栄月日記
首がチクチクするから、今日もかく
大学時代のゼミが小説を書くことを目的としたゼミで、毎週水曜日、その日までの7日間で起こったことを自分自身を主人公として、レポート用紙一枚分にまとめて提出した。
そのゼミには十数人在籍していたけど、本当に小説家として飯を食っていこうと思っている人はいなかったように思う。それでも本当に実力があって、書くことも好きで、課題に出されずとも物語を書いては数人で回し読みや批評なんかをしているようだった。その数人は文芸サークルに所属していて、定期的に同人誌即売会にも参加しているようだった。コミケではなく、だ。
他にも映画の脚本が書きたい、ゲームのシナリオが書きたい、といった人たちが集まったゼミだった。
月に一度出席して例の自分物語を提出すれば単位はもらえたので、滅多に顔を見ない人も多いゼミだった。
僕はといえば、小説を書きたくてそのゼミに入ったものの、学期末の提出課題のために物語をなんとか捻り出すくらいだった。文芸サークルは一度説明会に行ったきり、名簿に名前があったらしいから在籍はしていたようだったけれど、そんなことは忘れていたくらいだった。
それでも毎週ゼミには出席した。そしてレポート用紙を提出した。そうしなければ、自分は何かしらの理由をつけて何も描かなくなると思ったからだ。
いまこうして書いているのも同じ理由だ。書かないと書かなくるし、書けなくなる。
でも、書くことを見つけるのは、なかなか難しい。
毎週、「今週は提出できないかも」と思いながら水曜日が近づいてくる。大学時代も、いまも。
そうまでして書かなくていいのに。
オードリーの若林正恭さんのエッセイ『ナナメの夕暮れ』夕暮れ』のまえがきを読んで、自分の書くことの理由を思い出した気がする。
冬のセーターの毛が、首と手首部分の素肌に触れることが我慢できない。
セーターの袖を捲って下のシャツの生地の上に持ってきて、素肌に触れないようにする。
丸首の部分を両手で掴んで首元に向かって引っ張り、ずっとそのままにしていた。
母親に「伸びるからやめなさい!」と怒られる。
「毛がチクチクして嫌だ」と、言うと「チクチクしない!」と怒鳴られる。
「チクチクして嫌だ」という気持ちが、なぜ伝わらないのだろう。
幼稚園の同級生はセーターを着て元気に走り回っている。
「みんなはチクチクするなんて言ってないでしょ!」
なんでみんなはチクチクしないのだろう?
僕もセーターが嫌いだった。チクチクするし、ムズムズする。他人が来ていても、ムズムズしてくる。タートルネックはもってのほか、ニットもサマーニットもダメ、少し首の縫製がしっかりしていたり首が窮屈だったりしてもダメだ。
野球は好きだけど、野球のアンダーシャツがタートルネックなのが本当に嫌で、高校時代、少しでも着たくないからと練習が始まるギリギリまで上裸で部室に待機していた。
でも他のみんなは違う。
なんでみんなはチクチクしないのだろう?
この疑問を解決したいわけでもないし、この悩みを解消して欲しいわけでもない。
ただ、自分はこう思っているのだと、「首が変で嫌だ」と思っているのだと、伝えたいから書いているのだと改めて気付かされた。
そんなこんなをここで書くことに意味があるかは、ちょっとわからないけど。了)