IRONMAN LANGKAWI 参戦記 2019

   IRONMAN LANGKAWI(Malaysia)に行ってまいりました。三年連続での出場です。
 
 え~、まずは言い訳から・・・
 三週間前(10/6)にぎっくり腰やりました。それから大会当日までRUNはゼロです。SWIMは腰のヒネリを気にしつつ二度。BIKEはサイクリングを50km。で挑みました。(挑んでいいのか!)...

 現地に入り、BIKEを組立て、さて試走。勝手知ったるコースです。飛行場の脇の道を海からの暖かい風を切って走ります。三週間トレーニングを休んだだけあって、どうやら腰にはそれほど違和感はありません。
 ヤバいです、調子に乗ってきました。TT BARに腕を伸ばし前傾姿勢をとります。スピードがスウーッと上がります。その時でした、あ~嫌な予感だ、これはダメなパターンだ!舗装路面に埋め込んでいた台形状のリフレクター(反射板)が見えました。
 トライアスリートがTT BARを掴んでいるということはその時点で、ブレーキレバーは握っていませんから、無論ブレーキはかけられません。このTT BARという代物は、ただただ風を切って速く走るための、トライアスリートのいわば必殺技なのです。如何にそのTT BARを楽な姿勢で長時間握り続けていられるかがレースの勝敗の分かれ目にもなり得ます。
 
 リフレクターたるもの、走る車の障害にならないようにきれいな等脚台形をしているはずなのですが私の目の前に現れたリフレクターは無残にも角が破壊され、路面からそそり立つ5cmのアイガーの北壁と化していました。しかし私は57年培った技術でその北壁に衝突済んでのところを左にをかわしたのでした。見事というしかありません。普段の善行の積み重ねがなせる業といえるかもしれません。

 しかし試練は続きます。

 アイガーの北壁をかわした先には自転車道路といってもいいような路側帯が1mほどの幅でありますが、実際は路面が酷くラフで凹凸が激しく、走れたものではありません。その路側帯の向こうはといいますと高さ20cmほどのアスファルトの壁が車道とビーチを隔てる壁として万里の長城の如く続いているわけです。
 アイガー北壁をかわしたまま、体勢は左に傾いています。TT
BARを握ったままですので前タイヤをヒョイっと持ち上げその高さ20cmのベルリンの壁を乗り越えることもできませんし、ブレーキだってかけられません。ペダルからシューズを外す余裕すらありません。眼前の路面の窪みをかわすのが精一杯です。体が左傾しながらベルリンの壁に近づいていきます。前のホイール(あー、何てこった、これは15万円もするんだぞー)がアスファルトに擦れ、ガリガリと悲しげな音を立てながら回っています。もう、立て直せる体勢ではありません。私は左の肩から肘、腰、腿、膝、足首とベルリンの壁に激突していきます。BIKEもベルリンの壁にハンドルを強打して一回転し、何処かへ飛んでいき...ました・・・

 しかしどうやら命だけは助かったようでした。しかし左半身の裂傷出血は目を覆いたくなるほどです。ああ~、DNSか、と覚悟しました。

 私の前を走っていたタクシーが急に停まりドラーバーが駆け寄ってきました「おいおい、お前、大丈夫かい?」。後ろを走っていたスクーター二人乗りの若いカップルもスクーターを停め、傷を見るなり「救急車を呼ぼうかい?」といってくれます。やはりBIKEの試運転をしていたらしき、トライアスリートも停まって、「大丈夫かい?」といってくれました。
 「いやいや、日本の侍、これしきの事では、びくともせんわい、わははは!」と私・・・

 外国に出ると私はなぜか侍になるのでした。

 裂傷による出血は醜いですが、これは極端にいいますとレースの大勢にそれほど影響はありません。問題は打撲です。両膝が少々痛みます。路側帯を飛び越えてビーチにつながる芝生帯に突っ込んだのが不幸中の幸いでしょうか。
 とりあえず、海に入って傷口を洗い、消毒しながら、出血の様子を見ます。左の膝の出血は止まっていませんが、それほど傷は深くはないようです。
 転倒の衝撃でヘンチクリンになったTT BARを直すのに30分ほどかかりましたが何とか復元。膝からの出血はやっとおさまったようです。BIKEにまたがり、本来の目的である選手登録会場へ向かいますが、やはり膝の感じが芳しくありません。
 
 会場へ着くと、関空から一緒だったお三方と遭遇、...
 「あれれっ、その傷は・・・」
 「路面から突き出ているリフレクターをかわしたあとで思いっきり、コケました」
 「試合は大丈夫ですか?、でもまあ、今日(水曜日)でよかったですよね」
 (なるほど、土曜日までは3日あるという考えか・・・)
 という超ポジティブマインドの激励をもらいました。
 会場では誰からも、肩から膝にかけての傷を見るにつけ、かわいそうに、あの人、多分ダメなんだろうな・・・という憐みの視線を受け続け、いたたまれない気分になり、さっさと会場を後にしました。

 3週間前のギックリ腰、以来練習をしていないというのに
これで本番の土曜日まで全く何もできない状況になりました。
行けるところまで行ってダメならDNF、という気持ちでスタートすることに気持ちを決めました。あとは3日間本でも読んで過ごします。

 でも往生際が悪く、毎日海へ行ってSWIMだけは練習しました。水温はなんと32℃!!! ぬるい温泉なみです。郷里の
温水プールよりも暖かいです~ 泳いでいてのぼせます。

 はい、レース当日です。
 3:00amに目が覚めました。向かいの若いカップルの部屋からマイケル・ジャクソンの歌声が0:00amまで聞こえていました・・・まあ、悩ましい女性の声でなくてよかったと切り替えます。というわけでちょっと、(ケッコウ)寝不足です。

 3日前の落車による傷口は乾いてかさぶたになっていますので問題ありませんが、打撲の痛みが少し残っています。不本意ではありますが、今日は完走が目標です。

...

 5:00am会場入りし、BIKEの装備を点検していたら、あららっ、サイクルコンピューターを部屋に忘れてきてました~
とはいっても、今日はスピードは問題ではありません、ドンマイ、ドンマイ。3週間前までの好調さを思うと何とも情けないです。最終盤の仕上げの重要さを痛感しています、ハイ。
 
 ぎっくり腰、落車を思うと、このレースには何か不気味な雰囲気さえ感じていました。「出るな、出るな」と何者かが囁いているかのような気さえしてきます。でも出るんだな、俺。

 号砲一発、スタート~
 のんびり泳ぎ出します。なんか、来るたびに水の透明度が落ちてきてるような気がしますねえ。その名にし負う、Langkawiのビーチリゾートだというのに・・・
 ローリングスタートですので混雑はほとんどありません。快適です。一周回終わって給水を取ってひと息。暑い1日になりそうです、日差しがここ数日とは違います。いよいよ、乾季の到来のようです。
 3.8km泳ぎ終わって時計は1゜20'ほど、例年より5分遅いですが、想定内です。T1でスイミングキャップを脱ぐと水がドヒャーと出てきてビックリ。全部、汗でした。この時点で相当、発汗していました。まあ、32℃の水の中で1時間以上泳いでいればそりゃ、そうですよね。

 BIKEに乗り勇躍、スタート。180kmの長い道のりです。
 脱水には注意が必要です。という訳で、20kmほど走ったところで、郷里宮古から持ち込んだ、海水から作った天然の塩をひとつまみ、口に放り込みました。「しょっぱ!」と思ったらしょっぱくありませんでした。5秒ほどしてから徐々にしょっぱくなりました。ははぁ、こりゃ、もう既に脱水の症状だなと確認。
 50km地点で一瞬、立ち漕ぎしてみたところ、両太腿内側がが同時に攣りました。ひえー、あれれ~ 勿論、漕げません。

 BIKEを漕いでいる最中に両太腿が攣るという事態は自転車が推進力を失った時点での、即、転倒を意味します。何しろ、シューズをペダルから外すことすらできないのですから、転倒を防ぐ為に足をつっかえ棒のように横に出すことさえ不可能なのです。私は精いっぱいの力で両太腿にびんたを繰り出し、刺激を注入します。そんな様子を見ていた沿道の村民が大笑いで私の行為を見ています。私の必死の行為がどうやら滑稽に見えていたようです。
 しかし幸いなことにそこは緩やかな下り基調の道だったようです。BIKEが完全に推進力を失う前に私の太腿は何とか回復してくれました。スピードゼロとはいえ、何の防御もなくコテンとBIKEもろとも、横倒しになるのは怖いものです。         
 ハイ、ご察しの通りです。一度、攣ってしまうと何度も攣ります。宮古の塩をなめ、相当量の水分を意識してとっていましたが、このざまです。起こったことに対応していては遅いという事を痛感します(今頃かよ!)。今まではある程度、肉体が耐えられていたのでしょうが今回は想定以上の負荷だったようです。一か月近く、トレーニン...グを休んでいたという事も原因ですが、寝不足も堪えているかもしれません。
 というわけで、この後、同じような腿の攣りに10回ほど悩まされる事になります。登り坂で攣ってしまうと万事休しますので、押しました。ひえ~、レース中にBIKEを降りて押すなんて初めてです!

 必殺技、TT BARを握った時は、水曜日に転倒し裂傷した左肘を肘休めに置くのですが痛くて長時間置けないため、必殺技を持続することができず、常に風を受けて走っていた事になります。そして35℃の日差しが背中を照らします。そしてそれが知らぬ間に、徐々に私の肉体を蝕んでいったのでした。

 100km地点ぐらいだったでしょうか、エイドで「飲み水をくれ~」と叫ぶと、「飲み水はもうない!」と返事が返ってきました。なんてこった!!!あまりの暑さに 速い選手たちが相当量の水を使ってしまったのでしょう。じゃあ、体にかける水でもいいや、というわけで、ペットボトルの飲料水ではない、多分水道水?の水をもらってゴクリゴクリ、ゴクリ!もうどうにでもなれ!って感じです。
 体内に取り込む水分も勿論必要ですが、実はこの時点では体温を下げるための掛け水も相当重要だったようです。
 と、気づいたのは、悲しいかな、相当あとになってからでした・・・

 気温35℃のレース中に飲み水の補給が受けられないレースは非常に危険です。翌日聞いた話では、掛け水が枯渇したエイドステーションもあったようです。しかし体を冷却したい選手はあとでべとべとすることがわかっていながらもスポーツドリンクを体にかけてしのいだといいます。脱水症、熱中症などといった暑さによる障害はその症状が出た時点でアウトです。症状が出る前に対応していなければなりません。
 というわけで私は過去の失敗から、脱水症の対応には気を使っていました。

 2014年のIRONMAN CANADAでは大陸性の暑さ故に失敗しました。湿度が低いために発汗があまりありません。とはいっても30℃のなか180kmもBIKEで漕いでいれば汗もかいているはずです。しかし、日本でトレーニングしている時のような滝汗など無縁です。トレーニング中は、発汗量を見ながら水分を摂っていましたから、発汗がない分、ついつい補給がおろそかになってしまったのでした。気づいた時には、突然オールアウトになってしまいました。
 ...
 ですから、今回はこまめに塩分と水分を摂って、内部からの日照りには十分対応できましたが、まさか日射に直接、体を焼かれる熱中症で不本意な結果になろうとは思ってもいませんでした。過去にそういった症状の兆候すら感じたこともありませんでしたから、まったくの不意打ちでした。

 BIKEもやっと終盤、何とかBIKEパートは終われそうです。

 175km地点ぐらいだったでしょうか。道路から左の芝生地帯に落ちて、倒れている二台のBIKEが見えました。一人は悶絶して、大きなうなり声を発しています。もう一人はその男性を必死に励ましている様子でした。私はBIKEを停め、「大丈夫ですか?」と声を掛けましたが、悶絶したまま、返事がありません。完全に救急車が必要だと判断し、「そのまま、もう少し頑張ってください」と励まし、BIKEに跨り、救急車を呼ぶべく先を急ぎました。少し走ると、その現場へ向かっていると思われる救急車に遭遇、大事に至らないことを祈るのみです。

 やっと私の180kmも終わりです。いやあ、バテました・・・。

 T2に入るとボランティアの人がBIKEを受け取ってくれます。が、BIKEを降りようとして足を大きく後ろへ振り上げた途端、パキーン!と攣りました。「う~」と思わず苦悶の声が出ました。すると私のBIKEを受け取ろうとしていた女性が「攣ったのかい?」と聞いてきました。「イヤァ!」と答えると、走り寄ってきてBIKEを抑えてくれ、ゴール直前での転倒を免れることができました。やれやれ。     
 7時間20分かかりました、いつもは6時間15分ぐらいですから相当遅いです。

 広大な体育館がT2です。そこでBIKEからRUNへの支度を整えます。RUNに必要な物を入れたバックを受け取り、着替え室に入ります。そこにはメッカの方向に向かって神に祈りを捧げるモスリムの選手達がいます。会場にお祈りのスペースが確りと設けられ、下半身に布をまとい、順番を待っています180km、BIKEを漕ぎ終わって即、膝をつき、頭を下げる動作を、何度も繰り返します。私はもうヘロヘロだというのに、彼らは至って元気な様子です。一刻を争う競技をしている選手が多いというのに、彼らは神への祈りを粗末にすることはありません。感心しながらそんな様子を見ていたら体が小刻みに震えだしました。あれれ、なんか変だぞ、こんなことは今までに一度もなかったがなぁ。    
 震えもそのうちおさまるだろうと思いながら靴下を履こうと思い、右足を上げた途端、腹筋が、パキーンと音でも出たかと思うぐらい確りと攣りました。もう、悶絶です。立ち上がり、腹を突出し、腹筋を伸ばしますが容易には収まりません。隣に座っていた選手が、「大丈夫かい?」と聞いてきましたが答える余裕すらありませんので、腹筋を指さして「ここ、ここ」。しばし時間をおいて、靴下を履こうとしますが、また、同じように攣りそうで怖くて右足を上げられません。その間も体の小さな痙攣が続いています。足といわず、腕、背中と全身が小刻みに震えます。まるで寒さに耐えかねているかのような震えです。その時点では脱水を考えましたが、塩分も水分も十分にとっていたように思います。頭は極めてはっきりしていて、自分の症状も自覚がありました。う~む、これはいったいなんだろう、と考えながら震えが落ち着くのを待ちました。
 そんな間にも、選手が次々にやってきては、着替えて、最後の種目42、195kmのマラソンに出発して行ききます。私の様子を見て、「のんびり、十分休んでから出かけたほうがいいよ」などと、声をかけてくれます。皆、きついトレーニングを積んできた者たちですから、選手の気持ちは理解しています。お祈りを終えて走り出す選手もいます。

  マレーシアのホテルの部屋の天井には例外なく、矢印が書かれています。目覚めた朝や、昼寝を終え、目を覚ました時に、はて?と気付きます。メッカと思われる方向を記している矢印です。
 お隣の国、インドネシアが世界一イスラム教徒が多い国とされていますが、ここマレーシアも負けてはいません。多くの選手がまあ、引きも切らさずお祈りコーナーに入っては祈り、着替えては、走り出していきます。小刻みに痙攣する全身が落ち着くのを辛抱強く待ちながら、そんな様子を眺めていました。いっその事、私も「この震えを止めてください」とアラーの神にお祈りしたいほどでした。
 何とか靴下とシューズを履いて走り出せる格好は整えましたが、いかんせん、いつまたこの痙攣が始まるやも知れず、不安がいっぱいです。おまけに肝心の「やる気」が萎えていました。私同様、椅子に30分ほど座っていた隣の男が、「まあ、どこまでいけるかわからないけど、行けるところまで行ってみるよ」といい残し、去っていきました。「GOOD LUCK」と声を掛けます。
 決められた制限時間にはまだまだ余裕がありますが、次から次とトランジ...ッションに入ってくる選手は一秒たりとも無駄には出来ないと必死の形相で着替えを急ぐ者がいたり、まったくそんな様子は見せず、のんびり着替える者など様々です。私は完全に傍観者になっていました。何しろそこに一時間半も滞留していたのですから・・・
 三週間前のぎっくり腰から始まり、三日前のBIKE落車といい、どうも今回のマレーシアはいいことがありません。何とかBIKEまでは終えましたが、42.195kmという距離が途方もなく遠い道のりに思えて、現実的とは思えません。
 というわけで、リタイヤを決めました。三週間前までは相当いい状態だったのですが・・・
 係員にその旨、申し出ると、「いやいや、あなたはこれから全行程歩いたって、制限時間に間に合うよ」と励まされ、翻意を促されました、あれれっそんな~
 「いやぁ、全身が痙攣してとてもレースを継続できません」と、なぜか私が係員を説得する羽目に。何とか説得してリタイヤ成立。やれやれ。

 ゴールまで行き、身の回りの物をピックアップしに行く途中、シャトルバスに同乗していたやはりリタイヤした若者が二度ほど「車を停めてくれ!」と必死にドライバーに叫び、ゲロを吐いていました。分かります、その感じ。
 プロの選手がもうゴールしていました!私はゴール付近の商店街をレースの時のままの服装でのまま歩いていたので、行き交う応援の人達は、私はもう既にゴールして余裕で散歩する選手に見えていたに違いありません。そんな視線を向けられるたびに私は「いえいえ、私は途中リタイヤした根性なしなんですよ」といちいち弁解したい思いになりました。というわけで、私はさっさと歩いて、ホテルへ引き上げました。

 向かいのカップルの部屋からは相変わらずマイケル・ジャクソンが流れていましたが。RUNはしなかったもの、それでも疲労困憊していた私はシャワーを浴びてさっさと寝ました。向かいの部屋のカップルが仲良く夜の街へ繰り出していく音がしていました。
 夜半過ぎ、何かの音で目が覚めました。どうやら向かいの部屋からのようです。ドア越しに何か話しているようです。男が中で女が外のようです。そのうちいきなり女がドアを思いっきり叩く音がし始めました。あれれ、ケンカだ。
 そのホテルは中央にプールを配し、その周りに部屋が点在する造りになっていて、何事もよく響くのです。ドアを数回、強烈に叩く音がした後、女の絶叫が始まりました。英語ではありません。夜の零時過ぎだというのに、一切の遠慮がありません。ホテルの敷地内に女の絶叫が響き渡っています。私の部屋のドアを開けると、そこに絶叫女がいるという構図ですが、「お静かに願いますか」といえる状況ではありません。彼女の怒りがこちらに飛び火でもしてきたら大変です。女のあまりの大声に男がドアの隙間から「静かにしろ」とでもいったのでしょう、またドア越しに静かな声で話し声がありました。その後、どうやら女が部屋へ入ったようでした。やれやれ、一件落着。と、思った瞬間でした。何か陶器のようなものが割れる音が響き渡りました。あろう事か、その何かが割れる音は、十回ほど続きました。韓流ドラマを見ているかのようでした。ホテルのフロントに電話をしようかとも思いましたが、携帯電話が席巻するこの世、もう部屋に電話を置かなくなっています。というわけで私は向かいの部屋でただただ悶々と辛抱強く我慢するのでした。

 どうも私は旅先での隣人に恵まれません。去年のノルウェーではイビキがうるさいインド人に悩まされ、四年前のスイスでは真昼間からから窓を開け放して、大袈裟に性交する隣部屋の若者に辟易し、五年前のカナダでは夜遅くチェックインしてきた同室のメキシコ人のスマホに悩まされたり・・・いつも隣人に恵まれません。

 翌朝、街の通りはIRONMAN MALAYSIA完走Tシャツを着た人で賑わっています。何事もなかったかのように悠然と歩を進める者もいますが、足を引きずりながら精一杯歩く者もいます。でもその表情は苦笑いを隠そうとはせず、満足感に満ち溢れています。一方、私はといいますと、その完走Tシャツがありません。勿論、誰も私がリタイヤした者だとは分からないのですが、私の心は惨めそのもので、敗者以外のなにものでもありません。
 その日の夕方に行われる上位入賞者の表彰式や閉会式に似たパーティーに出ましたが、やはり完走した者とのテンションの差は歴然としています。どうも楽しめません。
「レースはどうだった、暑かったよなあ」などと聞かれたらどうしようと要らぬ心配までしてしまいます。リタイヤした者の末路は結構、気の毒です。

三週間前のぎっくり腰、三日前のBIKEでの落車がありましたが、今年のマレーシアは暑さが厳しかったです。結果的には暑さにやられてしまいました。

 しかし、暑さにやられてばかりで終わるつもりはありません。というわけで、来年はマレーシアよりもっと暑いと選手が敬遠すらする、6月のIRONMAN SUBIC BAY フィリピン を申し込みました!
 返り討ちに遭わない様、トレーニングを積んで挑みたいと思います。

やっと、終わり。