IRONMAN SWIZERLAND 参戦記

 

IRONMAN ZURICH (SWIZERLAND) 参戦記

 

 

 

 スイスからオーストリアを巡る7日間、700kmの自転車旅を終えて、今年の私のIRONMANの地、ZURICHに戻ってきたのは大会4日前の深夜。オーストリアのLINZで電車を一本逃してしまった為、2時間遅れのZURICH着。

 

 「予約していた、HIROSHI ITOですが、私の予約はまだ生きてますか?」というと、

  「勿論ですよ、Mr, ITO」という返事でひと安心。7日間の旅に出る前にそのホテルに一泊して、旅で必要な荷物以外は全て預かってもらっていた。深夜着とはいっても首尾は上々。6泊分¥80000弱をカードで払って爆睡。スイスは何でも高いぞー!

 

 翌日、レース会場を下見がてら、走って会場に向かう。この大会はT1T2とも同じ場所にあるので何事も簡単&楽。ところが思っていたよりも少し遠い。とはいってもホテルからは5kmほどか。まあ、レース当日、歩いて行くにはちょうど良い距離だ。

 

 レジストレーションを済ませ、200mと離れていないSWIM会場へ向かう。トライアスロンとは関係ない人々も久しぶりの太陽を逃すまいと日光浴に積極的だ。ウェットスーツを着ないでZURICH湖に入る。波が結構高いが、透明度はまあまあ。魚もよく見える。水を飲んでみるが、何か石灰質っぽい味がしてゴクリゴクリと飲めるような代物ではない。湖岸の芝ではトップレスの女性もチラホラ見えるが、これはエチケットとしてじろじろ見るべきものではないような気がして、チラ見で終わり。

 

 大会前々日。やることといえば、競技説明会、パスタパーティーに参加することだけ。スイスというお国柄、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、英語と5か国の競技説明会が行われる。英語の会に参加して帰ろうとしたら突然のシャワー。まあ、1日に2、3回あることなので上がるまで待とうと思っていたら、フランス語の説明会が始まったのでしばらく聞いてみるが理解不能、フランス語手強し。こうなれば、ホテルに帰ってもまたすぐパスタパーティーに戻ってこなければならない。というわけでトライアスロン用品を売っているEXPOのブースを散策して時間潰し。

 

パスタパーティーではスイスならではの音楽の生演奏で終始、和やかな雰囲気。翌々日の為に、頑張って食べる。喰えない選手は強くなれない。

 

 レース前日は本当にやることがない。まあ、BIKEの調整と試運転ほどか。7日間の自転車旅行に使ったホイールはあくまでも旅用。決戦用のZIPPに交換して、ブレーキの当たり具合を調整。後輪の回りがいまいち滑らかでないような気がするのは気のせいか?空気圧を高めにして準備完了。実際のコースを20kmほど走る。そのコースは7日間の旅の際にZurich脱出の際に走ったコース。路面の状態の良さは日本の比ではない。ほんの少しの凹凸、段差でも必ず注意喚起の表示がされてあり、自転車が大事にされていることがよくわかる。トランジッションバック&BIKE預託にBIKEで出かけ、帰りに明日の朝食のサンドウィッチと今晩の食事を買い込む。円換算で¥2500もする「SUSHI BENTO BOX」を冷蔵庫から取り出す。やはりレース前には飯粒でなければ戦えない。何しろ日本を出てから14日間、飯粒と魚を一切口にしていない。そんな経験は私の生涯で初めてである。冷蔵庫に入っていた「SUSHI BENTO BOX」は想像通り、飯粒がボロボロこぼれ落ちる代物。しかしそうはいってもやはり飯粒、腹に感じる例え難い重量感が良い。胃袋が歓喜している。明日はいつも以上の快便間違いなし。天気予報は曇天。まあ、一度や二度のシャワーは覚悟せねばなるまい。少し緊張感があって11時過ぎまで寝られなかった。

 

 レース当日。腕時計のアラームが鳴る30分ほど前に起床。6時間弱の睡眠は確保できた。問題なし。すでに夜は明けている。サンドイッチ頬張りながら歩き出す。スタートまであと2時間、問題なし。RUNのコース上に設けられているトイレに寄る。快便、問題なし。愛車を点検、問題なし。補給食をBIKEに装着し、2度目のトイレ。そして早めにウェットスーツを着る。何しろ少し小さめ(太った?)なのでちょっと手間取るのである。15分間だけ許されている試泳に間に合わせなくてはいけない。去年のIRONMAN JAPAN以来、1年間振りのウェットだ。入水、首の裏が痛いので少しジッパーを下げ、直す。このまま泳いでいたら大変だった。

 

「スタートまで5分!」。の放送が流れる。

10分刻みに設けられた目標タイムの書かれたボードの下に集合する。私は70分の所に行く。この大会のSWIMスタートは8列に並んだ選手が5秒ごとに飛び出す仕掛けになっていて、バトルがそれほど発生しないような工夫がされている。たかが5秒というなかれ、これが完璧に機能していた。心臓がバクバクする間もなく、「GO !」と号令がかかり、湖に駆け出す。が、50mほど進んだ辺りで、心臓バクバク! 立ち泳ぎで呼吸を整える。を3回ほどやってしまった。3.8km、一周回の長いSWIMの旅に出発だ。

  過去、6か月、週二回のSWIM トレーニングを欠かさずやってきたのであるが、スイス、オーストリア、ドイツ、チェコの二週間の旅の間では一度も泳ぐことがなかったので、泳力が落ちていることは予想されていたので焦らず、空蹴りになる癖のある左の蹴りを意識しながら、リズム良く泳ぐことに努めた。2.5kmほど泳いだ辺りから進みが良くなった感じがあったが長続きはしなかった。波もそれほどなく、非常に良いコンディションだった。SWIM のゴールが見え始めたあたりから、皆そこを目指すために多少のバトルが発生したが極めて穏やかなSWIMを無事ゴール。腕時計を見ると120‘、遅いなあという印象。遅くても115’程度かと思っていたのですが。

    

   SWIM   12041”   5054歳 79/155人    全体 937/1583

    

   T1。焦らず、のんびりウェットを脱いで、補給を済ませ、BIKEに跨り、180kmの長旅に挑む。湖岸の道30kmほどは完全にフラット。世界中から集まる観光客の声援を受けながらペダルを踏む。スピードメーターは36km/hを指しているにも拘わらず、どんどん抜かれる、参った。一度Zurich湖に別れを告げ、山に入るとますます抜かれる!斜度10%というぶどう畑の中の九十九折を登る、「The Beast」という名物の坂ではごぼう抜かれ。   

 

  私の背中のゼッケンを確認したのだろう、追い越し際、丁寧に「MrHiroshi 大丈夫かい?」と声をかけてくれる人までいる。「ああ、今のところはねえ」と返事を返す。その男の背中のゼッケンを見ると60-65歳のエイジの表示。あっという間に見えなくなってしまった。強いなあ。ある女性は、TT Barの間にある、私が自作した補給食を入れておく100均製、針金でできたメッシュの籠を見て、「それは良く出来てるわねえ」といいながら勢い良く追い抜いて行ってしまった。「ああ、俺のアイディアさ」と自慢したのですが多分、聞こえていなかったでしょう(チクショウ!)。その「The Beast」を登り切るとしばらく高原地帯を走ることになるのですが、この辺りの軽いアップダウンが思いの外、キツカッタ。そういったところで実力差が出てしまうわけです。登れば必ず下りが来るわけで、それを楽しみにしていたのですが楽しむどころではありませんでした。前後に選手がいないことを確認して下り始めたまでは良かったのですが、怖いほどスピードが出ていました。スピードメーターをチラッと見たところ70km/hという表示が・・・。路面状態も非常によかったのでそのまま下ります。BIKEごと、体が浮かびそうな恐怖心との戦いです。実のところそれほど戦わなくても良いのでしょうけれども、それは競技者の性です。ブレーキを引きながら下ればいいものなのでしょうが、どうもブレーキを引くことを潔しとしないのが競技者なのです。そのスピードで転倒しようものなら結末は火を見るよりも明らか、リタイヤだけで済むはずはありません。まあ、そこもなんとかクリアー。

 

湖岸に戻ってきて、スタートした地点を通り過ぎると13%の登りが2kmほど続く、「The Heart Break Hill」が待っています。ツール・ド・フランスのDutch Cornerと同じで、登っている坂のその先の道が応援する人の波で見えません。完全に道が塞がれている状態です。嫌がらせを受けている感覚になります。人々は選手にぶつかるほどの近距離で大声を張り上げて選手を鼓舞しますが、選手のBIKEが自分の目の前に来た瞬間には辛うじて道をあけて選手を通すのです。その身のこなしの素早さは驚くほどで、感心させられます。20回目のIRONMAN ZURICH 、応援する側だって20年やってきているわけですので慣れたものなのでしょう。

 

 

 

 

このコースを2周回して180km走ります。

 

もう既に1周回走っていますので、2周回目は何となく走りやすいです。とはいっても「The Beast」の下りは二度目もやはり、怖かったです。1周回目よりもスピードは出ていたようですが、スピードメーターに目をやる余裕はありませんでした。レース終了後、最高速を確認しておおいにビックリしました。 [75.5km/h] とあるではないですか!私の自転車乗りの歴史史上最速です。もうこれ以上のスピードが出ないことを祈ります。なんていったって、私ももうじき54歳ですので・・・。

   700kmの自転車旅が効果的だったのかもしれません。180km走り終わりそうになっても過去9回のレースの時ほどの疲労感はありません。尻の痛みがなかったことが何よりも喜ばしいことでした。無事、BIKE終了。

 

 BIKE   617’01”    5054歳 77 /155         全体 915/1583

 

 平均時速は28.69km/hでした。目標にしていた30km/hまでは届きませんでした。

 

 T2。焦らず、急がず、のんびりと自転車を降り、テントへ。キャップを被り、補給食を詰めた腰ベルトをしっかりして、シューズの紐をきつく締めて、さあ42.2kmに出発です。

 

このコースは10km4周回、ZURICHの街のど真ん中を走ります。世界中から来ている観光客はIRONMANレースの日にたまたま居合わせてしまっただけの人達です。まあ選手の家族や友達も多少はいることでしょうが、ほとんどの観光客は、いったい何のレースが行われているんだこりゃあ、といった人たちばかりだったはずです。RUN では、1周回するたびに色が違う腕輪をはめるので、選手の回った回数は簡単に判別できます。私が走り始めた時には既に、二本の腕輪をはめている選手もチラホラ見かけましたから、その差も一目瞭然です。

 

IRONMANレースのRUNでは入りの1kmのタイムが肝心です。入りのスピードのまま走り続ける傾向があるからです。構想では5’45” 程度で入り、そのまま行けるところまで行くというプランを立てていましたから、コース上に設けられた五か所のエイドステーションに立ち止まってのんびりしている暇などないはずなのですが、精神的に脆いワタクシ、どうしても甘さが出て、エイドで長居してしまいます。

 

RUNコースは観光客が誤って入り込まないように作ってありますが、湖岸のビーチ沿いの遊歩道がそのままコースになっていたりしますので、目のやり場に困るようなビキニの女性が目の前を横切るといったことが普通にあります。コースそのものはUP&DOWNが少なく、適度に日影もあり、応援も途切れることがない非常に良いコースといえます。

 

なぜか、「HIROSHI  ! 」とか「JAPAN  ! 」とか、「SAMURAI  ! 」と叫んで応援してくれる人がたくさんいます。どうやら、腹のところにある私のゼッケンの番号と名前が見えるらしいのです。それも、私とすれ違う10mほども前から認識できるらしいのです。そうなると私も礼をせざるを得ないわけでして、「Thank you」を繰り返す羽目になります。どうやら、スイス人に近眼の人はいないようです。

 

1周回終わって、コース上にあるトイレに駆け込みました。競技補始めて8時間ほど過ぎて初めての小用です。水分は既に3ℓほどとっていたはずですので曇りがちの天候とはいってもさすがに排出の時間です。しかし一時間後、またしても尿意。トイレに駆け込んだものの、あれ?出るはずのものが出ません。それどころか、下っ腹の辺り、膀胱の奥の方で妙な鈍痛があります。感じたことのない感覚です。まあ、体が限界だ!と訴えているのでしょう。レース中に飲む補給食の取りすぎのように直感しました。体力の限界が近づいてきている状況の中でそれほどスピードを上げられず、ただただ一定のペースを守って走っている中でも補給食だけは適度にとっていましたがどうやら消費量よりも補給の方が過多だったように思ったのです。というわけで、補給食を少なめにし、水の摂取に努め、体内を水っぽくすることにしました。それが功を奏したのか、その後、妙な尿意を感じることはありませんでした。

しかしペースは上がりません。それどころか6’30” 程度に安定しています。4時間切りを目指してトレーニングを続けてきました。体重も5km減らし、30km走を4回こなしました。自転車旅の途中でも、一度だけでしたが、好奇の目に耐えながらオーストリアの田舎町で10kmほど走りました。しかし、今日の本番では、RUN どころかJOGにもなっていず、摺り足に近い走りです。わかってはいるもののそう簡単にペースは上げられません。といいますか、落ちないように維持するだけで大変です。エイドステーションでの滞留時間も徐々に伸びていたかもしれません。20km2周回終わってもまだ、20km残っています(当たり前)。その頃には、もうゴールしている人も大勢います。ゴールは、最後4本目の赤い腕輪をもらった後、1kmほど走り、周回コースを急に180度回ると、赤いカーペットが敷かれたビクトリーロードが現れ、それが最後の100mです。従って、まだゴールではない選手と、もうゴールする選手がゴール直前の180度の急反転する地点までは入り乱れて走っています。並走していた選手が急転回してゴールへ向かっていくと急に気持ちが萎えます。

  あと1周回残していた私が、ゴール前を素通りしていくと、ゴールに向かって走っていく女性の選手が感極まったのでしょう、急に手で顔を覆って泣き出した時は、これからまだあと1周回あるというのに私まで感極まって危うく感涙するところでした。(おいおい、何でここで感激するんだよ、自分のゴールでもそんなに感激しない男が)と自分に問いかけたほどでした。

 

ゴール付近で応援する人たちも大変です。その選手がゴールなのか、まだ周回を残しているのか認識する術は腕輪だけです。最後だー、頑張れー!と叫んでみたら、まだあと2周回残している選手だったなんてことがありますから、苦笑いするしかありません。

 

私は三つ目の腕輪を受け取ったあたりから、徐々に歩き始める羽目になってしまいました。そうなるとペースは7’30”ほどに落ちていたはずです。その頃、7:00頃からは、通りで応援する人達の数もめっきり減ってきて、急に寂しい雰囲気が漂います。湖岸で泳いだり踊ったりしていた人達も家路につき始めたようです。時々我々選手を痛めつけていた夏の日差しもさすがに弱々しいものになってきました。途中で行き違う選手の数も徐々に減っています。

 

当初考えていたRUN 3時間台の狙いはスタート直後にあっさり崩れ去りましたが、今となっては4時間台も危うい状況です。

 

「残りあと5kmだ、頑張ろう」。歩いている私に声をかけてくれる選手がいます。一昨日から取り始めたサプリメントの効果でしょうか、体の部位が攣るといったことが一度もなかったのは救いです。酷いときは下半身といわず、腕までもが攣ったりするものです。

 

4本目の腕輪を受け取ると俄然元気が出てきます。真っ赤な腕輪は憧れの腕輪です。それを受け取れば残りは1kmです。

 

ゴールする一人ひとりに「YOU ARE AN IRONMAN ! 」と叫び続けている、アナウンスの声が遠くに聞こえています。もうしばらくすると私もあの180度ターンを回る栄冠が味わえるのです。

 

ゴールが近くなるに従って、応援する人が増えていきます。1位の選手がゴールして既に4時間は過ぎているのに、幅3mほどあるRUNコースの両脇にはまだ二重三重の人垣があり、見知らぬ選手一人ひとりを応援しています。180度ターンをし、ゴールまであと100mのレッドカーペットに入ると、ここはゴールするあなただけに与えられたステージですといわんばかりの直線で、見られているのが恥ずかしいほどです。誰とはなく次々と差し出されるハイファイブに手を合わせると、「HIROSHI  ITO  From  Japan ! 」と大声でアナウンスされて、「You are an IRONMAN ! 」とお決まりのセリフで無事ゴールイン。 1250’  21”の長い一日が終わりました。やれやれ。

 

  RUN   500’ 50”   あれー、5時間をオーバーしちゃいました!

 

    50-54歳  65/155人   全体874/1583人 

 

 その足でそのままシャワーに向かいます。その先には大型のトラックが一台止まっています。大型トラックの後ろのパネル部分が全てシャワールームになっている優れものです。完走者に渡されたバスタオルがやけに小さかったので、持ち物の大きい(長い?)人は先端がはみ出したりしていますが、まあ、そこは完走者と係員しか入れない場所ですのでお構いなし。シャワーを終えたある女性選手は上半身裸のまま、芝の上に寝転がって完走の余韻に浸っていますが、男性選手、そこでスケベ根性を出してはスポーツマンとしてエチケット違反。見たい気持ちをぐっと押し殺し、いかにも見飽きたような態度で平然としていなければなりません。  

 

シャワートラックに入ると20口ほどあるシャワーの下で白い人、黒い人、黄色い人が無心になって汗だらけの体を洗い流しています。

 

完走者Tシャツに着替え、ビールを貰いに行きます。完走者はジャグジーに入ったり、芝に寝そべったり、リクライニングチェアーに寄り掛かったりしながら、ビールを飲んでいます。私も長椅子に座って念願のビールを口にします。ところがそのビールが不味い!失敗したクラフトビールの典型のような味だ。参ったなあ、と思っていると向かいに座っている30歳ぐらいの男が話しかけてきました。

 

「あなたは何度目のIRONMANですか?」

 

「ロングのトライアスロンは10回目です」

 

と答えると、そのIrelandから来たという男は目を白黒させて驚いていました。

 

「私は去年、地元の大会でハーフを完走できたので、これでIRONMANに挑戦できると思って、このZurichに申し込んだのですが、キツカッタですよ。BIKEが終わった時点で、自分がBIKEを頑張りすぎたことを知って愕然としました。RUNを走る足などどこにも残っていませんでした。それでも何とか完走はしましたがね」

 

「まあ、みんなそんなもんですよ、何回やってもね。私は二度リタイヤを経験して、この完走Tシャツのありがたみがわかりましたよ。この薄っぺらなただのTシャツですが明日の朝、これを着て街に出た時の晴れがましさといったらありません。私がリタイヤした大会では、完走者が皆、完走Tシャツを着て街を闊歩しているのに、私にはそれがなかったのです。たかが一枚の薄っぺらなTシャツなんですがねえ。ですからこれを手に入れれば皆、ウィナーってわけですよ」

  CanadaIRONMANでリタイヤした時の私の偽らざる気持ちである。

 

またどこかの大会でお会いしましょうと声を掛け合い、握手して別れました。

 

不味いビールは二杯目を飲む気にならず、食事に向かう。

 

タイカレーを頼んだがこれまた不味いゾ!困ったもんだ。

 

それから1時間ほど、ゴールに入ってくる選手達の姿を応援しながら見守った。腕輪を確認するとこれからまだ3周回しなければならない選手もいる。時間的に完走は厳しいだろうが、必死に声をかける。引き攣った苦しい笑顔で答えてくれる。

 

日が暮れる前には帰りたかったので、BIKEやトランジッションバッグのピックアップに向かう。この大会、完走後、それが即可能なので助かる。が、BIKEを跨いでビックリ仰天。尻の痛さが尋常ではない。

 

「尻が痛てー」を連呼していたら、どこかで女性が大笑いする声が聞こえていた。

 

必死の思いで5km完走。最もキツカッタのがこの4種目だったように思う。

 

ホテルに帰り、文字通り、泥のように眠る。

 

 

 

翌朝、完走Tシャツを着て、ZURICHの街を闊歩する。この一瞬で今までのトレーニングの苦労が報われ、ブレークイーブンとなる。実に晴れがましい。

 

さ~て、来年はどこの大会に出ようか。

 

 

 

成績 1250’  21”     50-54歳  65/155人   全体874/1583人