木工あれこれ
製作のきっかけは、反応の鈍くなった母(ちなみに母は、約10年前102歳半で天寿を全うしました)の「笑顔がみたいなあ」が動機でした。
亡くなる5~6年前から病気と老化の進行により表情が乏しくなりました。
人形をみた母は「すっとこどっこ~い」と笑顔で反応してくれました。
木の人形の代表にこけしがありますが、それとは違って立体的で動きのあるものが出来ないかと考え試行を繰り返す中で生まれたのがこれでした。
見本がなく全くのオリジナルですので、納得するまでにちょっと時間がかかりました。
人形は大きさからいって機械は使えませんので、まったくの手作りです。
細かい作業で手間暇はかかりますが、手にした人の気持ちが和らげば、頬がゆるめばと思って手を動かしています。
表情を豊かにするために、素材は基本的に木目が比較的はっきりし繊維の詰まっているケヤキを使っています。
写真の鉋は家内の叔父さんから譲り受けたものです。叔父さんの仕事は建具屋さんでした。障子や襖はもとより、欄間等の手の込んだ細かい作業も手がけていたようです。八十歳を過ぎて、さすがに体力的に厳しくなり、仕事をリタイヤしました。 残された工具類の処遇に苦慮していた叔父さんでした。長年苦楽を共にした道具類です。そこで私に白羽の矢が向けられたということです。送られてきた工具には電気かんなやサンダー等もありましたが、何といっても鉋の数の多さに思わず息をのみました。半世紀近く使い込まれてきたと思われるものもあり、その中には鉋身(刃の部分)の長さが三分の一まで減少しているものもあり驚きました。大切に手入れされていて、どれも現役バリバリです。到底使いこなせるものではありませんが、がんばって活用しようと思っています。「包丁一本サラシに巻いて・・・」という古い歌がありますが、叔父さんにも同じように職人の心意気を感じました。
自作の鉋
私も十数本の鉋を持っていますが削る箇所は多岐にわたります。約十年ほど前ですが、器(うつわ)の内側の湾曲部分を加工しようとしたところ、それに見合うものがありません。店を廻って探しましたが見つかりません。そこで仕方なく、自分で加工してみました。
製作手順
①平鉋の鉋台(木の部分)を丸く削る
②鉋身(刃の部分)を台の曲面に合うようにグラインダーで削る
③砥石を使って刃先を整える
見かけはまずまずですが、結構働いてくれています。
治具作りは製作には欠かせないものなので、心掛けています。
四半世紀ほど前、時間を見つけてはエッセイを書いていました。その中に木工について記した内容がありました。その一部を紹介させていただきます。
木工作家
家具を作ることが何時しか私のライフワークになっている。
はじめは授業の教材として、より多くの作品を見本として生徒に見せたいという使命感で作っていたが、いつしか物を作ることがほんとうに好きになってしまった。
特に多様な表情を持つ木の作品作りには強く惹かれていった。
誰かのまたは何かの影響があって始めた訳ではなく、気がついたらいつしか木に魅せられていたといった方が正しいだろう。
経験を重ねるといつしか作風も変わっていく。はじめは構造がしっかりしていて見場がよければ良く、材料にはこだわらなかった。
市販と同じような作品になれば十分であった。その後、次第に市販に負けない作品をめざすようになった。直線を基調とした作品から曲線を意識した作品に変化していった。
現在は素材の色、形、硬さ、大きさを見て作品を考えているので直線、曲線はあまり意識しない。むしろ、置く場所に似合っているか、オブジェとしての要素を持っているか等を考えながらに変化している。
木と対話をする時間が多くなったのはそのせいであろう。他の作家が作っていない、どこかにオリジナルを感じさせる作品である。木と私がお互いに自己主張しあうなかで一つの作品が出来上がるようになった。
実力が伴わないので思い通りに作れず、木に叱られ、口惜しい思いをすることが多いが致し方ないことである。
振り返ると本格的に先生に付いて学んだ経験はなく、同じ趣味を持つ人も近くに存在しなかった。すべて見聞きし自分で作ることを経験する中で身についてきたものであった。
専門書や季刊誌を読み、家具店をまわり家具の裏の構造や加工法を調べ、家具の製作工場では素材や接合方法などを学び、個人の工房で匠達の技を陰からそっと眺めさせてもらった。
そのすべてが私の先生であったと言えるだろう。
人が一年でマスターできることを十年かけてやっこらおぼえたと言ってもいいだろう。
それにしても木の持つさまざまな表情はこれが同じ木なのかと驚かされる。木はまさに生き物である。同種の木でも育った環境や年齢によっても驚くほど異なる。ひとつ一つの素材の持つ個性を活かすことに配慮しなければ納得いく作品にはならず、自然、木との対話が必要になってくる。
作品製作の前段階のこの構想という工程に多くの時間を要するのは当然であろう。
作品の良し悪し半分は製作前段のここで決まるといっていいからだ。
後世に残る作品や、人の心を惹く作品とはこの前段が決め手になっているように思える。
もう一つ、塗装も作品の出来に大きな役割を果たしている。数多くの塗料の中から素材にピタッとあった塗料で仕上がった作品はそう多くない。塗装は極めて長年の経験を要するからだ。
塗装とは素地を整えることもその範疇にあり、やすりがけだけでも何段階かに分けて行い、その後、砥の粉等を均一に塗り込む作業を繰り返して素地調整は仕上となる。これからが塗装本番であるが、これまた、仕上げまでには多くの工程を踏まなくては作品として日の目は見ないのである。
木の種類や育った環境によって手間暇には大きな差が出てくることは言うまでもないが、素材に見合った下地の調整を入念にすることを忘れてはならないと言える。
女性の化粧に例えると分かり易いかも知れない。さっと化粧しただけで見違えるように活き活きときれいになったり、時間をかけて何度もやり直したが乗りが悪くまだらが消えない。それではと、高価な化粧品を購入しても変わり映えしない。
自分の年齢や体調、季節に合った化粧品はなかなか見つからないのに似ているようだ。せっかくの素材を台無しにし作品にならなかったことが何度もあるからだ。
記述しはじめるときりがないのでこの辺で止めよう。書きながら「おたく」の世界に十分入っていることを感じるからだ。