栄月日記
パンケーキ焼きたい
パンケーキを焼いた。やむにやまれず。やむにやまれずパンケーキを焼くには、時間が必要になる。
そう、時間だ。焼く時間と、焼かなければならないことを自分に納得させるための時間だ。
そもそも僕はパンケーキが食べたかったわけではない。まして、パンケーキが焼きたかったわけでもない。
パンケーキ・ミックスを貰ってきたのがことの始まり。
パンケーキとホットケーキの違いとは何か。クイズ番組で出されているのを見たことがあるけれど、答えまでは覚えていない。
ただ、食パンと違ってトースターで焼けば食べられるわけでもなく、白米と違って炊飯器にセットすれば炊けるわけでもない。
知らない食べ物を調理するのはなかなかにハードルが高い。
そのパンケーキ・ミックスは石和の賃貸の台所の、学生時代に買った英字がプリントされたグレーのバケツの中にいた。(モールにあるアメリカンな雑貨屋に置いてあるような用途不明のおしゃれバケツで、我が家では食材入れになっている。カレー・ルーや乾麺、貰い物の韓国のりなんかが雑多に入れられている)
ある時は、そのパンケーキ・ミックスは大月の栄月の工場の、百均かごの中にいた。(姪が遊びに来るというので一緒に作ろうとしたが焼肉でおなかはいっぱい、それどころではなかった。思えば、あそこで消費できなかったのは痛い)
そうこうしている間に、賞味期限が過ぎていてこの日、ついに、満を持して、万難を排して、パンケーキを焼くこととなった。
パンケーキは、パンケーキ・ミックスの他に卵と牛乳、それからトッピングの果物やらシロップやらが必要でコストが高い。
パンケーキはすべてにおいて、手間がかかる。一般家庭で一食に採用するにはやっぱりコストが高い。精神的なコストが。
まず、全卵を二個ステンレス・ボールに割り入れ、白い泡が含まれるまで入念に攪拌する。混ぜに混ぜる。この作業は普段の煎餅を作る工程にはないので興味深い。厚焼木の実煎餅を仕込む際にやったらどうなるのだろうか?
パンケーキ・ミックスを7割ほど、袋からボールに移す。300gを狙ったけれど、真相はわからない。石和の賃貸には計量できるものがなかった。
少し卵と粉を併せてから牛乳を入れる。これも感覚だ。冬場の厚焼木の実煎餅の生地くらいの緩さの生地になるまで入れた、といえばわかるだろう。(いや、わかるわけなかろう)
不思議なもので、このころには僕はこう思っていた。パンケーキ焼きたい、と。
フライパンにオリーブオイルをたらし、キッチンペーパーで薄く広げる。はじめは強めにフライパンを熱し、かすかに白い煙が立ちだしたら弱めの中火にして生地を入れる。
ほう、なるほど。厚焼木の実煎餅の焼き方と考え方は同じと言える。
音もなく焼ける生地から甘い香りが立ち上がり、表面にぷくぷくと泡が出てくる。それははじめ小さく、しだいに大きなものになる。
その間、一切触れない。焼き目にムラが出る。
フライ返しを生地の下にすっと差し入れ、ひと思いにひっくり返す。良い焼き色がついている。
弱火にしてから、表面よりもじっくりと火を通していく。生地が膨らもうとするのでフライ返しで軽く抑える。
香りが部屋中に行きわたる。なるほど、いつだか作ったホットケーキより甘さが少ないような、そんな香りだ。
そうこうして一枚焼きあがる。
一枚焼くのに時間がかかる。ボールにはまだまだ生地があって、結局すべて焼き切るとフライパン大のパンケーキ六枚できあがったのだった。
うち二枚、ケーキシロップと生クリームで食べた。甘い。
二枚は、あらかじめ作っておいたツナ缶とマヨネーズをあえてブラック・ペッパーを振ったツナマヨと、水につけておいたレタスで食べた。立派な食事だ。
残りの二枚はキッチンペーパーに挟んで乾燥を防ぎつつ熱を飛ばしてから、ラップに包んで冷凍した。後日食べよう。
そしてまだ袋に三割ほどのパンケーキ・ミックスが冷蔵庫にある。また、パンケーキ焼きたい。了)
首がチクチクするから、今日もかく
大学時代のゼミが小説を書くことを目的としたゼミで、毎週水曜日、その日までの7日間で起こったことを自分自身を主人公として、レポート用紙一枚分にまとめて提出した。
そのゼミには十数人在籍していたけど、本当に小説家として飯を食っていこうと思っている人はいなかったように思う。それでも本当に実力があって、書くことも好きで、課題に出されずとも物語を書いては数人で回し読みや批評なんかをしているようだった。その数人は文芸サークルに所属していて、定期的に同人誌即売会にも参加しているようだった。コミケではなく、だ。
他にも映画の脚本が書きたい、ゲームのシナリオが書きたい、といった人たちが集まったゼミだった。
月に一度出席して例の自分物語を提出すれば単位はもらえたので、滅多に顔を見ない人も多いゼミだった。
僕はといえば、小説を書きたくてそのゼミに入ったものの、学期末の提出課題のために物語をなんとか捻り出すくらいだった。文芸サークルは一度説明会に行ったきり、名簿に名前があったらしいから在籍はしていたようだったけれど、そんなことは忘れていたくらいだった。
それでも毎週ゼミには出席した。そしてレポート用紙を提出した。そうしなければ、自分は何かしらの理由をつけて何も描かなくなると思ったからだ。
いまこうして書いているのも同じ理由だ。書かないと書かなくるし、書けなくなる。
でも、書くことを見つけるのは、なかなか難しい。
毎週、「今週は提出できないかも」と思いながら水曜日が近づいてくる。大学時代も、いまも。
そうまでして書かなくていいのに。
オードリーの若林正恭さんのエッセイ『ナナメの夕暮れ』夕暮れ』のまえがきを読んで、自分の書くことの理由を思い出した気がする。
冬のセーターの毛が、首と手首部分の素肌に触れることが我慢できない。
セーターの袖を捲って下のシャツの生地の上に持ってきて、素肌に触れないようにする。
丸首の部分を両手で掴んで首元に向かって引っ張り、ずっとそのままにしていた。
母親に「伸びるからやめなさい!」と怒られる。
「毛がチクチクして嫌だ」と、言うと「チクチクしない!」と怒鳴られる。
「チクチクして嫌だ」という気持ちが、なぜ伝わらないのだろう。
幼稚園の同級生はセーターを着て元気に走り回っている。
「みんなはチクチクするなんて言ってないでしょ!」
なんでみんなはチクチクしないのだろう?
僕もセーターが嫌いだった。チクチクするし、ムズムズする。他人が来ていても、ムズムズしてくる。タートルネックはもってのほか、ニットもサマーニットもダメ、少し首の縫製がしっかりしていたり首が窮屈だったりしてもダメだ。
野球は好きだけど、野球のアンダーシャツがタートルネックなのが本当に嫌で、高校時代、少しでも着たくないからと練習が始まるギリギリまで上裸で部室に待機していた。
でも他のみんなは違う。
なんでみんなはチクチクしないのだろう?
この疑問を解決したいわけでもないし、この悩みを解消して欲しいわけでもない。
ただ、自分はこう思っているのだと、「首が変で嫌だ」と思っているのだと、伝えたいから書いているのだと改めて気付かされた。
そんなこんなをここで書くことに意味があるかは、ちょっとわからないけど。了)
ヤモリとウグイス、それからカッコウ
冬のある時期、すっかり外が暗くなった17時から18時のころに決まってやってくるヤモリがいた。そのヤモリは道路に面した窓ガラスの網戸にしがみついていて、街頭の明かりがぼんやりと光るガラス越しに体のシルエットが浮かんでいて、ちょっと気味が悪い。
仕事の後片付けをしていて、床をほうきで履いているとき、ふと顔を上げると爬虫類独特のしっぽの長いシルエットが窓に張り付いている。
窓を開けている日なんかは、腹の面が見えて、やっぱり気味が悪い。
体をくねらせ、短い四本足でふんばり、指先がぷっくりとふくらんでいて、いかにも「掴んでいる」といった様子で、じっと動かない。
その窓はちょうど焼き場の上にあって、仕事が立て込んだときなんかはヤモリのシルエットが表れて時間を知ることもあった。
決まった時間に同じ窓にそのヤモリは来る。家を守る、縁起のいい生き物。招き猫のようなその存在は2週間ほど毎日表れて、いつのまにか来なくなっていた。
春になると裏の木に必ずウグイスがやってくる。子どもウグイスは泣くのがへたっぴだ。親のきれいな、ともすれば遊びがないほどに額面通りの「ホーホケキョ」に続いて、調子はずれの鳴き声で啼く。
毎日聞いているとその上達度合がわかる。「ホーケ」とか「ホーケッキョ」とかいうのはなくなり、そしていつのまにか一羽で啼いている。遠くで共鳴するように鳴く声もあるが。
栄月の裏の木を拠点にしているのは、巣立ったわが子を見送った親なのか、はたまた親から家を引き継いだ子なのか、そんなことはわからないけれど、来年もまた聴けるといいなと思う。
今日の朝、早く起きなくてもいいのになんとなく意識が覚醒してしまった。目はつぶっているけれど自分はもう起きてしまっていると気づいている、あの感覚。休日に思う存分寝坊もできない悲しさに対する、悪あがき。それでもなんとか眠気を手繰り寄せて一時間ほど睡眠を延長させてから起きたときに、そういえばさっきまで外でカッコウが「カッコウカッコウ」と啼いていたな、と思い出した。
一度目は鳥のさえずりで目覚めていたのだろう。なかなかに耳に張り付いている。
カッコウ。なんて名前をつけられたものか。ニワトリだってコケコッコーとは名づけられてない。うぐいすだってホーホケキョではない。ホーホケキョはとなりの山田くんだけだろうに。了)