IRONMAN ITALIA & 自転車旅の記録
IRONMAN ITALIA (Cervia) 奮闘記
ITALIA 遠征 報告 その①
「IRONMAN ITALIA編」
現地についてビックリ!私の滞在するホテルがレースのゴールの目の前でした。
そこそこゴール地点に近いと思われるホテルを8か月前に予約してありましたが、
まさかここまで近いとは驚きです。ゴール地点から自分の部屋まで100mほどです。
這っても帰れる距離です。そうそう、スタート地点、SWIMスタートもそこから砂浜
(この砂浜が広い、波打ち際まで500mはある)を横切るだけです。
ですからスタート前の緊張感から突然やって来る便意が襲ってきても、
歩いて自分の部屋まで戻ればればいいのです。
(これじゃあスタートに間に合わないのじゃないだろうか)と思いながら
仮設トイレで長いウンチの順番待ちをする必要がありません。これは気分的に相当、
楽です。実際私は実行しました。
Cerviaという街を中心に幅500m以上のキメ細かな白砂のビーチが20kmいや
それ以上かもしれません、何しろ南北に見えなくなるまで果てなく続いているのです。
夏の終わりとはいえ、その名残りの残るビーチには寝そべるための長いベットが
パラソルとセットでこれまた南北に果てしなく連なっています。
ヨーロッパ中から夏のバカンス客がやってくるといいますが、100万人来てもきっと平気でしょう。
それほどホテルも揃っています。そのビーチに沿ってホテルが隙間なくこれまた何十キロも
続いています。私の知る限りこれほど整備された広大な観光ビーチはフロリダのマイアミビーチぐらいです。
夏が終わって閑散期に入る時を狙って、スポーツイベントが毎週末、立て続けに開催されるようです。
その最大のイベントのひとつが私が出る「IRONMAN CERVIA(ITALIA)」というわけです。
土日でフル(3000人)、ハーフ(3000人)、スタンダード(500人)という三種類の異なる距離に
挑む選手は合計6500人!だそうです。私のように一人で参加する選手はほとんどいず、
皆誰か家族、友人、と来ていますので、宿泊者の数たるや凄まじい事になります。
そして大会の準備にかかわる人達の数も物凄い数です。
実際、スタートゴールにいちばん恵まれた私のホテルに泊まっている人のほとんどは大会関係者でした。
選手を歓待するのは勿論でしょうが、数日かけて準備をするスタッフにいい環境を整えているというところに感心しました。
Cerviaに着いてすぐ、選手登録に出かけます。歩いて5分です!
全て徒歩5分圏内で済ませられます。
いざ私の番になり、パスポートを提出すると、
「ミスター、ヒロシ、メディカル・サティフィケイトの書類が提出されていないようですので、
あちらの女性の方と話をしてください」といわれました。メディカル~?・・・・
そういわれれば、何度もメールでそのような物を提出しろとの催促を受けた記憶がある。
今回でIRONMAN RACE 出場13回目の私ですが、今までにそんな物を催促されたことがないので無視していました。
まあ現場へ行けば何事もなかったようにスタート地点に立てるものと思っていました・・・・が、
どうやら状況は相当厄介なものでした。まあ、電話さえあれば何も問題はないのですが、
何しろ私持っていないものですから・・・・
その ②
その「Medical Certificate Competitive sport acivity」という書類、
要するに、IRONMAN RACEに参加するに足る健康状態を有しているかどうか、
医師の判断を仰げという代物のようです。 担当の女性に「私はほぼ毎年一回、
このレースに参加し、今まで13回挑戦している」と告げましたが、
「それを医者に証明してもらわないといけないのです」との返事。
「それの証明書が提出できなかったらレースに参加できないのか」と尋ねると、
「そういう事になる」との事。そういいながら上司らしき女性に何やら相談しています。
「医者の診断書を提出しろといわれた大会は初めてだ」と告げると、
「これはITALIAだけのシステムだ」との事、なるほど。
その後、急転直下、上司と相談した結果なのでしょう、
「あるいは、35ユーロ払って出場許可をもらう事ができる」と、いいだしました。
それじゃあ35ユーロ(¥6000))払うよ」といいながら、クレジットカードを差し出すと、
カードでは払えないとの事。「あなたがこの大会に申し込んだ、
そのサイトからでなければ払えない」のだそうです。
「そりゃ無理ですよ、私は携帯電話も持ってないんですから。
私のコンピューターは日本にあるんですから」というと、その女性、
「一緒に来ている家族や友達の携帯電話からできるんじゃないの?」
「いやいや、私は独りで来ているんですよ。私にはここの街やこの国に
知り合いは一人もいないんです」というと彼女、口をあんぐりあけて
しばし固まってしまいました。
そんな様子を後ろから見ている夫婦と思われる日本人がいました。
あとで聞いたところによると、この大会には8人の日本人が参加していました。
そのうちのひとりだったわけです。その方とは、明日の英語での競技説明会と
その後の自国の国旗を持って街中をパレードするイベントで会いましょうと
いってお別れしました。私はそれどころではなかったのですが・・・
そんな訳で、私としては選手登録締め切りまでその日を含めてあと2日あるので、
その健康診断書のようなものをそこCerviaの街の医者に発行してもらうか、
あるいは、誰かの携帯かコンピューターから自分の申し込んだサイトに
入ってそこでクレジットカードで35ユーロ払うという二段構えの対応を
することになりました。
まずホテルに戻って、受付の女性にその健康診断書を大会のHPから
ダウンロードしてもらいます。そして、その診断書の内容の検査をしてくれる
病院を探してもらいました。街には2つの病院があるといい、
その病院に電話をしてもらいました。すると一つの病院は、
すぐに来てすぐできるものではないとの回答。もう一つの病院は出来ないとの事が判明。
二人いた女性の受付嬢のひとりは、「今、お母さんに聞いてみるわ」といって電話を
してくれていましたが、良い返事はなかったようです。ホテルの男性オーナーは、
「診断書がないならその代りに、35ユーロ払えば出られるなんて信じられない!
君たちのやるレースはそこの砂浜を3kmジョギングするレベルの競技じゃないんだぞ、
いったいどうなっているんだ!怒怒怒!!!」と大声で怒鳴っています。
まあ自分のホテルですから大丈夫でしょう。
そもそも、あなたがそんなに怒っても解決しないですし・・・
という訳で、市内の医者から診断書を書いてもらうという方法は万事休しました。
約6か月間にわたるトレーニングの為に費やした多くの時間と犠牲、
飛行機やホテルなど諸々の出費を考えると自分が出場せずに他人のレースを
応援しただけで帰るのではあまりにも自分が惨めです。
私は部屋へ戻りベッドに横になりながら何か良いアイディアはないだろかと
考えることにしました。
が、横になるとすぐ寝てしまったようでした・・・
時差だ、時差が・・・
その③
翌日午後、英語による競技説明会に参加。その直後から行われる、
各国の国旗の下に集い、街中を歩きながら市庁舎までパレードするイベントに
参加。とはいっても私はレース参加がまだ確約されている身分ではありません。
説明会が終わり、表通りに出て、日本の国旗を探しますが見つかりません。
そこで、昨日、選手登録会場で少し言葉を交わした方と会いました。
奥様、「何度探しても日本の旗はない!」と、断言していました。
選手である旦那さんと一緒になり3人で探しましたがやはりありません。
仕方がなくパレードの最後尾からのろのろとついていきます。
日本の旗はないのに国家として承認されていない、ウィスキーで有名な
スコットランドの「マン島」の旗があったりします。
いったいどういった基準の国旗選びなのでしょう。
外国にいて自国の旗が無いというのは、不安なものです。
もしかするとほんのちょっとだけ祖国を持たない難民の気持ちに
近かったのかもしれません。
事情をはなし、出来ればスマホを明日使わせてもらえないだろうかと
伝えたところ、気持ちよく、了解していただきました。Kさんが明日、
BIKEをチェックインする時に会い、そこから一緒に選手登録まで
行っていただく約束をして別れました。そんな訳で大会参加への
一縷の望みがつながりました。
そのパレードが終わりを迎えた頃、私はそのパレードを主催していると
思われる人を呼び止め、確りと、「日本の国旗がない!」と伝えました。
最初はキョトンとしていましたが最後には「I'm sorry」といっていました。
さて、翌日、Kさんと待ち合わせ、奥様と三人で選手登録へ出かけました。
また前回の女性が対応にあたってくれました。Kさんの奥様のスマホを使い、
問題の35ユーロの支払いの段になり、そこでは私のクレジットカードを
使いました。が、それが間違いでした。私のクレジットカード会社が、
日本にある私のパソコンに「35ユーロの支払いを許可しますか」
という確認メールを出しているらしいのです。
そのメールに対し私は勿論「OKです!」という返事は打てません。
従って、そこで行き詰まりました。が、奥様のカードを使わせて
もらうことで何とか支払完了。私は50ユーロを払って、お礼としました。
我々三人と何かと面倒な行程に最後まで辛抱強く付き合ってくれた担当の
女性と皆で喜び合いました。彼女は最後まで一生懸命やってくれました。
そして美人でした!(写真はありません)イタリア人女性はレベル
高いなあ~、と妙に感心。
というわけで、晴れて選手として参加することが決まりました。
ふっ~、長い道のりでした。
その④
はい、それではIRONMAN RACEのお話です。
土曜日に私の参加するフルディスタンスのレースが開催され、
翌日曜日には半分の距離ののハーフの部と、
そのまた半分のオリンピックで開催される距離の部を一度に
開催します。従って二日間で三種の距離のトライアスロンが全て
開催されるという、凄い二日間です。合計で6500人が参加する
世界最大のトライアスロンレース大会です。皆それぞれ軽く
100万円オーバーの自転車に跨りますから、その総額たるや!!!
その大会に私もやっと参加できることとなりました。
二日間に及ぶ、健康診断書の件がやっと解決しましたから。
ホテルはその日ばかりは朝5:00から朝食を出してくれます。
用便を済ませ、swim会場へ向かいます。とはいっても、
歩いて5分です。そこで健康診断書の件で助けていただいたKさんに会い、
3.8kmを1時間20分以上かかる選手用の列に並びます。そこが最後尾です。
7:30にスタートの号砲が鳴り響きますが、7秒間に5人づつ、
整然とスタートしていきますので、全3000人がスタートするまでには
相当時間がかかります。「残るところあと50人程度となりました」
というアナウンスが聞こえてきたの頃は、スタートの号砲を
聞いてから既に一時間近く経っていました。いくら遅くスタートしても
足首につけたタイミングチップが全ての経過タイムを記録してくれています。
ゴールした順番がそのまま順位ではありませんので焦る必要はありません。
ただし、日没前にしたいなどとと思う人などはやはり早めにスタート
するしかありません。
Kさんよりさらに遅れてスタートします。私より遅れてスタートした選手は
3000人中、20人程度だったでしょうか。本当の最後尾からのスタートです。
長い一日が始まりました。今回のswimコースはアドリア海を泳ぐ一周回のコース。
従って、一度も陸に上がることはありませんが、のんびり泳ぎます。
地元で海水浴のトレも確り入れていましたので、極めて普通に泳げました。
去年のオーストリアのアルカリ、硬水質の湖での苦労が嘘のようです。
去年は苦労しました。少し遠回りですが、人との接触や衝突を避ける意味で
人気のない沖合を努めて泳ぎ、ストレスを回避します。
あまりのんびり泳ぎすぎたでしょうか、まったく疲労がないままswim終了。
計測していないのでタイムは不明。日本に帰ってきて確認したら
1゜26' 30" 。ちょっと遅いですが、問題なし。
T1 BIKE乗り場までのんびり歩いていきます。相当の区間、
高速道路を走りますが、一か所だけある2kmほどの登り区間は9%の
斜度があります。このコースを2周回します。今思い出そうとしても
そのコースや風景が思い出せません。結構集中できていたという事でしょうか。
最後の20kmほどは少し疲労が出てペースが落ちましたが、runに足を残せて終了。
やはり日本に戻ってきてタイムを確認したところ、6゜09' 49" 。上出来です!
T2 BIKEを降りてから、ジョギングシューズに履き替えるまで1kmほどの
距離がありますが、そこものんびりBIKEを押しながら完歩。
走り出すまえに時計をセット。RUN だけはきっちり1kmごとのラップを
計りペースを管理します。21kmのハーフ地点で2゜09'。単純計算で
4゜18'でゴールできます。が、そううまくいく筈はありません。
1周回10kmのコースを4周回するコースです。
ですから、健康診断書の件でお世話になったKさんとはここで
必ず会うはずです。ところがなぜか会いません。
一度奥様が「伊藤さん~」と応援してくれましたが、
立ち止まって話すこともなく「ありがとうございます~、頑張ります!」
と答えました。周回コースで一度も遭わないという事は途中で
止めたという事に他なりません。帰国後、結果を見たところ、
やはりSWIM終了後に止めたようでした。残念!RUNコースでお互いに
励ましながら走りたかったです。そしてゴール後は、
互いの健闘をたたえ合いたかったです。
30km過ぎからペースが落ちだしましたが、歩く事だけはせずに
走り続けました。最後の2、3kmはラップは9分台まで大失速!
それでも走り続けたので大崩れはナシ。無事ゴール!
ゴール地点にはズバリ!イタリア美女だけを揃えました!
これを見よ!!!というほどの女性が横並びで出迎えています。
彼女らが一人ひとりの首に、完走メダルをかけてくれるという趣向です。
やるなイタリア人!
と、私のゴールの瞬間、そこに現れた美女はなんと、
私の健康診断書問題を担当してくれた彼女ではないですか!
思わず熱い抱擁か!と思われましたが、汗だらけの私に抱きつく訳もなく
「おめでとう!」で終了、あ~、ガッカリ・・・それでも確り、
「あなたの助けのおかげでこうして参加でき完走できました
有難うございました」と、はっきり伝えました。
これまた帰国後、確認したところRUN は
4゜39’ 16" 失速を最小限に抑えられました。上出来!
総合記録 12゜39' 17" (1525位/2444人)
(60-64歳)
SWIM 1゜26' 30" 48位/82人
BIKE 6゜09' 49" 45位/82人
RUN 4゜39' 16" 35位/82人
上出来でした。ダメージがほとんどないのは驚きです。
明後日から、イタリアアルプスを登ります!
健康診断書の件でいろいろ助けてくれたホテルのオーナーは
「なに!一日休んだだけでもうサイクリングに出るだと!
それもアルプスに登るだと!いったい何を考えているん
だ!63歳のやる事じゃないぞ」と呆れ顔です。
それでは、次回からはイタリアアルプスを巡る、
サイクリング編をお送りいたします。
「それじゃぁ、来週の日曜日に帰ってきますから、それまでさようなら~」
といって、6連泊した宿を後にします。
実は予めとってあったその日曜日の予約は、BOOKING.comによって
強制キャンセルされていたのですが、あらためて現地で取り直した予約でした。
日本であるフィッシングサイトに引っかかり、クレジットカード情報を
盗まれた可能性があるために、クレジットカードを新調したのですが、
数か月前に予約したその宿の清算予定日には既に私のカードは新しくなっており、
BOOKING.comは私の旧カードでは清算できなくなっており、
強制キャンセルされていたのでした。それでも、
その可能性があることを知っていたので、ホテルに着いてすぐに
「私の9/28の予約はまだ生きているか?」と聞いてみたところ、返事はやはり
「BOOKING.comによってあなたの予約はキャンセルされている」
との事でした。やれやれ・・・
不具合や詐欺などのイライラ要素がついて回りますねぇ、
これ私には結構なストレスなんですよね。
ホテルのオーナーや従業員は「またねぇ~」といって旅立つ私に
何やら不安げな対応です。(あいつ、おとといIROONMANを
走ったばかりなのに大丈夫なのかよ、63歳だっていうじゃないか)
という雰囲気丸出しです。おいおい、もうちょっと景気よく送り
出してくれよといいたくなるようでした。
これからの私の旅のルートはGOOGLE MAPを参照に追って
頂けると楽しいかと思われます。
私のまずの目的地は、その名にし負う、「ドロミテ国立公園」です。
イタリアが世界に誇るユネスコ世界遺産(自然遺産)で
その範囲は広大で地図にはその範囲が記されているものの、
同様の地質的特徴を持つ山々は全てドロミテとされています。
そのドロミテ、IRONMAN RACEの為に私が滞在したCerviaの街からは
北へ300kmほどあります。そこを自転車で移動するとなると
2日はかかってしまいます。しかしそこはイタリア、
列車に自転車を積んで時間短縮します。自転車だからといって
邪魔扱いされる事など全くなく、自転車用のラックも完璧完備!
いう事なし。むしろ、自転車さんようこそ!といわれているかの
ような設備で感動すら覚えます。
列車は標高ゼロのアドリア海沿岸から徐々に標高を上げて
イタリア北東部の小都市Belluno(ベルーノ)を目指します。
イタリア北部は普通に田舎ですので電車の本数が少なく、
全駅停車の鈍行列車。しかしそんな田舎街の駅で連絡の列車を
待っていると、いきなり時刻表にその列車の「Cancel」(運休)!
の表示が出たりします。ところが客は全く動じる様子がありません、
良くあることなのでしょう。私は急にできたその空き時間、
自転車に跨り、街に繰り出して散策します。
朝9時半にCerviaを出て、Bellunoに着いたのは夕刻でした。
Bellunoの街はそこそこ観光客がうろついています。
ドロミテの観光基地です。アドリア海沿岸の街とは違い、寒いです。
標高は390m、人口は35000人ほど。
駅から出てすぐにホテルを探しながら自転車を走らせます。
ところがなかなか「HOTEL」の文字が見当たりません。
駅前の繁華街だというのにです。そこで通りがかりの若い女性に
聞いてみます。教えてくれた場所にはやはり「HOTEL」の文字はなく
不安になりますがそのビルに入ってみました。
するとそこは立派なホテルでした。つい10分ほど前に老婆が
教えてくれたホテルがそこだったはずですが、やはり「HOTEL」の
文字がないので素通りしてしまっていたところでした。
100ユーロの部屋を90ユーロに値切って、チェックイン完了。
17000円程度です。寝るだけですがいい値段です。まあ、
イタリアはこんなもんです。そこでフロントの紳士に質問。
「イタリアに来たら、[HOTEL]の文字が見当たらないが、
イタリア語ではホテルを何と呼ぶんだい?」
そうなんです。基本的なところを抑えていませんでした。
これは非英語圏では必ず直面する問題なのです。完全に
失念していました。これは予め把握しておかなければならない
案件なのでした。今では、[HOTEL]の看板は世界中どこでも
見られますが、やはりそうでもないところもまだまだ多いのが
現状です。
「そうですねえ、HOTELというサインもないことはないですが、
我々は[ALBERGO]という呼び方をします」という答えをもらいました。
そして確りとそのスペルも教えてもらいました。
という訳で一件落着です。
贅沢すぎる部屋で、手揉み洗濯をし、シャワーを浴びて街へ
繰り出します。食事の前に軽くビールを飲むべく、バーを探します。
「何かイタリアのビールをください」とオーダーし、
その日の出来事を日記に綴ります。私の日記を覗いた25歳ぐらいの
ウェイトレスの女性がビールをテーブルに置きながら、驚きの発言。
「あー、日本人ですか!」
いやぁ、ビックリしましたよ。イタリアの田舎町に来て
日本語が分かる女性に出会うなんて。
私の日記を覗いて、「そりゃ、いったい何語なんだい?」
と聞いてくる人は時々いますが、いきなり日本語で話しかけられる
ことはそうそうありません。
ディナータイムまでにはまだ少し時間がある暇な時間帯の
ようでした。彼女、イタリアの大学で二年間日本語を勉強し、
一年日本に留学していたそうです。銀座のバーでカクテルウェイトレス
のバイトもしたそうです。美人な女性ですから相当人気が
あったはずです。途中から後ろの席に入ってきた地元の
常連客が彼女に聞いています。
「おいおい、いったい今あそこの男性と何語を話してたんだい?」
「日本語ですよ」と彼女が答えると、その常連客、
「ここには毎日来ているが、あなたが日本語を話すなんて
今まで知らなかったよ!」
ビールだけで出ようかと思っていましたが、美人イタリア女性と
日本語で話ができるなんてそうそうありません、
ついでに食事をしようかと思いましたが、ディナー時間には
まだ間があるとの事、サンドイッチをつまみにビールをもう一本頼みました。
美味いピザ屋を教えてくれといったら、彼女、アレッサンドロさん、
町一番のピザ屋を教えてくれました。
その⑥
アレッサンドロ嬢の働く「caffe DEON 1870」を出て、
彼女推薦の町一番のピザ屋に向かいます。
彼女が地図を書いてくれましたが、イタリアの街はどこへ行っても、
2000年前の姿のままですので道が直交しておらず、
目的地に容易に辿り着けるケースはほとんどありません。
私の目指す「La Fenice 」もトンネルとも道とも区別のつかない、
あるいは私有地なのではなかろうか?と思わせるところを通り、
一度引き返して確認して、諦めかけたりしながらやっと辿り着きました。
誰かの家の裏庭を横切って歩いているようで困惑します。
6:30pm、開店直後の店に入ります。キッチンもガラス張りで料理している
様子が丸見えです。とりあえずビールを頼み、大道のマルゲリータを
頼みます。ビールを飲みながら日記を書いている間にも次々と客が
入ってきます。さすが人気店です。30分ほどでほぼ満席になって
しまいました!隣の席では20人ほどで誕生日を盛大に祝っています。
アジア人がひとりポツネンとビールを飲んでいる姿は結構、
目を引いていたことでしょう。さて、やってきましたマルゲリータ!
二杯目のビールを飲みながら、食します。
???、う~む・・・こりゃどうしたもんだろう。
不味いわけではありませんが、それほど美味いものではありません。
特にこれといって感動はありません。参ったもんです。
アレッサンドロ嬢が自信を持って、町一番のピザ屋!といった店です
がちょっと期待はずれでした。隣のテーブルでは男2人が上手に
ナイフとフォークでピザを食べています。やはりピザ、
ナイフフォークで食べる物のようです。私は手で喰いましたが。
納得がいかないまま、とぼとぼとホテルに戻り、
明日からのアルプスのサイクリングに備えます。
このホテルは「ALBERGO DELLE ALPI BELLUNO」一泊朝食付き
¥16800なり。
翌朝、ホテルで朝食を済ませ、そこでランチに食べる
サンドイッチも作ってチェックアウトします。
2025年度のサイクリング旅行の始まりです。毎年の事ですが、
わくわくします。
急遽、自分の立てていたルートとは違うコースをたどることに
なりました。アレッサンドロ嬢推薦のコースに変更したのです。
地元の人、行ったことがある人の意見には素直に従います。
Bellunoから一路、北へ向かい、51号線を走ります。
が、交通量が激しく、すぐ左を猛スピードで走り去って行く車に
怯えながらのサイクリングは楽しいものではありません。
今年の冬のオリンピックが開催されるCortinaに向かう道は
その51号線しかなく、車が集中しているようです。
風景を眺める余裕すらないサイクリングはつらいです。
1時間ほど走りましたが、思い切って脇道にそれのんびり走ります。
川沿いの道を走り、工場に出勤途中の男性に聞いてみました。
「あの51号線は交通量が激しすぎて、サイクリングに
ならないのだが、他に北へ向かう違う道はないでしょうか?」
すると、やはりBIKE-14という名の旧道51号線が存在するとの事。
安心しました。私の持っている紙地図にはそのような道は記されて
いませんから、やはり住民に聞くのが一番で、
そこを面倒くさがったりしてはイケマセン。
その道に入ると早速、2人の女性のサイクリストがやってきました。
その後も、数人のサイクリストが南進してくるのでした。
女性が多いです。しかも皆、E-BIKE、電動アシスト自転車と
いうやつで、結構なスピードでスイスイ走り去っていきます。
どうやら、その快適な自転車道路、旧道の存在を知らない
サイクリストは私ひとりのようでした。皆それなりのイタリア
自転車道路地図的なものを持ち歩いているのでしょう。
(というか、スマホに確りそのルートは紹介されているのでしょう)
午前中にのんびり45kmほど走り、LOZZO DE CADOREという街の
湖畔の公園でサンドイッチを頬張ります。当然、ホテルで食べた
朝食とほとんど同じサンドイッチですがまあ、栄養という点では
問題はありません。二種類のチーズに二種類のハムが挟んであり、
バターがこれでもかと塗ってあり、おまけに蜂蜜まで流し込みます。
近所の幼稚園児が先生に引率されて湖畔を散歩しています。
「ボンジョルノ~」と大合唱であいさつされます。
どんよりとした空模様ですが雨が降るよりはマシです。
短パン & T-シャツのサイクリングジャージでは、少々肌寒いです。
その辺りは標高が800mほど、これからまだまだ
標高が上がりますから少々この先の服装が心配です・・・










































