栄月日記

2020 / 04 / 20
12:00

知らないことについて語るときに私の語ること

知らないことについて語るときに私の語ること【栄月製菓】

 

 基本的に脳天気でありたいと思っているので、肩の力が抜けた文を書きたいと思います。

 なにに対しても深刻になりすぎず(「なりすぎず」というのがミソ)、できるだけ多くのことを面白いと感じられれば、なんだか楽しく過ごせるような気がしているので。

 

 先日のことだ。私がパスタを茹でているとき、来客があった。スーツ姿の男性が二人、店の入り口に立っていた。私は細めのパスタ麺を沸騰した湯に入れて、時計を確認し、菜箸で鍋の中を意味もなく回しているところだった。

 その年の冬は例年にも増して暖かい日が続き、いくらか過ごしやすかった。でも白菜は高騰し、冬眠できなかった動物が人里に降りてきた。あるスキー場は雪不足で経営破綻した。私はというと、薄暗い工場(こうば)で毎日パスタを茹でていた。よく訓練されたマーチングバンドのように規則正しく。私は、一般的な社会人が1年間に消費する量のパスタを3ヶ月の間に消費するようなペースでパスタを茹でた。私にとって、その年の冬はパスタのためにあった冬だった。

 だからこそ私にはわかったのだけれど、その日の午後はパスタを茹でるのに最適だった。

 来客の対応をしていた祖母が、戸の向こうから私を呼んだ。私は壁にかかった古い時計を見て、やれやれ、と思った。細めの麺はもうまさに茹で上がろうとしていた。

 よっぽど、「いまパスタを茹でているんです。今日はパスタを茹でるのに最適な日で、もう少し待っていただければとてもいい状態で麺が茹で上がるんです。こんな日は滅多にないことなんです。そして、麺は熱いうちにソースに絡めないことには味が落ちてしまう。申し訳ないけれど、いまは出直してもらえないだろうか。ほんの10分もあれば私は完璧なパスタを食べ切れると思うから」と言おうと思ったけれど、まさかパスタを理由に来客を追い返すわけにもいかなかった。

 私は祖母にパスタの番を頼んだ。

「もう少しで茹で上がるから、見ていて欲しい。出来上がったらそこの皿に移しておいて」

 来客は私にとても興味深い話をしてくれた。その時の私にとってパスタの茹で加減以上に興味を引くことはなかったけれど、そのことを抜きにすれば、おおむね、私がこれまでに感じた興味深いことの中でも指折りの興味深い話であった。私は彼らと握手を交わしてから名刺交換をし、資料をいくつか受け取った。名刺に書かれた肩書きはとても長かった。それはまるでデレク・アンド・ザ・ドミノスの「レイラ」のように二段で構成され、荘厳な趣きがあった。私はいくつかの質問をし、彼らはそれに答えた。短いやり取りの中で我々は互いの見識を探った。

「それでは、また連絡します」

 帰り際、再び握手を交わし、彼らが乗ってきた白の磨き上げられたセダンが通りに出ていくのを見送ってから戻ると、そこには麺を茹で続ける祖母がいた。

「まだ硬いから」と祖母が言った。私は祖母から菜箸を受け取った。

 確かに、コンビニの冷やし中華の麺であれば多少硬いくらいだったかもしれなかった。 

 

*「祖母にパスタの番をしてもらったらパスタを食べたことがないらしい祖母は茹で加減がわからずすっかりくたくたの麺になっていた」という出来事だけが正確な、ほぼ脚色のみでできた文章です。

 

 ともあれ。なるほど確かにパスタの麺はほかに麺類に比べると硬い。バリカタとか粉落としを抜きにすれば、なんだか芯が残っているように感じられるかもしれない。人は知らない事態に直面したとき、別の似た体験をもとに乗り越えようとするもの。それでうどんや蕎麦のように茹でていたのかもしれない。その結果、私もまた体験したことのない茹で加減に出会えた。自分の常識は他人の非常識というけれど、それによって生まれた結果は、存外興味深いものでした。なんだか、こういうのって面白い。

 

 4歳の姪の唇が切れていたので「リップクリーム塗る?」と訊いたら、

「ぴりぴりするからヤ!」

 と言ったのを思い出します。メンソールの入ったリップクリームだったので、「スースーするから」という意味だったのだと思います。「ぴりぴり」は姪なりにメンソールの感覚を伝えようとした結果でてきた素晴らしい表現だったのではないか、と。ほんとに傷口にリップクリームを塗ると染みて痛いということだったかもしれないけれど、メンソールの入っていない色付きリップは喜んでつけていたので、多分そう。ただオシャレをしたかった可能性もあるけれど。

 

 知らないことは怖いことかもしれないけれど、必ずしも恐ることはないんじゃないかなと思いつつ、今日もまたパスタを茹でます。

 ところで、なぜパスタを茹でるとき、お湯に塩を入れるのでしょう?

 あの日入れた塩の意味を私はまだ知らない。 (了)

2020 / 04 / 06
15:17

毎日通る道に

【】

 毎日通る道に桜が咲いていた。

 笹子トンネルから大月の市街に至るまでの国道にはいくつもの桜があったことに、今更ながら気づく。この木もあの木も、桜だったのか、と。去年の春にも見ているだろうから、改めて気づかされたと言うべきかもしれない。

 ついこの間まで裸だった木がいまではピンクや白の花をいっぱいに咲かしている。

 道路や川両側をびっしりと埋め尽くす桜並木、はもちろん綺麗であるけれど、道々に点在して咲く桜、というのもまた綺麗だ。

 見れば、山の中腹にも一本だけ白い花を咲かしている木があった。誰かが植えたのだろうか。緑の山にポツンと一本や、橋の脇に密集して二、三本だけ植っているのなんか見ると、木の生命力の感じる。野性味、とも言えるかもしれない。これを見るのが、感じるのが、なんとなく楽しい。

 緑の山や道路脇にパッチワークのようにある桜は、花びらを散らしてしまえばどこにあったかわからなくなってしまうだろうが、それがいいのだと思う。

 

 栄月製菓のすぐ近く、浅利に下っていく坂の脇にも大きな桜の木があり、いままさに盛りを迎えている。桜は満開までではない。桜吹雪も葉桜も、どれもが桜の楽しみのひとつ。咲く期間こそ短いが、まだまだ楽しみはある。

 そして桜は、我々の舌だって楽しませてくれる。

 

 と、長い前置きをして「新発売 桜餅!」とできれば完璧だろうが、そのような予定はありません。

 ……なんだこの“後味”の悪い文章は。(了)

1
Today's Schedule
誰でも簡単、無料でつくれるホームページ 今すぐはじめる