IRONMAN LANGKAWI 参戦記

 

IRONMAN LANGKAWI(MALAYSIA) 参戦記

 

 

 

 

  11/6(mon) 夜、羽田を出てMalaysia クアラルンプールへ向けて飛び立つ。はずが、その前にチェックインカウンターでひと悶着発生。

 

 「この荷物の中身は何ですか?」

 

 「ハイ、自転車です」

 

 「自転車ですと、スポーツ貨物扱いになりまして、別途料金が発生しますが?」

 

 「えー、預かり荷物に関しては20kg以内であれば無料とお聞きしたものですから、こちらの会社のチケットを購入したんですが」 

 

 「あくまでもスポーツ貨物は除外しております」

 

 「そんなことどこかに書いてましたっけ?」

 

 と、一気に嫌悪なムードに突入。

 

 私の購入したチケットは6泊のリゾートホテル、オーシャンビュー&キングサイズベット(一人旅行にも拘わらず)+羽田→クアラルンプール→ランカウィ島の航空チケットで合計¥90000という破格の代物。少々の超過料金はやむを得ないと思いつつも、実際、スポーツ貨物云々という文言を読んだ覚えもないので、少し粘ってみる。

 

 「どのぐらいの超過料金になるんですか?」と聞いてみる。

 

 「44000円です!」

 

 「はぁ!」

 

 単純にホテル代と飛行機代が半分半分だと考えよう。¥45000がホテル代、¥45000が飛行機代という事になる。44000の超過料金ってことは、人間ひとりをもう一回、Langkawi島まで往復させることができるほどの金額ってことになる。そりゃ、あんまりだろう。LCCと呼ばれる格安運賃が魅力の飛行機会社だからであろう、基本料金を低く抑えている分、どこかで料金上乗せを目論んでいる思惑が透けて見える。

 

 「¥44000もここで払ってしまったら、私のマレーシアでの生活費がなくなります」

 

 「そう、いわれましても・・・」

 

 「何とかなりませんか」

 

 すると、電卓をはじき始めた。値引きのサインか、良い兆候である。

 

 「やっぱり、¥44000ですねえ」

 

 何の為の計算だよ、若い衆!

 

 実は、その時点で飛行機の搭乗開始時間が迫ってきていた。チェックイン作業が終了したカウンターが次々を「CLOSED」のサインを出していく。私の担当者もそわそわし始めた。私の覚悟を思い知ったためであろう。

 

 その時、カウンターの後方を上司と思われる男が通り抜けて行った。

 

 「こちらのお客様が・・・・・・」

 

 「それでは今回は、破損、紛失等のクレームは一切受け付けない旨の同意が頂けましたら超過料金は頂かないことといたしますので、こちらにサインをお願いいたします」

 

 と、その上司。

 

 私は満面の笑みでそれにサインをして、島での滞在費¥44000を確保することができたのであった。何とか一件落着。ふぅ!うむぅ、復路が少し心配だなあ。まぁ、苦労の先取りはやめてレースに集中することにしよう。

 

 

 

 クアラルンプールまで7時間。その間は夜間飛行という事もあり、静かに飛ぶ。食事も予め予約した人にしか与えられない。ジュースすらもナシ。欲しかったらその都度お金を払って買うという徹底した節約フライトで、通常、前の人のシートの背もたれにあるはずの映画観賞用のTV画面も音楽を聴くためのイヤホーンすらも設備されていない機体である。見事なまでのLCC振りでアッパレ!

 

 

 

 

クアラルンプールの飛行場でトイレへ入る。ごく普通に男性用、女性用があるが、その隣が普通ではない。お祈りの部屋があるのだ、さすがイスラムの国。

 

 トイレへ入り便座に座り用を足す。汚物を流そうと思ったがそれに該当するレバーがどこにも見当たらない。こりゃあ参ったぞ。まさかそのまま出るわけにもいくまい。ふと壁を見るとそこから金属製の蛇腹状ホースが出ている。先端には何やらレバーが。ははぁ、これで流せっていうことか。国によって汚物の流し方も千差万別って訳だ。その蛇腹状のホースを手に取り、自分の汚物めがけて水を出すべくレバーを引くと物凄い勢いで水が出た。なんてこった!水流が強すぎて、たった今出したばかりの自分の汚物が飛び出してくるではないか。そしてあろう事か、自分に跳ね返って、糞まみれになってしまった。しばし呆然自失。トイレットペーパーで汚物を拭き取り、意気消沈。うーむ、旅の始まりから糞まみれとはなあ・・・。レバーの引き加減を少し緩くして何とか汚物を処理。一難突破。うなだれてそこから出ると、ほうきを持った青年がいきなり入れ替わりにそこへ入ってきた。他が空いているのに何でわざわざここに入るんだよ、と思ったら、例の金属製の蛇腹ホースを手に持って床に水を流し、ほうきで掃きはじめた。まるで俺の粗相を見ていたかのようだ。私が流しで歯を磨いている間、青年は私が汚した床をきれいに掃除し終えるとトイレの入り口脇に座り込んで、休憩を決め込んだのだった。ふむふむ、彼はトイレ掃除専門なんだなあと納得。そういえば、国の数だけ慣習があると、ある高名な方がおっしゃっていたことを思い出した。

 

 

 3時間ほどのトランジッションを経て、決戦の地Langkawi島に到着。気温28℃。一週間前、雪の峠でBIKEを漕いだことが夢のよう。

 

タクシーを捕まえないといけないが、空港から行き先を告げてチケットを予め買うシステムでぼったくられる心配は無用。どうやら、結構しっかりした規律が根付いているようだ。ひと安心。

 

私の部屋からビーチまでは50mほど。昼過ぎだがジェットスキーやらパラグライダーやらありとあらゆる海の遊具のオンパレード。混然一体、人種もさまざまで、結構賑やかだ。バルコニーでしばし休息した後、10kmほど軽くジョギングして街を散策。舗装と煉瓦敷きが混じったような路面だが地面がむき出しの所も多く無残だ。街路樹の根が埋め込まれた煉瓦の隙間から這い出し、歩道を無残に破壊し尽くしている。「只今、新装開店に向けて街ぐるみで絶賛化粧直し中」といった趣。雨季開けの11月だから、これからが工事の本格再開ですよといったところか。

 

翌日、水曜日からSWIM競技開始時間に合わせて、朝7:30amSWIM練習を開始する。

 

地元の温水プールよりも温かい海、ウェットスーツ着用義務なしの意味が知れる。心もち塩分が薄く感じるのは気のせいか。2kmほど続く白い砂浜をのんびり泳ぐ。砂浜の白砂もきめが細かいため非常に固くしまっていて、自転車でも走れるほど。

 

8:00amになるとどこからともなくビーチに人が集まり始め、商売の支度を始める。南の島の人たちだからもっとゆるい感じの人種を想像していたが皆、真面目な様子。「旦那、私のジェットスキーに乗りませんか」と客引きはするものの、一度断るとそれっきり、くどくない。半年かけて8kg絞り、55歳にしては見事な体躯を作り上げ、自ら惚れ惚れしていた我が肉体だったが、上半身裸で働くそこのマレー人達の肉体は私のそれより遙かに見事だった。トホホ。

 

私が滞在したChenangという街は距離にしてせいぜい2kmぐらいの通りにレストラン、食堂、土産物屋、マーサージ屋(なぜかマサージ屋多し)などが雑然と並ぶだけの通りだがそこを歩くほとんどが観光客だ。どうやら世界中から来ている様子だ。

 

昼食をしに外へ出る。通りをぶらぶらして「地元の人が地元の料理を食べる」という看板を出した店を見つけた。

 

「どうやってオーダーすればいいんですか?」

 

「好きなものを好きなだけ皿に盛りゃいいんですよ」と女の子。

 

20品ほど並んだ鶏肉、ラム肉(勿論、豚はナシ)、魚、野菜等の中から、5品ほど選んで皿に盛る。脇にあった巨大なバケツを開けるとご飯が入っていたのでそれを盛って食べ始めた。すると女の子がやってきて私の食べている物を目で確認しながら紙切れに何か書いて置いて行った。なるほど、品数で料金が決まるらしい。私は色々なものを少しずつ食べたいがために5品ほど選んだから少々高くなるのだろう。周りの地元民はというと2品ほどしか食べていない。しかし皆、山盛りだ。料理はどれを食べても美味しく、少し辛い味付けがされているが、明日の朝、肛門がひりひりするほどの辛さではない。フレッシュなスイカのジュースを頼んで合計¥300弱。こりゃ安い!というわけで毎日昼食はその通りにもう一軒あるそんな店とを一日おきに訪ねることにした。しかし、どういうわけかその店たちは晩御飯時になるとそのバイキングスタイルはやらず、ごくごく普通のレストランとなってしまっているのでした、残念。

 

 

 

 

翌朝もレース時間の7:30amSWIM練をします。ホテルに帰ってきてシャワーを浴びて時間を確認すると、あれれっ、ガーミンの表示が消えているじゃないですか。日本を出る時にフル充電してきたのになあ。フル充電すればGPS未使用で三週間は動くはずなんですけど~・・。日本とマレーシアとでは電圧が違うので充電用ACアダプターは役に立ちませんから持ってきていません。というわけで私はマレーシアにおいて時間を知る手立てを完全に失ってしまいました。これは重大な事態です。テレビをつけてローカルタイムを確認してみましたが、なぜか、全くお門違いな時間が表示されています。湾岸戦争の際、大活躍したアルジャジーラ局がロンドンタイムを示しているようです。どうやらその時間に八時間を足して、ampmを逆にすればマレーシア時間になることが判明。メンドクサー!というわけで、いちいちテレビのアルジャジーラ局を見なければならなくなる羽目になってしまいました。話が脱線しますが、アルジャジーラ局では、盛んにイエメンでの飢餓について盛んに報道しています。日本では全く報道されていませんでした。

 

閑話休題。大会当日の4時起きはどうしよう?というわけで、街に繰り出して置時計を物色。日本にあるような100均の代物などあろう訳もなく、時々、見つけても、もっともらしい装飾を備えた高価な置時計しかありません。思い切って、腕時計を買おうかとも思いましたがスンでのところで思いとどまりました。まさかマレーシアに来て血眼になって時計を探す羽目になろうとはなぁ。結局、外出した時には、通りを歩きながら女の子を見つけては「今何時ですか?」と聞くこともしばしば。30年前はそこからいわゆるナンパが始まったりしましたが、今は昔。ワタクシ、実際、時間がわからないのでした。熟考した挙句、大会当日は、モーニングコール(死語?)をしてもらうことで解決。ふ~。一件落着。

 

 

 

レース二日前の夕方はIRONMAN RACE恒例の、Welcome Party。選手全員が集って二日後の健闘を誓います。俄然テンションが上がるはずなのですが、慣れっこになっている私は極めて冷静。隣に座ったカナダ人はIRONMAN初挑戦だといい、ロングのトライアスロン11回目の私に何かと話しかけてきます。相当不安な様子です。

 

「俺の練習量は月間○○ぐらいだけど、完走できるかなあ、どう思う?」

 

「そのぐらいやっていれば、完走間違いなし!」

 

と、根拠の薄い太鼓判を押して励まします。間違っても初挑戦はキツイゾ、と脅かしたりせず、お互いの健闘を誓い合います。

 

それにしても、LangkawiIRONMANの食事の豪華なことといったらありません。今まで行ったどこのレースよりも種類が豊富なうえ美味です。他のレースを遙かに凌駕しています。これには少々ビックリしました。これを食べに来るだけでも価値ありの大会かも知れません。

 

 

 

レース前日、約30km離れたトランジッション1までBIKEで移動。そこがSWIM会場&スタート地点です。途中、名だたる名ホテルが点在しています。さすが世界のリゾートLangkawi島。

 

大会に合わせて体のサイクルを調整していたので、前夜は9時には完全に就寝。

 

 

 

レース当日。4時のモーニングコール前に目覚めました。電話が鳴った時にはベッドを大移動してやっとの事、受話器に手を伸ばしました。せっかくのリゾートライフ、オーシャンビューの部屋とキングサイズのベッドを取ったのですが、縦横2mほどあるベッドは終始、半分しか使われませんでした。ですから、電話が鳴った時は、その移動だけで結構な距離を動くことになったわけです。結局ベッドの半分は、最終日まで乱れることなく、チェックインした日と全く同じ様子のままだったのですから、無駄な贅沢だったというわけです。まあ、身の程を知りなさいという事なのでしょう。この歳になっても学ぶことは尽きません。

 

前日買っておいたサンドウィッチを食べて、スタート地点まで送迎するバスの乗り場まで10分ほど歩きます。そのバス乗り場は、ゴール会場に隣接しています。ゴール後は絶対にヘロヘロですから、徒歩10分で自分のベッドに戻れる立地のホテルを探した結果です。

 

予定通り、5時発のバスに乗り込み30分ほどで、スタート地点のホテルに到着。日の出まではまだ1時間ほどもありますが、皆、懐中電灯を照らして自転車の空気調整や補給食の装着に余念がりません。私はいつも通りのルーティーン、二度の大便をしっかり済ませ、体内からありとあらゆる排泄物を排出し、体重を限界まで落として準備万端。10分だけある公式SWIM練習ではきっちり泳いで心拍をあげておきます。そうしないと、ヨーイドンの合図でいきなり全速力で泳いだ時に、心拍がついていけず、立ち泳ぎなどして休憩する羽目になってしまいます。そんな経験が実は何度もあるので、今回はその失敗は繰り返さないようにしたわけです。

 

 

 

日が昇ったばかりのビーチから半日後、多分日没後のゴールを目指していよいよ長いレースの始まりです。

 

今回も最近よく使われているローリングスタートです。5秒ごとに10人ほどが順番に入水していきます。そうすることによって酷い水中バトルを回避するわけです。そんな少しの工夫で驚くほどスムーズにSWIMが始まります。バトルがない分、皆落ち着いて余裕のスタートです。予め設定された自分のSWIMゴール予想タイムの群れからスタートしていますので周囲の選手も皆ほぼ同じスピードで進み、とても穏やかな始まりです。

 

キックは小さく、掻きは大きくを心がけながら焦らず泳ぎます。1周回目の1.9kmを終えても全く疲労感はなく順調です。2周回目に入って右の腰が痛みだしました。まあ、よくあることですので息継ぎを右に変えて紛らわします。そうすると痛みも和らぎます。3kmを過ぎた辺りからでしょうか、結構周囲の人達を抜くことが多くなりました。皆、疲労が出てきたのでしょう。納得の泳ぎで3.8kmSWIMを終了。  上出来です。     

 

116’ 31”  248/1106人   年代別 8/43人  

 

 

 

180kmBIKEにスタートします。どうやら天気が上向きです。

 

う~む。あまり歓迎できないなあ。

 

 

 

走り始めるとすぐに小さいup & down が続きますが、まだまだ余裕です。

 

すぐにmonkey mountainという地区に入りました。文字通りのサル山です。我々が走るコースを我が物顔でサルが闊歩しています。いや、逆か! 彼らの生活域に自転車が入り込んだといった方が正しいのかも知れません。事前に選手全員に配布され、レース前に必ず熟読しておく事とされている「アスリートマニュアル」に書かれていた事が急に思い出されました。

 

monkey mountainではいくら疲労が激しくとも、歯を見せてもがいたりしないこと。歯を見せてサルに笑いかけたりしないこと」。「サルの世界では歯を見せることは、相手にケンカを売っていることに等しい行為」と解説がなされています。ふむふむ、口を閉じ、鼻呼吸に努めます(ちょっと大変です)。相手は野生のサルですから、隙を見せれば恐ろしいほどの跳躍力で襲い掛かってくるに違いありません。そういえば、「選手が携帯している補給食を与えるべからず」という文言も記載されていました。我々の補給食といえば、普段では決して食べる必要がないほどの高カロリー&高糖分の代物。サルに与えてしまうのは、ポパイにホウレンソウを与えるに等しいこと。この世の終わりが来るに違いありません。そうです、補給食を手に入れたサルに歯を見せてケンカを売ったら、我々に勝ち目はありません。この世は明日、猿の惑星になってしまうに違いないのです。しかし当の彼らは我々人間には一向に興味がない素振りです。食料をくれないと知っているからでしょうか。

 

 

 

気温が上昇している様子が背中に感じられます。厳しい戦いになりそうです。50km地点の辺りでは平均速度が30.5km/hまで上がりました。良い兆しです。目標はきっちり30km/h180km6時間で走り切ることです。それにしても島をぐるり回るコースですが、交通規制はほとんどされていず、普通に車の往来があるのがびっくりです。まあ、島民も毎年の事なので慣れっこなのでしょう、結構、皆しとやかな運転です。

 

100kmを過ぎた辺りからだったでしょうか、右太腿と右タマタマ付近の股ズレが気になりだしました。悪い兆候です。実は今回は新しいウェアーで参戦していました。真っ新なものではありませんが、ショートのレースで一度着ただけのものです。その時は全く問題がなかったので今回も使ってみることにしたのでしたが、ショートのレース40kmでは何の支障もなかったウェアーも100kmを過ぎるとどうも具合が悪いようです。とうとう、10回ほどペダルを踏み、10秒ほど休む、という繰り返しになってきました。う~む、こりゃいかん。しかしこの股擦れは如何ともし難い。だんだん、平均時速が落ちてきている。目標の30km/hも切ってしまったゾー。

 

そこに突然、スコールが物凄い勢いでやってきた。当たる雨粒で顔が痛いほどだ。すると暑さでへばっていたはずの選手が俄然元気を取り戻してきたらしく、明らかにスピードが上がってきた。俺はといえば、相変わらずの股ズレ!ガンバリようがない!チクショウ!

 

それでも何とか180kmを乗り切り、BIKE競技終了。股ズレともおさらばだ。

 

成績はいまいちでした。股ズレ恐るべし!

 

 

 

BIKE   625’ 35”  平均時速28.05km/h   338/1106人  年代別 15/43

 

 

 

T26分ほど休み、いよいよ最後の競技、42.2kmRUNに出発です。体はそれほど消耗していないようです。

 

ここから先は完全に感覚だけが頼りです。何しろ時計なしで走らなければなりません。勿論、1kmごとのラップを確認する手だてもありません。

 

ここのところLONGのトライアスロンはRUNで潰れるパターンが続いていましたから、今回は速くなくとも、きっちり走る切ることを目標としていました。

 

思い起こせば、4年前のIRONMAN JAPANからIRONMAN CANADA、宮古島トライアスロン、去年のIRONMAN SWIZERLAND と、リタイヤあり、タイヤのパンクでRUNに進めず、あるいはRUNにならず歩くことしばしばといったレースの連続で、俺もいよいよ歳か!と思うこともありました。

 

5km地点までは気合十分で、5’30”/kmぐらいで走っていたと思います。周囲の選手と比べても遜色ない走りです。しかしその後、急激にスピードダウン。補給食はきっちり取れていましたし、水分補給だって問題ないはずなのに・・・。天気も適度に崩れ、熱中症になるようなピーカン照りではなくなっています。レース条件としてはこの上ない好条件のはずなのですが、なぜか走れません。頑張れません。ヘロヘロに疲れてもうダメです!という状態でもないのですが、気力が湧きません。戦えません。完走は出来るでしょうが、タイムは全く望めないレースになってしまいそうです。

 

RUN コースはBIKEを降りたT2から、ゴールがあるリゾートホテルまでの3周回。1周回目はそれほど苦労することなく、ゴールエリアの様子を見たりしながらクリアーできましたが、2周回目からは相当の苦痛を強いられました。エイドステーションで歩く距離と時間が徐々に増えていきました。そこに貧尿が襲ってきました。最近、RUNでこの貧尿に悩まされることが増えてきました。体が何らかの理由によって尿意はすれど、排尿せずという状況をつくってしまっているようです。そしてこの尿が相当、濃縮された感じの濃い尿であることがその臭気から察せられます。しかしその尿、どうせ量は極僅かだけですから、思い切って走りながら垂れ流します。1分1秒の時間ロスを防ぐ為の垂れ流しではなく、単純にトイレに入りウェアーを脱ぐのが面倒臭いだけの垂れ流しです。太腿を伝い、靴に滲み込むその小水の感触は屈辱感に似た惨めな感覚です。

 

2周回目を終わった辺りで日が落ち、下を向いたままの我慢のRUNが続きます。おまけに雨も降ってきました。精一杯のRUNではなく、ボロ雑巾のような惨めなRUNですので常夏の島での雨とはいっても体が冷えます。そしてゴールはまだ遙か彼方です。RUN 30kmを過ぎても立派にファイトできている選手もたくさんいます。私はというとただただうなだれて歩くように走るだけで、自己と戦っているとはいえない状況です。そして今から気合を入れ直して、㌔5.5で走るなどという芸当はとてもできる体ではありません。半年かけて作った体の事を思うともう少し頑張りたいところですが如何ともしがたい状況です。

 

 それでも諦めず歩を進めることによって、ゴールは近づいてきますが、そんなわけですから歓喜のゴールというわけにはいきません。疲労困憊、もう走らなくてもよいという安堵感に満たされるゴールです。50mにも及ぶ花道の両サイドに陣取って応援してくれる人達はたとえその選手が知り合いであろうがなかろうが、全力で叫んで応援してくれますが、私はといいますといくら自分を鼓舞したところで彼らの興奮状態に対応できるほどのレベルまで自分を引き上げることなどできませんから、引き攣った笑顔で彼らのHigh fiveに答えるのが精々です。しかし、子供にHigh Fiveをねだられるとそうもいきません。私も頑張ってギリギリの笑顔を作ります。

 

今回も、またRUNで潰れてしまいました、トホホ。

 

 

 

RUN   525 ‘ 57”  平均速度 7’ 43”/km  427/1107   年代別 17/43

 

 

 

総合成績 1319’ 15”   346/1107人  年代別 15/43

 

 

 

 

 

しかし、そのゴールから私のホテルまでは徒歩10分程度。その時ほど、自分の選択を喜んだ時はありません。白砂に並べられたテーブルで優雅に食事をしている観光客の間をレースウェアーに肩から完走バスタオルを掛けただけの私が蛇行しながら歩いていくと、「完走、おめでとう!」と色々なところから声が掛かります。ここでもまた引き攣った笑顔で答えます。

 

 

 

レース翌日は一日、ベッドでごろごろしながら過ごしました。しかし自転車の梱包だけは厳重に慎重に行いました。何しろ一体どんな積み込をされるか分かったものではありません。以前、機内の窓から自分の自転車の箱が勢いよく放り投げられるのを見たことがありますから、それ以来、出来る限り慎重に分解、梱包することにしています。とはいっても、20kgという重量制限もあり、莫大な超過料金を払わされても敵いませんから、そこのところも慎重です。

 

 

 

 Langkawi島を離れる日、空港へ行くと大勢の観光客がいました。やはり世界にその名を知られた島なんだなあと再確認。

 

何やらおどおどしたイスラムの青年がたどたどしい英語で「ミスター、この飛行機はペナン島へ行きますか?」と聞いてきます。「いいえ、この飛行機はクアラルンプール行きですよ」と答えます。どうやら、英語表示も読めない様子。「あっちの方の飛行機かも知れませんよ」と指差して、教えてあげます。彼の隣には上から下まで黒ずくめのニカブを着た妻らしい女性が不安げに座っています。目だけを見せるニカブから見えるその目の美しさといったらありません。もともと彫りが深く凹凸の多いアラブの民族ですから、少し化粧を施したらたちどころに美女に変身します。そんな目にほんの少しでも見つめられたら大概の男はKnock outされます。かく云う私もその一人、もしかすると彼女らを凝視することは礼を失することなのかもしれませんが、そうせずにはいられません。同じイスラムにあっても、マレーシアの女性たちは頭髪を隠す程度のヘジャブを被っていますが、それも近年に至ってはカラフルな色が出回りお洒落な小道具と化しているようです。

 

 

 

何事もなく、無事、羽田に到着。自転車を受け取って、飛行場内ロビーに出ると既に、0:00am近い。明日は朝一番の新幹線で帰る予定なので、羽田を5:00amには出たい。というわけで、私は始めから羽田で一夜を明かすことにしていました。ですので寝る前に、案内所に行って明朝の交通手段の確認をすることにしました。

 

5:30amに東京駅に着きたいのですが、ここ羽田から明朝、どれに乗っていけば一番いいでしょうか」と尋ねると、0:00amで職場は終了の筈なのだが、その女性はいろいろ確かめてくれるのでした。やっぱり日本はいいわ・・・思わずにはいられません。

 

5:30am東京着は少し難しいかもしれませんねえ。今晩のうちに移動したほうがいいかもしれません」という返事。あれあれ、ちょっとやばいぞ。

 

2:00amに東京行きのバスがありますから、それで行かれるのが良いと思います」

 

そんなわけで、羽田空港で寝るのは諦めて、移動開始。東京駅の椅子で仮眠することにして、早速移動開始。やれやれ。

 

2:45am東京駅に着いて、中に入ろうとしたら、どうしたわけだ、駅が閉まっているではないか?駅入り口付近には十人程度のホースレスが寝ています。駅は4:30amに開くとの表示。マレーシアは気温25℃だったが、11月の東京、深夜ともなれば10℃ほどか。持ち物全てを着こんでも寒い!近くにあるかもしれない深夜営業のレストランを探すが、どうやら近所には見当たらない。大きな自転車の箱をごろごろ転がしながら東京駅周辺をうろつくのも嫌なので、ホームレスの群れの中に紛れ込みましだ。本を取り出し一時間ほど読みましたが何せ寒い。時々寒さで目を覚ますのであろうホームレスの視線も痛いです。

 

(おー、新入りだな。それにしちゃ、身なりがいいなあ)

 

いきなり一人が近づいてきて、ビックリ仰天。身構えます。

 

「そりゃいったい何が入っているんだい」と聞いてくる。

 

「自転車ですよ」と答えますが、「よっぽど高い代物なんだろうなあ」と聞かれ、しばし、答えに詰まる。「まあ、そこそこですねえ」としどろもどろ。そこでちょうど4:30am。駅の扉が開き、救われました。

 

ところが、改札が開くのはそれからまだ30分後だといいます。その間も、そんな方々と話をしながら過ごします。30分後、改札が開き、やっと駅構内に入ることができました。

 

ところが今度は、新幹線の改札前でまた30分待たされる始末。

 

やっと乗り込んだ新幹線が盛岡駅終着の新幹線で助かりました。おかげでぐっすり眠れました。

 

 

 

さて、来年はどこでIRONMAN しようかなあ。