮮との交易また北陸地方との交易等が行われ、

この山陰地方の一大交易拠点のような趣を呈している感じがしました。

 

復元された弥生の村.JPG