◆移動研修教室ー遺跡探訪ー2018
現地研修会
9月13日(木)朝8:30、高崎駅ヤマダ電気前に25名が集合しました。
今日一日、群馬県埋蔵文化事業団から始まって北橘資料館、赤城歴史資料館、
そして金井東裏遺跡と黒井峯遺跡の見学です。
9:00、今回の講師を石井克己先生にお願いしました。。
今回はまず手始めに、埋蔵文化事業団で開催されている
「記念展示ー奇跡の発掘 金井東裏遺跡のすべてー」の見学です。
石井克己先生の熱心な説明にみな聞きほれました。
(右端 石井先生)
鎧を着たまま火砕流に埋没した古代人の説明でした。
その後、渋川市の北橘歴史資料館を訪ねました。
この資料館は小高い丘の上にあり、眼下に利根川方面が見渡せる風光明媚なところです。
赤城山麓の台地上に位置していて、その昔、4500年ほど前(縄文時代中期)の集落でした。
ここでは、言うまでもなく、国指定重文の「焼町土器」を見、石井先生より説明を受けました。
現在、この土器は、この資料館から東京国立博物館へ貸し出され、
そしてその後、フランスの日本文化会館へ貸し出されている最中でした。
それでもこのレプリカには相当な迫力があり、見る者を圧倒していました。
縄文人のエネルギッシュな活動と息吹が伝わってきます。
一方、私たち現代人はというと、生命力が相当ダウンしてしまって、
この作品を前にして、縄文と現代の生命力の落差をいやというほど見せつけています。
午前11:30、いよいよ利根川沿いのレストラン「落合簗」へ鮎料理を食べに行きます。
鮎料理も9月一杯までとのことで、
今回の遺跡探訪のプログラムも、この落合簗のプログラムに合わせました。
折角の季節限定の鮎のことですから。
(落合簗は、私たち専用の部屋を準備してくれていました。)
(専用の部屋から見る利根川の清流と背景の榛名山)
昼食の後は、渋川市赤城町にある赤城歴史資料館へと向かいました。
この近くには「滝沢石器時代遺跡」があり、その遺跡からの出土品である大きな石棒が展示されています。
そして石棒の周囲には、その遺跡から発掘されたおおくの縄文土器が並んでいます。
また近くの遺跡からは「勝坂式土器」も出土しています。
(赤城歴史資料館蔵の勝坂式土器)
そして今日のハイライト、黒井峯遺跡へ。
(国立歴史民俗博物館所蔵、群馬歴博展示品の黒井峯遺跡復元模型)
石井先生からの説明の後、全員で記念撮影をしました。
(背景は言うまでもなく榛名山です。)
記念撮影を終えた後は、金井東裏遺跡へと行きました。
1500年の前のこと
道路工事のため、埋め戻されていましたが、
現地では、道路(国道353号金井バイパス)をそのまま作らず、
道路をわざわざ高架橋にして作っていました。
その高架橋の下で、石井先生の説明を聞きました。
榛名山二ツ岳は、ここから8kmの近くにあり、6世紀初め、その火山の噴火の火砕流で、
この村は埋まってしまいました。
火砕流にうずもれた「鎧を着た古墳人」が発見されました。
そして「首飾りの古墳人(女性)」そして乳児と幼児の合計4名が発見されました。
当時の建物、畑、馬の飾り金具なども見つかり、また人の足跡や馬の蹄跡なども見つかりました。
(うずもれていた鎧)(数年前の現地説明会の時の写真です。)