栄月日記
インターネットでもわからないこと

栄月の孫です。久しぶりの更新になります。
栄月製菓では昭和40年(1965年)の創業から「厚焼木の実煎餅」(以下、厚焼)を製造・販売していますが、そもそもこの煎餅、何なのでしょう。
私自身、生まれたころから祖父が焼いている煎餅だったので疑問に思わなかったのですが、結局のところ「厚焼」とは何なのか「厚焼」を焼く者として知っておきたいところであります。
「厚焼」はとてもローカルなものです。インターネットで調べようにも、ヒットするのは市のホームページでの「厚焼」の紹介であったり口コミサイトやブログ、はては当サイトであったり。これでは堂々巡り。
なにかとお世話になるウィキペディアも、「大月市」の項を見たけれど記載はありません。
ネット上にある「厚焼」の情報は、基本的な煎餅の特徴のみで網羅的なものはなく、存在するのは確かだけれどそれ以上は知りようがない、といった感じ。
それだけ認知度の低いもの、地域的なもの、と言われればそれまでですが、この煎餅を今後も残していくと決めている以上、情報を書き残していかなければならないと思い、この文を書いています。
このご時世、インターネット上にも情報がないことに携わっているというのは、実はすごいことかもしれません。
もしかすると、私の祖父が世界で一番「厚焼木の実煎餅」に詳しい可能性もあるかもしれません。
情報が少ないのは、製造者側が発信のすべを持っていなかったことに起因している、と私は思っています。
情報収集にはまずスマートフォンやパソコンで検索するのが日常的なわけですから、製造者が自ら発信していくことも重要でしょう。
ホームページやTwitterを始めたこともあり、いい機会なので「厚焼木の実煎餅」のことが少しなりとも届けば、と思っています。
ただ、肝心の内容は祖父からの伝聞によるところが大きいです。
もちろん祖父は歴史研究家でも民俗学者でもない、ひとりの和菓子職人ですことをご承知おきの上、「こういう話があるようだ」と思って読んでいただきたいです。
祖父は平成1年3月、『厚焼木の実煎餅由来記』をwordにして6ページにまとめています。
おおまかに、「厚焼の生まれる経緯」「厚焼を生み出した人物」が書かれています。
これを私がもう一度まとめ、付け加え、必要であればさらに祖父に訊き、ここにアップしていきます。
時期は未定です。今回は長々とした前置きです。
一個人でどこまでの情報をネットという公に提示していいものか、わかりかねるところもあるので。
掲載後も随時修正していくことになると思います。
さわりとして、『厚焼木の実煎餅由来記』の初めの文を引用します。
『郡内地域全域に、多くの店舗で厚焼煎餅製造配売していました、特に大月市は全地域で、多くの店舗が製造しておりました、この様な大月の名物煎餅の由来を調査して、(中略)統一した見解を子孫に残したいと思います』(原文ママ)
統一見解として残していいかはわかりませんが、祖父の意志を継いで、孫がホームページに残していきたいと思います。
これを書いている途中、散歩がてら、ふきのとうを取って祖父が帰ってきました。今度てんぷらにするそうです。(了)