長くなりました、今日はここまで。
PCR検査の予約が済んで、残る優先事項はプールの確保です。何しろ、10日ほど泳いでいません。ワタクシそんなに優れたスイマーではありませんが、それなりに練習してきたので、その感覚を思い出させないといけません。
ホテルのフロントに行って聞くと、近所にあるというのです。いつも旅先でこうしてプールを探すのですが、いままで、近くになかったりして実現したことはありませでした。紙地図に場所を書き込んでもらい、翌朝早く、場所確認に行ってみるつもりです。
翌早朝、行ってみるとその場所にプールらしき建物はありませんでした・・・まあ、よくある話です。(結果的には私の地図の見間違えでした)しょうがなく、三日後の本番までSWIM練習はナシです。
まだ車が少ない、早朝のアルマトイは寒いぐらいです。ホテルの6階の自室に戻ろうとすると、20人ぐらいのインド人選手達が大挙してエレベーターを降りてきました。それも、皆一応にウェットスーツを着ています。
「泳ぎに行くのかい?」と尋ねると、
「ああ、本番のイシム川のコースは、歩いてすぐそこだよ、1kmほどだ」というではありませんか。早朝泳ぎに行くというのは、本番を想定してのことです。私は、急いで自室に戻り、ウェットスーツを持ち、インド人を追いかけました。
なるほど、本番のコースで泳げます。いやぁ、プールを探せなくて正解だったなあ、と妙に納得。
ところが、その川の水が相当、汚いです。相当!
しかしインド人達はワイワイガヤガヤ、楽しそうに川に入ります。川に入る前に、お祈りをしている人もいます。故郷、ガンジスの流れを思い出しているのでしょう。ガンジスの流れよりも相当、綺麗なはずです。
多分、インドからヌルスルタンまで直行便が飛んでいるのでしょう、開催国、カザフスタンの次に出場選手が多いのがインド人でした。
意を決して私も川に入りましたが、足元から泥がふわふわ浮いてきます。そして、強烈な泥臭! マイッタナア・・・
首都のど真ん中を流れるイシム川。大平原国家ですので川の流れは緩やかで、川上に向かって泳いでも、それほど逆流感は感じません。が、やはり臭いが強烈です。勿論、透明度は望むべくもありません。伸ばした腕の指先すら見えません。首都圏は完全に上下水道完備で、イシム川に汚水が流れてくるようなことはないとは思いますが、上流域での生活が首都のそれと同じだとは思えませんから、まあ、それなりに汚れた水も流れてくるのでしょう。水温が思いの外、高いのがびっくりでした。恐れていた低体温症の心配は完全になくなりました。
でもまあ、汚い川でも一度入ってしまえば、5分泳ごうが1時間泳ごうが汚れは一緒。本番会場で泳げる幸せを噛みしめます。噛みしめているうちは良かったのですが、一瞬、誤って「ゴックン」と飲んでしまいました。口の中に残っている分は吐き出しますが、入ってしまった分はもう戻りません。 マイッタナア~
1年で3度も経験した腰のヘルニアを何とか克服して、その後6か月かけて作った体と体力を試すその日が3日後に迫りました。南カザフスタン自転車旅行中はなかなか規則正しい生活と食事ができませんでしたから、残り3日でIRONMAN RACEに耐えうる体を急造しなければなりません。幸い、旅の疲れは残っていません。
今まで1日2食程度しか食べていませんでしたから、3度に増やし、カーボローディングを始めます。3度食べるのは良いのですが、それがどうも順調に消化されていません。腸の付近で何やら渋滞気味です。こうなると、無理をして食べても良いことはありません。腸の状態が良くなるまで様子を見ます。すなわち、食べないことです。ところが今度は下痢が始まりました。それほど深刻な下痢ではありませんが、まあ食べたものが消化吸収されないまま出ますから、体力がつきません。食べなければ、体力がつきませんし、食べれば下痢。困った事態です。
IRONMAN RACEは体調不良のまま出場して完走できるほど簡単なレースではありません。
知らない方のために説明しますと、SWIMが3.8km BIKEが180km RUNが42.2kmの競技です。
結局、レース前日に食べたものはホテルの朝食のみです。そして、レース当日の朝、ラザニアをほんの一切れ。相当、きついレースが予想されます。しかし、カザフ自転車旅行中も、あまりろくなものも喰わずに毎日200kmほど自転車で走ってましたから、そこそこは行けるはずです。
おっと、その前に、PCR検査を受けなければなりません。帰国できなくなります。レース前日の午後8:00に予約していました。
その日も、あのいまいましい女性が座っていました。つけまつ毛の反り具合がハンパないです。彼女は透明のアクリル板の向こうに座って業務をし、私は向かいに立ったまま話をしますから、その反り返ったつけまつ毛を上から見下ろす感じになります。
2日前にあれだけ、すったもんだと英語とロシア語でやり取りしたのに、「はい、今日は何の御用ですか?」と初めて会ったかのような対応です。こんチクショウ!
「8:00pmに予約しています」というと「あ~、そうでした」といった態度。何やら、コンピューターに打ち込み、紙切れをアクリル板の隙間から私に差し出しました。「?」で、どうすりゃいいの? 次はどこに行けばいいの?おい、なんか言えよ!
すると彼女、いつまでそこに突っ立っている訳?といった態度で私を見ます。そして、腕を伸ばし、後方にあるらしい部屋を無言で指差し、あっちだよ!的な態度です。このいわれのない不愉快な対応は何でしょう。下痢になりそうです。
PCR検査をやってくれたおばさんは極めて親切で、迅速な仕事ぶりでした。「結果は月曜日に出ますから~」(多分)といってくれました。そのまま、ホテルに帰って即、寝ました。多分、4時間ぐらいは寝られたと思います。レース前日はいつもそんなもんです。
下痢は続いています。レース中に腹筋に力を入れたりすると想像を絶する大惨事になりますから、相当、気を使いそうです。レース中、おしっこを垂れ流しすることはありますが、ウンチはそうはいきません。自分だけでなく他人に不快な思いをさせます。ホテルでなるべく出せるものは出してきましたが、まだ心配です。水泳の競技中はトイレはありませから、我慢します。BIKEとRUNになると、ところどころにトイレが設けてありますから、何とかそれで対応したいと思っています。どうせ体調不良ですから、レース中に摂取する補給食は持って行っても無駄だろうと思っていましたので、バナナ2本と日本から秘密裏に持ち込んだ羊羹少々だけを携帯することにしましたが、結局これすらも完食しませんでした。
そんな訳ですから、いつも本番直前で感じる緊張感も感じることなく、タダ体調の心配が募るばかりでした。
いよいよ3年振りの、IRONMAN RACEが始まります。昨日は10回ほどウンチをしましたが。その後はそれほど酷い下痢はなくなりました。完走を目指す戦いになるでしょう。
長い一日が始まります。
習近平さん、昨日はヌルスルタンでラグマンでも食べたのかな?そして今日はプーチンさんとサマルカンドで、昼食にサモサかな?
という訳で、いよいよカザフスタンに来た本当の目的を果たす時がやってきました。が、謎の下痢は続いています。
号砲一発!スタートします。が、一斉スタートではないので皆のんびりです。濁って、悪臭を放つイシム川に恐る恐る飛び込み、泳ぎだします。やってやるぜ~という感じにはなりません。誤って、水を飲むことがないように慎重に泳ぎます。腹筋に力を入れることのないように、力まず、楽に泳ぎます。
一周回が終えると、一度水から出て少し走り、またスタートラインに戻り、飛び込みます。違和感はあるものの、腹の調子は最悪ではありません。頑張っていないので息が上がることもなく、あっさり3.8km完泳。後で調べたら1時間30分ほど。史上最遅。まあ、いい。
ウェットスーツを脱ぎながら走り、BIKEラックへ。仮設のトイレが並んでいましたが、大丈夫そうなので、そのまま180kmの自転車旅へ出発!徐々に気温も上がり始めました。ヌルスルタンのヘンチクリン(失礼!)な建物が林立するダウンタウンエリアをのんびり走ります。その後、全車線封鎖された高速道路に出ます。そこからは皆、飛ばし始めます。私も腹具合の様子を見ながら踏みます。国土の地形そのままでBIKEコースもほとんど曲がりません。風が向かい始めると1時間は向かい風、追い始めると1時間追い風といった感じです。
1時間に一度は補給食を取り、後半へのスタミナを蓄えたいのですが、それが即、下痢となってしまう可能性が高いために怖くて補給できません。水だけは取りました。が、それすら即、下痢になってしまうのではないかと思って不安でした。水は何とか体内に届いているようです。
718kmのサイクリング旅行が効いています。疲労を感じることもなく100kmを通過。その辺りで初めてバナナを恐る恐る半分だけ食べます。何ともありません。とはいっても、いきなりもりもり食べるわけにもいかず様子見します。そうこうしているうちに、ハンガーノックになってしまうかもしれません。
しばらく水とコーラでしのぎます。日本から秘密裏に持ち込んだ羊羹は昨日のうちに小さく5等分にされ食べやすくなっていますが、それは2個食べただけです。
150km過ぎた辺りでいよいよキツクなってきました。水分はとれているので大丈夫そうですが。やはりそこまで食料がほぼ無補給ですので体力的に限界です。スピードも一気に20km/hまで急降下!予想されていたことですが、ハンガーノック状態です。
脱水とハンガーノックは一気に来ます。ハイ、経験がありますから・・・そして、そうなってから「がんばれ~」といわれても頑張れません。
経験からいうと、私は脱水の場合、あらためて水分を摂って2時間ほど経ってからやっとまた動き出せます。無補給は初めてなので分かりませんが、立派に補給したらたちどころにトイレに駆け込まなければならない事態になってしまうかもしれないので怖いです。BIKEコース上には仮設トイレは50km毎にある感じですから、事態が急展開になったらまず辿り着きません。大平原ですから野グソをしたら選手のみんなから丸見えです。多分、大会役員に野グソが見つかったら、即刻、失格です。(そんな、条項があったわけではないのですが・・・)
確実に仮設トイレがある、BIKEの終着点、即ち、RUNのスタート地点まで何とかして辿り着くことが一番良いように思われました。しかしその時、一気に込みあげてくるものがありました。
自分自身の頑張りに対する歓喜ではありません。片側4車線もある高速道路を独り占めして走る感動でもありません。沿道で応援してくれている市民やボランティアに対する感謝でもありません。
一気に込みあげてきました。幸い、前後に選手がいなかったため私のゲロを浴びる被害者はいませんでした。それは救いでした。あまりの勢いに、そのゲロは噴水と見紛うほどでした。それも、1kmほどの間に4回です。私はBIKEから降りることなく、乗ったままそのゲロを出し尽くしました。私の走った後には、累々と続くゲロの痕跡が残ったのでした。(これを読んで気分を害された方、スミマセン、お詫びに、もんじゃ焼きをご馳走します)
それでも何とか180kmを走り切り、RUNのスタート地点へと辿り着きました。残るは、42.195kmのマラソンです。やはり、虎の穴自主トレの成果です、足はまだ生きています。走れます。が、体が無理です。内臓が無理です。
そこで、なぜか、どこかのレースでかけられた声援を思い出しました。
「いまから全行程歩いても、制限時間に間に合うぞ!」という言葉です。時計を確認しました。制限時間までまだ8時間ほどありました。42kmを8時間かけて歩くというところに活路を見出したのです。今のところ、急を要する下痢の心配はないように思いました。ゆっくりと歩きだしました。スタート直後から歩き出す選手はあまりいないので、ボランティアの若者や、大会関係者は不思議な顔で私を見ています。
歩き出すと体の上下動が効きます。そうです、急にもようしてきました。RUNコースには2.5km毎に水や補給食を確保できるエイドステーションと呼ばれる場所とともに仮設トイレがあります。そこまでガンバリマス。
やっと辿り着いて、座ろうとしたら紙がありません。これは人生の一大事です。日本だったら予備が必ずあるはずなのですが・・・どこを探してもありません・・・しょうがなく、諦めて2.5km先のエイドを目指します。う~む・・・・もつのか・・・
何とか頑張って辿りついたそこの仮設トイレをノックして、返事がないのを確認してやっとドアを引くと・・・ドアが引けません!!!!!とっさに隣のトイレのドアに飛びつき、引きます。が、ガガガ―ン!!!開きません!2つとも開きません。恥も外聞もなく、「このトイレはどうなってるんだ!」と絶叫に近い嘆願。「使えません・・・」と申し訳なさそうな若いボランティア女性の声。私の状況を分かるのでしょう、次の言葉も出ません。
使えないという事はいっぱいだという事なのでしょう。山盛りだということなのでしょう。俺が山盛りの部分を押し込んでやるから、頼む、開けてくれ!と、お願いしたかったほどです。
「2.5km先にエイドがあるわ!」と彼女はいってくれましたが、私には何の励ましにもなりませんでした。
そこに通りかかった選手が「大丈夫かい?そんなに酷いのか?」と聞いてきました。
「It's a serious situation !」(深刻な状況だ!)と私が答えると、ひどく戸惑った表情のまま、かける声もないのでしょう、泣きそうになって走り去っていきました。おいおい、泣きたいのは俺だよ!
それから私は夢想したかのように歩きながら、茂みばかり探していました。こうなれば旅の恥はかき捨てるしかあるまい。野グソ敢行だ!しかし肝心な紙がまだありません。ところどころにいる若いボランティアに、「紙はないか?紙はないか?」と聞きながら歩きます。
急にひらめきました。選手が使っている水分を含んだスポンジ、それでケツを拭けばいい!!!私は首を冷やすために後ろ側の首にスポンジを挟んでいました。地獄で仏に遭うとはこのことです。この世が突然、極楽浄土にさえ思えてきました。どこだってできます。拭くものが確保できたのですから!
私の100mほど前を走っていた選手がいきなり茂みに消えました。間違いありません。彼だって大変だったのです。またしても急に軽やかな気分になりました。
長くなりました・・・続く。
一昨日(9/17)日付けの新聞で、カザフスタンの首都名がアスタナの戻されることが発表されました。2019年にアスタナからヌルスルタンに変更になり、3年経ってまた、アスタナに戻すというのです。一体どうなっているのでしょう、カザフスタン?
スポンジでケツを拭くことができますからもう安心です。どこだって野グソをしてやる!と思うものの、見せられる側からすると気分が良かろうはずはなく、やはり、なるべく見えないような場所を探します。
ところが、今度は強烈な吐き気が襲います。膝に手を置き、豪快に吐きます。胃にはほとんど入っていないので、途中のエイドで飲んだ水とペプシが出ます。それを見ていた警備の警察官らしき若い男がが歩み寄ってきて「大丈夫かい?」と英語で話しかけてくれ、背中をさすってくれました。「多分、大丈夫だ」と引き攣った笑顔で答え、歩き出します。
ゲロまみれ、そしてクソまみれになりそうなすんでのところで目指すエイドが見えました。スタート&ゴール地点です。仮設トイレが2個。空いています!紙もあります!が、筆舌に尽くし難いその汚さといったら・・・体を冷やすため、汗を拭くためのスポンジや、補給食のサプリの袋、あらゆるものが投げ込まれていてクソと混然一体となっています。小便も壁といわず、床や便座、ありとあらゆるところされています。しかし、贅沢はいってられません。目をつぶって、便座を降ろし座ります。豪快な放屁一発とともに何とか任務を完了。とはいっても、この二日間ほとんど食べていないので出るものがありません。下痢だが、出るモノがない。それはそれで、気分を楽にしてくれました。
そこから少し走ってみることにしました。意外や意外、3kmほども走れました。1kmを6分ほどです。しかし、何も食べていないのですからそうそう続く訳もなく、また歩き出します。と、またしても強烈な吐き気、とともに黄色い液体を吐瀉!
行き過ぎるランナー達は皆、私の姿を見て気の毒そうな表情を浮かべていますが、いつ自分にもその時が来るやもしれず、寡黙に走り過ぎます。
何とか1周回、10kmを歩き終えました。2時間少々かかりました。単純に4倍して、やはり8時間超で42.195kmを歩き切れる計算です。制限時間ギリギリです。
摂取する水やペプシまでも吐き出していますから、私の体はもう何も取り込むことができない状況です。そこからの30kmは果てしない距離に思えますが、努めて考えることなく、ただ歩を進めるだけです。
途中、同じホテルに滞在するオーストリア人が、「大丈夫かい、My friend?」と声をかけてくれますが、あまり気の利いた返事もできません。
17kmほど歩いた時点でまたしても豪快に吐瀉!が、何も出ません。いよいよ、限界点が近い気がしてきました。これ以上体を追い込んで大丈夫だろうか?と、冷静に考えながら歩きます。答えは否。危険かもしれないという気がしました。
何とか22km地点まで歩き、ゴールで歓喜する人達を横目で見ながら、近くにいる係員にリタイヤする旨、伝え、私のIRONMAN RACEは終了しました。3年前のマレーシア戦に続き、2戦連続のリタイヤです。虎の穴トレーニングの成果を発揮することなく終わってしましました。謎の下痢が全てでした。
翌朝ホテルの朝食会場には、完走Tシャツを着た人たちが大勢います。ただのTシャツですが、それは金を出しても手に入らない代物です。制限時間内にゴールできた人達全員に与えられます。私は持っていません。エレベーターで会っても皆、「いやぁ、昨日は大変だったよな」といったたぐいの話をします。そして、それぞれのレースを称え合います。皆、晴れやかです。何があったとしても完走という事実を手に入れた選手は皆、勝者というのがこのレースなのです。
同じ過酷な競技を戦った者同士で交わされる、あの何気ない微笑みが、リタイヤした者にはとてつもない苦痛となります。そんなに爽やかな笑顔で俺を見ないでくれ。俺はリタイヤしたんだ!と、言って回りたいほどです。あの爽やかな笑顔に私が微笑みを返すたびに何か自分が偽り者となり、自ら自分を貶めていくように感じるのでした。早く、そのその街から逃げ出したい気さえします。
翌日、夕方、ホテルのレストランで例のオーストリア人とビールを飲んでいると、彼が「俺は今朝から下痢なんだよ」というではないですか。彼の次の言葉に私のここ数日間の謎と、私のリタイヤの答えが秘められていました。
「SWIMで結構、川の水を飲んだからなぁ、あの水では下痢をしたって無理はないよなぁ」
木曜日の早朝、インド人達と川で泳いだ際、誤ってゴクリ!とひとくち飲んでしまったあの時のことが思い出されました。
大会翌朝、元気に行動開始です。何ていったて、完走していないどころか、RUNパートでは22kmほとんど歩きましたから、疲れていません。
PCR検査の結果をもらいに行ってこなければなりません。私の下痢の原因が判明したのがその晩の事ですから、その朝、結果をもらいに行く時点では、実のところその下痢がコロナに起因しているのではないだろうかという疑いを少し持っていました。ですから、結果をもらいに行くのが少し怖いほどでした。陽性となれば、入国(帰国)できません。
診療所へ行くとまたしても例のつけまつ毛の反り具合がハンパない、いまいましい女性が座っていました。私の持っているボールペンがそのつけまつ毛にぴったり乗ってしまいそうです。そう思うと試してみたくなってしまいます。ですが、我々の間には透明のアクリル板があって試すことは適いません。
彼女が英語を話せないのは知っていましたが、私がカザフ語あるいはロシア語を話せるわけでもないので、英語で話しかけます。「土曜日に受けたPCR検査の結果をもらいに来ました」。相変わらず、無愛想極まりない女です。アクリル板の下にある僅かな隙間から小さな紙切れを差し出しました。多分、それが結果が書かれたものなのでしょう。が、キリル文字で書かれていますから何が何だかわかりません。これでは、日本に帰って、入国審査に提出しても意味がありません。そこで私は予め用意してあった、日本政府の発行したロシア語版の証明書を取り出し、「これに書き込んでくれないか」と頼みました。それは世界の各言語に対応した共通の証明書です。何語であろうが完全に同じフォーマットでできている優れものです。(その原本を下に貼り付けておきます)
すると反り返ったつけまつ毛の女はいきなり怒り出して「この証明書で何が不足なんだ!」(多分)と恐ろしい剣幕です。「私に国では滞在先の国でこれに書き込んでもらってくるという仕組みなんですが・・・」と、我ながらその女の剣幕に少々ビビりました。そのうち彼女は自分の机を手の平で叩きながら、「それを持ってとっとと日本へ帰れ!」とはいってはいないと思いますが、まあ、怖いぐらいでした。しょうがなく、彼女がくれた紙切れを確認しました。すると、カザフ語、ロシア語、英語の順で同じことが書かれているようだという事が分かりました。最低限必要とされている、どういった検査方法か、いつ検査したのか、結果判明日、などは記載されているようでした。その時点ではまだ検査効力が残っている72時間の制限時間以内です。そして一番大事な、検査結果の欄にはしっかり「Nagative」の文字が見えます。結果的には、彼女のエライ剣幕の前にすごすごと退散する結果となりました。日本入国の際に揉めるかもしれませんが、まあその時はその時です。何しろ私が日本に帰国するときには、検査から優に100時間は経過しているはずですから、どのみち、効力は失われています。
自分が陰性であることに取りあえずホッとしました。それにしてもつけまつ毛反り返り女の剣幕といったら・・・自分たちの診療所で発行した証明書に文句でもあるのか!といった感覚の怒りだったのでしょう。まあ、分からないでもないなぁ。プライドを持ってやっている自分の仕事に対してイチャモンでもつけられたように感じたのかもしれません。日本国の決まりごとを外国に持って行ってこれに従ってくれといわれれば、まあ、あまりいい気はしないでしょね。という訳で、私も少々反省しました。スンマセン!
証明書の発行は検査料金と合わせて3900テンゲ=¥1200でした。あれれ、安いなあ~
その日は自転車を分解、梱包して帰りの準備です。そこからまた飛行機4便乗り継ぎます。遠い~。
その頃になって下痢が完全によくなってきました。まあ、しようがありません。
夜、ホテルのレストランで例のオーストリア人とビールを飲みながら語らいました。IRONMAN 初挑戦で完走した彼は現在、下痢の真っ最中だといってましたが、そんなことよりも完走したことが相当嬉しいらしく興奮気味でした。
一昨日の報道によると、私が8/2に一日だけ滞在したキルギスでタジキスタン軍との武力衝突があり双方合わせて100名ほどが死んだそうです。どうやら南部の国境付近での出来事らしいです。8/2の首都、ビシュケクは穏やかにのんびりしていた様子だったのですがねえ。
3週間の旅も終わります。とはいっても、これから飛行機4便乗り継ぎます。まずはカザフからトルコのイスタンブールまで5時間超の旅です。少々面倒なのですが、飛行機会社が変わるのでここで一度自転車を受け取らなければなりません。というわけで、一度トルコに入国します。ワクチンとかPCRとかの質問は一切ありません。深夜に到着したので、街に行きホテルを取るのも面倒なので空港で寝ます。3時頃だったでしょうか、床に寝ていたら「ここで寝るな!」と警備員に起こされました。しょうがないので、そのままトルコを出国して出発ロビーで寝なおします。
次の便はイスタンブールからなぜか、ヨルダンのアンマンに行きます。
航空会社のカウンターで「ずいぶん長い飛行機旅ですねえ~」といわれます。
貯まったマイルを使ってのほぼタダの旅ですから、「多少の不便な旅でも文句は言うな」という飛行機会社の無言の圧力があります。
ヨルダンまで2時間ちょっとです。アンマン空港は砂漠のど真ん中にあります。空港の中の店でこの旅で初めて絵葉書を見つけました。次の便まで6時間以上あるのでそこで絵葉書を書こうかと思い、「絵葉書を買おうかと思うのですが、切手はここで買えますか?」と聞くと「切手は売ってないし、ここには郵便ポストも郵便局もないよ」という親切な返事。という訳で、この旅で絵葉書を出すことはできませんでした、皆さん、スンマセン!
レストラン街のテーブルに座って、久しぶりに大好物のドーナッツを頬張りながら、日記を書きます。その間、忙しなく掃除婦のおばちゃんが機械やモップを使って床を綺麗にしています。
突然、後方から声がしてビックリ仰天!振り向きました。
その掃除婦のおばちゃん、いきなり「見どがん、ちゃんと!」いったのです。間違いなく日本語で、しかも私の住む、岩手沿岸部の言葉です。ですが、そんなはずはなく、空耳に違いありませんが、あまりに完全な「しっかり見なさい!」という言葉に、起立して「はい!スミマセン」と思わずいってしまいそうなぐらい完璧なアクセントでした。という訳で、日記にメモッたわけです。
「いやぁ、ビックリしたなあ、こんなところで、郷里の言葉に出会うなんて」と日記に書いていると、またしても耳を疑う声が聞こえてきました。
今度はそのおばちゃん「だまされですまった!」と大声でいったのです。勿論、「騙されてしまった」という意ですが、きちんと、「すまった」と訛っています。そのおばちゃん二度までも私の郷里の言葉を話しました。周囲は荒涼とした一望千里の砂漠です。こんなところでかぁ、思わず、ニヤリと笑ってしまいました。
ヨルダンからカタールのドーハを経由して、やっと、成田に到着です。
入国に際して例のカザフの診療所で苦労して手に入れた、PCR検査陰性証明書を提出する必要があります。大概の人はスマホに結果を保存していますが、それを持たない私は紙証明書を提出します。
「どちらからお帰りですか?」という問いに答え、「証明書はお持ちですか?」というので、「ハイ、ロシア語ですが持ってます~」と答えると、「ロシア語ですか・・・」と自信なさそうです。私は、もう既に有効期限が切れてしまっている証明書を持っていますので、そこを突かれては困ります。何とかごまかさなければなりません。証明書をリュックサックから出すのが大変そうな態度で「ええと、ちょっと待ってくださいね~、この辺にあったはずなんですが~」
「ハイハイ、ありました。いろいろごちゃごちゃロシア語で書いてますが、ここに英語で確りこの通り、Negativeとあります!」というと、係官は「ああ、本当ですね、では、お通りください」といってあっさり通してくれました。検査日やその他の情報のことなど一切、確認しません。水際だ!全数把握だ!と大仰に叫んでいますが、実はこの国、万事がこの程度なのではないでしょうか・・・まあ今回はそれで助かりましたが・・・
そして、やっぱり市役所での入手に苦労した、「英語版ワクチン三回接種証明書」は結局、20回ほど繰り返した4か国の出入国の際にはたったの一度も提出を求められることもなく終わりました。まあ、未曽有の感染症でしたから、全世界、対応がまちまちだったのかもしれませんが、日本のコロナ対応だけが妙に仰々しかった印象です。
そして、いよいよ3週間ぶりに日本入国、という際に、
「ワクチン三回接種証明書はお持ちですか?」と聞かれ、ええっ、ここで?とびっくりしました。市役所で手に入れた<英語版>証明書を日本への入国の際に出す羽目になったのでした。
長いお話にお付き合い有難うございました。
下痢とゲロとクソの話ばかりでスンマセン。
これにて終了です。