講師(宗夜)ブログ
●帯が結ぶ人の縁
つい先日までお洋服でお稽古にいらしていた生徒さまが、着付け技術を身に付けてお着物で通ってくださるようになりました。
『わー!〇〇さん、お着物ステキ!』
『あらー!』
もう注目の的。
『見ないで、見ないで、恥ずかしいから』
と照れながらも嬉しそうな笑顔が溢れていました。
どれほど努力してきたか、みんな我が事のように分かるから『頑張ったねー!』と笑顔で誰もが迎えました。
ある日、茶道お稽古前に
『あら?帯が解けそうよ』
着付け経験豊富な生徒さまが気付いて声を掛けました。
『そう?なんとなくそうかなぁーと思ったけど直し方が分からなくて…』
『直してあげる…。ん?ここかな?ねぇどう思う?』
その生徒さまがまた別の生徒さまに声をかけて、
『こっちじゃないの?』
着付け初心者の生徒さまを挟んで、2人の先輩生徒さまが両端から、
『えぇっと、こうかな?これで良いのかな?』
と声をかけながら帯を直してあげていました。
私はお稽古直前のため、炭火を炉に焼べている最中で、3名のやり取りを横目で見ていました。
(手が空いていたらやってあげたいんだけど…)
と心の中で言いながらも、3名のやり取りがあまりにも楽しそうで、私の出る幕はなさそう…と微笑ましく思いました。
そしてつくづく
《あぁ〜、いい教室だなぁ〜😭》
と思ったのでした。
みんなで助け合えて、とっても居心地が良い。
3名から温かい空気が流れ込んできて、お稽古前にみんなみんなが優しい気持ちになりました。
別の曜日でも同じようなことがありました。
お稽古後に水屋で井戸端会議をしていたら、生徒さまの1人が
『あれ?なんか急に帯が緩んできた…』
と心配そうに自分の帯を見渡し、その途端アレよアレよと言う間に本当に解けてきてしまいました。
『ああ、どうしよう』
『大丈夫、私が手先を持ってるから』
『私はこっちを持つね』
『じゃあ先生、私たち控室で直してます』
『では』
『では』
その後楽しそうな笑い声が控室から豪快に響いてきて、私もつられて一緒に笑っていました。
やっぱりその日も
『あぁ〜、いいなぁ〜』
とつくづく思ったのでした。
そりゃあ格好良く着物を着られれば、それに越したことはないんだけど、
失敗したってそれも良いじゃない。
そんな風に思います。
一生懸命やってみて、それでも失敗もあるから、それはそれで。
『ふふふ』『ははは』と笑い合えたら、その瞬間はとても幸せ😊
着付けの生徒さまから
『こんなに着付けが難しいとは思いませんでいた』
と声を掛けられます。
『茶道と着付けとどちらが難しく感じますか?』
と聞かれ、
『両方とも』
と答えました。
覚えることは茶道の方が圧倒的に多いのですが、茶道は時間藝術なので、お点前が終わればお客様からその記憶が薄れます。
ところが着物は着ている間中ずっと着付けの点数が付いたまま過ごさなくてはなりません。
『あぁ、今日は全然ダメだなぁ』
と思っても脱ぐことは出来ません。
『しんどいなぁ、着物って』
と思うこともあったけれど、この厳しさがあるから、謙虚さが養われるように思います。
『先生くらいの腕がついたら、毎日の着つけも楽になりますか?』
と聞かれたこともあります。
『楽にはなりませんよ。』
とお答えすると、目に『マジで‼️』という気持ちが溢れていました。
そう、マジで。
ならないんだぁ、これが。
全然、楽にならないんだぁ。
『毎朝、毎朝が真剣勝負です』
毎回が真剣勝負なんだけれども、勝負だから真剣にやっても敗れることもあるんだけれども、
でも負けたら負けたで何だか清々しい。
だって真剣だから。
100年前、欧米諸国の人々が驚いたという日本人の武士道精神。
新渡戸稲造がその名も『武士道』という書籍を英語で著しています。
身分の高低に関わらず、なぜ日本人はこんなに礼儀正しいのかと、自身のドイツ人妻や、その岳父から問われ、それに答えるつもりで書いたとのことでした。
なぜ日本人が丁寧で、礼儀正しいのか。
私は着付けの難しさと無関係ではないのではないか、と考えています。
そしてもう一つ。
真剣勝負をしている人同士は、
苦労を知っている人同士は、
優しく励まし合うことができるのです。
帯が本当に結んでいるのは、人との縁かもしれませんね。