講師(宗夜)ブログ
●地球の歩き方🌏 くつ編・足袋編
先日のzoomプライベートお稽古にて、足の運びについて生徒さまにアドバイス申し上げました。
どなた様にも役に立ちそうなので、ブログでも紹介いたします。
生徒さまをふと見ると、踵(かかと)から着地されていました。踵から着地し、親指に力が抜けていく歩き方でした。
これは屋外のウォーキングやランニングで推奨される型の一つによく似ていました。
『ヒールストライク』と呼ばれているようです。
靴を履いた状態での美しい歩き方を研究すると、このような『ヒールストライク』になるのかも知れません。
この歩き方をされている方々は、男女ともに体型がスリムで身なりもきちんとされています。
私見ですが、仕事のデキるタイプがこの歩き方を身につけているように感じます。
美的センスが高いのだな、と見かける度に思います。まっすぐに前を向き颯爽と歩く姿は、男性にしろ女性にしろ、街中に映えて素敵です。
ただ、畳の上では『摺り足:すりあし』となります。足袋を履き、畳の上を歩くときの美しい歩き方となります。
摺り足は、足音が優しいのです。
シュッ、シュッ…と響きます。
足袋の布と畳の井草が擦られて音が鳴ります。
ほんの少しの湿り気を帯びた音。
高い集中力を有した時にこの音が出てきます。
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《美しい歩き方》
・足は爪先から、畳を擦りながら前に進める。
・爪先〜足の半ばまでを擦らせる感じ。
・踵は常に1cm浮かせておく。
・一直線上を歩く。足の親指と人差し指の間に一直線が通る感じ。
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いかがでしょう。
靴を履いた時の歩き方とはだいぶ違いますね。
土地の気候の差が、このような歩き方の違いを生み出しているように私は思います。
靴での歩き方は、乾燥した平らな土地での都市部で映えます。
大地を蹴って前に進む、推進力を感じます。
足袋での歩き方は、日本独特の湿った気候と、沼地の多い土地柄で生まれたのではないかと思っています。
沼地では上から垂直に足を下ろすと危険です。
ズブズブと身体が沈んでしまいます。
田んぼでも同じことが言えると思います。
摺り足で探りながら足を進め、足裏全体で大地を感じ、農作業を行うのだと思います。
昔の水田は、今よりももっと深かったそうですので、足の進め方一つでも、場合によっては命に関わったのではないでしょうか。
そして畳の起源を紐解けば、もとは稲の茎を編んでいたとのこと。
必要な時に、数枚を重ねてクッション性を持ち、不要な時には畳んで仕舞う。
畳むという動詞から『畳:たたみ』という名称が生まれたそうです。
摺り足とは、田んぼの神様や稲の神様に敬意を表するための、一種の儀式かも知れません。
だから摺り足は丁寧でとても優しい感じがするのですね。日本人の体型と気質に合っているように思います。
ぜひ皆さまの日常の生活でも、美しい摺り足を取り入れていただきたいと思います。
●帯が結ぶ人の縁
つい先日までお洋服でお稽古にいらしていた生徒さまが、着付け技術を身に付けてお着物で通ってくださるようになりました。
『わー!〇〇さん、お着物ステキ!』
『あらー!』
もう注目の的。
『見ないで、見ないで、恥ずかしいから』
と照れながらも嬉しそうな笑顔が溢れていました。
どれほど努力してきたか、みんな我が事のように分かるから『頑張ったねー!』と笑顔で誰もが迎えました。
ある日、茶道お稽古前に
『あら?帯が解けそうよ』
着付け経験豊富な生徒さまが気付いて声を掛けました。
『そう?なんとなくそうかなぁーと思ったけど直し方が分からなくて…』
『直してあげる…。ん?ここかな?ねぇどう思う?』
その生徒さまがまた別の生徒さまに声をかけて、
『こっちじゃないの?』
着付け初心者の生徒さまを挟んで、2人の先輩生徒さまが両端から、
『えぇっと、こうかな?これで良いのかな?』
と声をかけながら帯を直してあげていました。
私はお稽古直前のため、炭火を炉に焼べている最中で、3名のやり取りを横目で見ていました。
(手が空いていたらやってあげたいんだけど…)
と心の中で言いながらも、3名のやり取りがあまりにも楽しそうで、私の出る幕はなさそう…と微笑ましく思いました。
そしてつくづく
《あぁ〜、いい教室だなぁ〜😭》
と思ったのでした。
みんなで助け合えて、とっても居心地が良い。
3名から温かい空気が流れ込んできて、お稽古前にみんなみんなが優しい気持ちになりました。
別の曜日でも同じようなことがありました。
お稽古後に水屋で井戸端会議をしていたら、生徒さまの1人が
『あれ?なんか急に帯が緩んできた…』
と心配そうに自分の帯を見渡し、その途端アレよアレよと言う間に本当に解けてきてしまいました。
『ああ、どうしよう』
『大丈夫、私が手先を持ってるから』
『私はこっちを持つね』
『じゃあ先生、私たち控室で直してます』
『では』
『では』
その後楽しそうな笑い声が控室から豪快に響いてきて、私もつられて一緒に笑っていました。
やっぱりその日も
『あぁ〜、いいなぁ〜』
とつくづく思ったのでした。
そりゃあ格好良く着物を着られれば、それに越したことはないんだけど、
失敗したってそれも良いじゃない。
そんな風に思います。
一生懸命やってみて、それでも失敗もあるから、それはそれで。
『ふふふ』『ははは』と笑い合えたら、その瞬間はとても幸せ😊
着付けの生徒さまから
『こんなに着付けが難しいとは思いませんでいた』
と声を掛けられます。
『茶道と着付けとどちらが難しく感じますか?』
と聞かれ、
『両方とも』
と答えました。
覚えることは茶道の方が圧倒的に多いのですが、茶道は時間藝術なので、お点前が終わればお客様からその記憶が薄れます。
ところが着物は着ている間中ずっと着付けの点数が付いたまま過ごさなくてはなりません。
『あぁ、今日は全然ダメだなぁ』
と思っても脱ぐことは出来ません。
『しんどいなぁ、着物って』
と思うこともあったけれど、この厳しさがあるから、謙虚さが養われるように思います。
『先生くらいの腕がついたら、毎日の着つけも楽になりますか?』
と聞かれたこともあります。
『楽にはなりませんよ。』
とお答えすると、目に『マジで‼️』という気持ちが溢れていました。
そう、マジで。
ならないんだぁ、これが。
全然、楽にならないんだぁ。
『毎朝、毎朝が真剣勝負です』
毎回が真剣勝負なんだけれども、勝負だから真剣にやっても敗れることもあるんだけれども、
でも負けたら負けたで何だか清々しい。
だって真剣だから。
100年前、欧米諸国の人々が驚いたという日本人の武士道精神。
新渡戸稲造がその名も『武士道』という書籍を英語で著しています。
身分の高低に関わらず、なぜ日本人はこんなに礼儀正しいのかと、自身のドイツ人妻や、その岳父から問われ、それに答えるつもりで書いたとのことでした。
なぜ日本人が丁寧で、礼儀正しいのか。
私は着付けの難しさと無関係ではないのではないか、と考えています。
そしてもう一つ。
真剣勝負をしている人同士は、
苦労を知っている人同士は、
優しく励まし合うことができるのです。
帯が本当に結んでいるのは、人との縁かもしれませんね。
●着付けの心得
着付けの準備はしっかりと整えましょう。
準備が出来てから、着付けを開始します。
世の中には沢山の着付け教室がありますが、どのお教室でもこの作法だけは変わりません。
必要なものを必要な順に取りやすく。
きちんと並べてから着付けを開始します。
着付けの途中で『アレがない、コレがない』と動き回らないようにいたしましょう。
動き回るとせっかくの着付けが崩れてしまいます💦
着物をきちんと身に纏っている方は、着ている途中も美しいのです。
『一畳で着て、一畳で脱ぎなさい』
と着付け教室では厳しく躾けられます。
『一畳では広すぎる、半畳で十分』というお教室もあります。
最初は厳しく思われるかもしれません。
ですが、ぜひ実践していただきたいです。
自分が教える立場となってみると、この躾は大人の女性が素敵に存在し続けるためにとても大切なことを教えてくれていると思うからです。
着姿にその方の精神性が表れます。
着姿がきちんとされている方は、全てにおいてきちんとされている印象を周りに与えます。
言葉遣い、所作、時間やお金の管理など。
そして実際にお付き合いを重ねてみると、やはり最初の印象通りのお人柄ということが多いのです。
着付けの技術は訓練を積み重ねてようやく身につけられるもの。それが分かっている人同士は、一目見ただけで相手に信頼を持つことが出来ます。
着物を日常的に身につけていた時代は、このような躾は母親の仕事であったことでしょう。
子どもと大人の着付けは異なります。
その節目となるのが『十三詣り』に当たると思われます。
数え十三歳になった男女のお祝いの儀式で、子供用の着物から大人用の着物へと身につけるものを変えていきます。
18世紀の後半(江戸時代中後期)から行われた儀式とのことです。
十三歳というと、ほぼ初潮の時期と重なります。
ここで肩上げしていた子供用の着物を、大人用のものにして、衣紋も抜くようになります。
娘を持つ母親ならではの心配が、この時期にはあるように思います。
初潮を迎える年頃の娘さんは、野生的な色気のようなものが所々で表れてくるものだと思います。
まだまだ子どもだと思っていたのに…
母親から見てもドキリとするのではないのでしょうか。
腕や脚がほっそりとしてきて、首も長くなって綺麗になって。
色気があっても心配。なくてもまた心配。
どちらにせよ、素敵な女性に育ててあげたい。
野生的な色気を淑女の美しさに整えてあげたい。
そして大人の女性の着付けを娘に手取り足取り教えたことでしょう。
そのためなのか、着付けは難しいです。
十三歳というとまだまだ遊びたいお年頃。
幼さ残るその年頃には、余計に難しく感じられることでしょう。
『でもね、いつまでも甘えていてはいけないの。
もう大人なのよ。』
着付けは、そのように教えてくれているようです。
江戸時代中後期というと、文治政治や貨幣経済が整っていた頃です。
身分制度はあったにせよ、自らの才覚によって経済力を付けられる世の中でした。
シンデレラストーリーも夢ではなく、実際その時代の女の子達は、幼い頃から諸芸のお稽古に励んでいたという記録が残っています。
諸芸をするにもまず見た目(着物)ありき。
当時の母親も現代に負けない教育ママ振りを発揮していたのではないでしょうか。
大人になる年齢が、現代よりもずっと早かった時代。私にはその頃の考え方の方が、自然に思えます。私たちは余りにも甘やかされてしまった。
そんな風に思えます。
甘やかされているようで、誰からもハッキリと注意されないようで、でも最後は厳しい現実が待っている。
その現実に直面すると誰もが困惑する。
『え?なんで?なんでいけないの?』
誰からもハッキリ注意されたことがないから、許されることと許されないことの判断がつかなくなってしまった。これはつらい。
周りも迷惑するけど、本人が一番つらい。
着物を着られるようになったからといって、全てが解決するわけでもないけれど…
すぐに淑女になれるわけではないけれど…
それでも確実な一助になると私は思っています。
大人の女性には、ぜひ着物と向き合う時間を持っていただきたいです。
●平面の着物を立体の身体に纏う、着付けの難しさ
着付けは本当に難しいです。
平面のものを立体の身体に纏うのだから、そもそも無理があるのです。
りんご🍏に折り紙🟧を着つけていくような作業だなぁと思ったことがあります。
自分の身体よりもかなり大きい布を、折りたたみながら紐で身体に括り付けていく作業。
ボタンやファスナーなどで固定するのではなく、紐で括り付けていく。
着るのも一苦労だけれど、着た後も大変。
どうしても着崩れます。
折り畳んだところは、立ったり座ったりの動きと共に少しずつ開くからです。
着崩れを最小限に止めるためには、シワを数箇所に美しく折りたたんでまとめておくことが大切です。
不規則なギャザーにして放っておかず、
規則的なタックにするのです。
そして、お手洗いに行くたびに、タックを深く折り直して着崩れを直す。
この動作を習慣にします。
動物や植物の世話に似ています。
可愛いワンちゃんとか猫ちゃんに会うと、ついしゃがんで撫でたくなりますよね。
綺麗なお花を見るとしばらく眺めるし、少しずつ苗木が大きくなるのも嬉しい喜びです。
愛でる感覚で着物に向き合うと楽しくなります。
また、着付けの時間は自分の身体と向き合う時間にもなります。
指の関節や指先、体温などを上手く利用して着付けは進みます。
腰ひもの結び方の部分例です↓
●腰骨(寛骨)のところで余った布のタックをとって後に倒したら、そこに襟先を被せて、襟先ごと右手で覆います。
●右手の親指は背中側、4本指はお腹側です。
弛まないようしっかり覆いましょう。
●空いた左手で腰ひもを取ります。
取る位置は、中央よりも10㎝上です。
●その腰ひもを右手に持たせます。
右手の中指と薬指で受け取りましょう。
●受け取ったら親指でキャッチし直し、親指は紐ごと腰をホールド。背中側に回ります。
●4本指も紐ごと腰をホールド。お腹側に回ります。
いかがでしょう。
今の動き、紐を腰にホールドしただけです。
自分の身体を駆使して着付けが進みます。
え?中指ってどこだっけ?
薬指ってどこだっけ?
自然に集中力が養われます。
お稽古中は私のアナウンスに集中していただき、お一人で練習する時には記憶を辿ってアナウンスを思い出しながら進めます。
着付けの時間は『禅』に近いのではないかと思います。
禅は実践を通じて悟りを得ようとする教えです。
お道具を美しく仕舞うことや、
使いやすく整えることも禅に繋がります。
紐にきちんとアイロンをかける。
アイロン掛けの後で、シワにならないよう畳むコツを習い、その通りに実践する。
着物に付いた塵は埃を払って畳紙に仕舞う。
着付ける時には、それらを使う順に並べて静かに始める。
『因果』を自分の生活の中で見つけることが禅の教えの一部なのかな…と着付けを通じて思いました。
綺麗に整えると上手くいく。
こうすれば、こうなる。
という法則を自分の生活の中で見つけていくと、失敗が減ります。
失敗が減るとストレスも減ります。
りんご🍏に折り紙🟧を着せる。
いやいや、無理でしょう。
無理だけど、無理を承知で。
出来るところまでやってみますか。
失敗しても自分を責めないで。
だって最初から無理なことしてるんだから。
それが無理でなくなる瞬間が来るんだなぁ。
それが快感なんだなぁ…。
●着物との出会い その2
幼稚園のママ友のお家で、着物教室が開催されました。講師はママ友のお母さま。
着物に興味のあるママ達、5人。
わちゃわちゃ…と鏡の前に行ったり来たり。
うわ、ムリ。
腕が背中まで回らない。
よいしょ、っと。(帯枕を背負う声)
ああ、汗びっしょり。
女性が5人集まると、まー騒がしい。
ちっとも捗らない😅
ママ友達は、お稽古に来たり来なかったり。
わちゃわちゃ楽しいけど、私はもっと本格的に習いたいと思うようになりました。
その頃の私の趣味は、着付け、茶道、ウクレレ、絵本の開き読み、それから英語の勉強でした。
英語の先生になるのは難しいかも…と思いつつ、英語の勉強は好きでした。
結婚しても出産しても勉強を続けていました。
当時、NHKの教育テレビで、日本文化を英語で案内する『トラッド・ジャパン』という番組がありました。私はこの番組の大ファンで、毎週欠かさず見ていました。
この番組のテキストも素晴らしくて、読み物としても面白く、数年間熟読していました。
日本文化を英語で表現するには、本質を捉える力が必要です。日本文化を知らない日本人から見てもとても参考になりました。
これはコレ。あれはアレ。
とりあえず言い切る。
言い切って理解した後で、実は例外もある…と不足分を肉付けしていく。
なんて面白いんだ。
ああ、やっぱり通訳ガイドになりたい。
そして着物を着て日本文化を紹介したい。
それには、もっと着付け技術を上げなければ。
当時の着付け技術では通用しないと思いました。
ママ友との着付け教室は楽しかったのですが、着付け技術は曖昧なところも多くて自信が持てませんでした。
『なんか帯が左側だけブワっと膨らんでるよ』
主人から指摘を度々受けて、
『えー!直して直して💦』
『分かんないよ、どうやんのよ?』
着物ってこういうものなのだろうか?
私、もっとちゃんと着たい。
子どもが小学校を卒業し手が離れるのを待って、横浜の着物の専門学校に通い始めました。
専門学校は、厳しかった…。
厳しかったです…。
様々なテストが年に数回行われました。
卒業テストというものが最後にありました。
審査員の先生方を前にして、長着を羽織った状態から10分で着物を完全に着るというものでした。
ストップウォッチ⏱を片手に、自宅で何度も何度も練習しました。
何とか無事メンバー全員が卒業できました。
終わった後で泣き出すメンバーもいました。
私は涙は出なかったのですが、泣きたくなる気持ちはよく分かりました。
『そんなに練習しないといけないの?』
そう思われるかもしれません。
泣くまで厳しくするのはちょっとどうかな…と私も思うのですが、着付けが難しいのは本当です。
努力が必要だし、明確な答えがないのもその特徴です。
たくさんの着付け講師が、たくさんの動画を上げているのがその証拠です。
たくさんの答えが存在するということは、それだけ難しいからです。
武道と通づるところがあるようです。
理屈ではどうにもならない。
コツを掴んでは練習する、の繰り返しです。
基礎力をつけるのに3年くらい掛かります。
3年も?と思われるかもしれません。
でも一度きりの人生です。
長い人生のうちの3年くらい、一つのことにじっくりと向き合ってもいいんじゃないかなと私は思います。
それが心の余裕なのかな、と思います。
着物と向き合ってきた日々に私は後悔が一つもありません。心はとても爽やかです。
この爽やかさを出来るだけ多くの人に味わっていただきたいと思います。
そして綺麗になって、お出かけとか、お茶会とかを楽しんでいただきたいです。
おしゃれもたくさん楽しめます。
大人のおしゃれ。
楽しいですよ😊