工房ひとと記(2013)

 

  

    杢(もく)の妙     (12.27)

 

  板の表情が面白かったので扇形の花台を作ってみました。

  掲載の写真はその製作した花台ですが、角度を180度変えると別な作品に見えます。

  まさに杢(もく)の妙です。

 

 

 

 人間にも人種があるように木も多様な樹種があります。

 また、人に癖があるように、木材もいくつもの癖があります。

 そのひとつに木材の繊維の並び方があります。

 繊維の並び方の乱れた木理は、製材するとその表面に色々な紋様が現れます。

 木目の紋様で特に装飾性の高い美しいものを杢(もく)と呼んでいるようです。

 「美しい木目」とよく言います。今どきの木造住宅では随所に木目を印刷した樹脂合板が使われています。それでも多くの人はその木目を手がかりにそれなりの安らぎを感じています。 

 木目に安らぎを感じる、とはどういうことなのでしょうか。木目というのは、樹木が樹齢を重ねた命の記憶といってもいいでしょう。多くは人間よりもずっと遙かに長い歳月を生きてきたはずです。そのことに、人は無意識のうちに心を癒されるのかもしれません。日々木と対面している私も癒されている一人です。

 

 

 

よい経験だったイベント参加   (11.25)

 

  全てが初体験のイベント参加でしたが、回りの手助けやアドバイスのお陰で無事乗り切ることができました。また、知人友人等も顔を見せてくれ感謝の一日でした。

  一般の人を対象とした作品の展示や販売は初めてだったので、新鮮で楽しい経験になりました。

 作品の展示陳列の方法、お客さんと会話、周りの店舗の様子等々と幾つになっても勉強・・・新たな学習の場でもありました。

 

 

 

 

 

 

  

  アートフェスティバルへ参加    (11.01)

 

  相模原のタウン誌にアートフェスティバルへ参加募集の記事が記載されていました。迷いましたが、主催者の目的のひとつに「アート作品・手づくり作品を通して、ハンドメイドの良さ、温かみのある作品を多くの方に手に取っていただく交流の場としてのイベントです」との一文がありその意向に心が動きました。また周りの強い後押しもあり参加を決意しました。

 

   日時:2013年11月23日(土)時間11時~16時 雨天の場合24日だそうです。

  場所:JR横浜線 相模原駅ペデストリアンデッキ(2階の屋外広場)

 手作り作品の販売も可で、約50の店舗が立ち並ぶそうです。 私も出品する作品作りに取りかかりました。一店舗のスペースが一坪ほどですので、人形や一輪挿し・額・お盆等といった小物を中心に考えています。

 

 

 

     会場写真は主催者の開催要項からお借りしました。無断借用申し訳ありません。

 

  もし時間がありましたら、冷やかしかたがた足をお運び下さい。お待ちしています。

 

 

 

 

 

     額縁作り (10.18

 

  以前、竹林の住人として紹介した八王子の石橋さんが、額作りを学びたいと絵を片手に訪れました。

  絵心に乏しい私ですが、思わず「上手だなあ」と手をたたいていました。なんと二十代の前半に彼が描いた油絵だそうです(写真)。実家に飾ってあったそうですが、額の痛みが激しく、処分しようとしたところ、額を作り直すようにと依頼されたそうです。その額は当時、必要に迫られて自作したそうです。私も拝見しましたが、経験不足は拭えない作りでした。彼はそれ以来、額作りの記憶はないそうです。そこで製作の手順を学ぶためにしばらく通うことになりました。

  絵はかなりの大きさ(W800 H550)です。手始めとしては負担が大きいと感じ、見本として私の額作りを見学してもらいました。写真の額が出来上がったものです。彼の力作が活かされているかは不明ですが・・・。

 経験上、額作りは特に正確さが求められるので小さいものから、次第に大きいものへと製作の幅を広げていくことが望ましいでしょう。これから彼の額作りがはじまります。物作りでは経験豊かなので、乞うご期待です。

   

    この扇子立ては現在ニュージーランドに住んでいるお嬢さんの依頼で作ったそうです。

  先日、話の種に持参してくれましたので、写真を撮らせてもらいました。現地の人は日本のものに大変興味を示すそうです。扇子もその一つで部屋の棚に立てて飾りたいので是非ということで製作したとのことでした。

 

  

 

   材は扇子に似合って竹です。素朴だが彼の丁寧さがうかがえる作りです。

  

 

 

 

 

  

   復活の兆しの水瓶 (10.04

 

  台風18号の直撃で工房も雨漏りし、床には小さな池ができました。雨の少ない日が続いていましたのでホッと一息です。

  本日状況うかがいに、半月ぶりに宮ヶ瀬ダムに出かけました。以前の経験から宮ヶ瀬ダムは大雨が降ってもすぐには水位は上がらず上昇には時間がかかる特徴を持っているようです。ちょっと不安の訪問でしたが回復の兆しに安堵しました。水位が前回より多少上昇していることがお判りだと思います。

 

 

 

  標高の高さから、一日の気温差が大きいようで一足先に秋の気配を感じます。

 

 

 

 

   水瓶のピンチ (9.12

 


  木工教室等の材料調達に山梨県との県境に近い製材所に出かけました。近所の木材店やホームセンターでは手に入らない節等の少ない質のよい半端材がその一ヶ所に無造作に立てかけられている。大量生産しない私にはたいへん重宝させてもらっています。

帰りに昼食方々、神奈川県の水瓶でもある宮ヶ瀬ダムに立ち寄ったところ、かってないほどの水量の少なさにビックリしました。ご存じのように今年は観測史上最大の雨量を計測した地域も多く、各地で水による甚大な被害が繰り返し報道されています。
 地球規模で考えると水の絶対量は変わらないので、雨の多いところもあれば少ないところもあるのは当然です。一時騒がれていた東京の水瓶でもある北関東の利根川水系ダムの貯水量が極端に低い時期があった。最近、前線等の影響でまとまった雨が降ったようで報道されていた断水の話は聞かなくなった。

しかし、我々の住む南関東だけはその反動か?まとまった雨の記憶はない。こちらに住み半世紀近くになるが幸い取水制限の経験は一度もない。渇水状況を目の当たりにしてちょっと心配になってきた。工房に「てるてる坊主」でも飾りましょうかね

 

 

 

       普段は森のあるラインまで水を湛えているのだが・・・・

 

 

 

 

 

 

  F川氏とビクトリー号 (8.12

 

  私の古い友人に帆船等のミニチュア(といってもかなり大きなものです)を製作している方がいます。彼は定年後、伊豆に居を移し悠々自適の生活を送っています。  

   先日、お誘いを受け彼の住まいにお邪魔し、あらためてその様子を窺いました。自宅隣に書斎兼工房として小さな別棟を設け、そこで製作に励んでいました。
  定年までは水産高校に勤務し、実習や研修等で自校の練習船に乗り込み、多くの国の港に立ち寄る機会があり、貴重な経験をした等の話しを以前よく聞きました。帆船作りへの傾倒は彼のそういった経験が土台にあるようです。
写真は製作途中のビクトリー号(イギリスの帆船)と帆の部分です。無数の部品をひとつ一つ縮尺を計算しながら加工していくという、気の遠くなる作業です。一隻の完成に2~3年はかかるという話は頷けます。

 

 

 

  同じ物作りでも、完成までの道のりを考えると、気の短い私には足のすくむ思いです。

  彼の作品から、手間暇の分だけよい品になるんだという示唆をもらったように感じました。 

 

 

  

 

 

 

 

 喜寿の手習い (7.28 

 

  近くに住む沼形さんが最近の作品(額、花台、お盆)を持って訪れました。彼は当工房の最初の生徒さんです。

  教室卒業後は自宅に作業所を作り、作品作りに励んでいます。探求心が旺盛で現在も週1~2度は”作品作りのヒント探し”と称してやってきます。 『四十の手習い』という諺がありますが、驚くことに彼の年齢は七十半ばを過ぎています。「目がよく見えない」、「身体もボロボロだ」と言いながら、精力的に打ち込んでいる姿には頭の下がる思いです。
幾つになっても勉強といいますが、私にとっても好い刺激剤になっています。

  

 

  

  


   初めは家族の冷たい視線があったようですが、今では知人や友人からの依頼も増えているようです。 写真の作品もその依頼で製作したそうです。

 

 

 

 

 

  壊れた時計からの発展 (7.01

 

 材料を購入にいつもの銘木屋さんに出かけたところ、親父さん(社長さん)が『これ壊れて動かないんだ、いい木なので、何かの一部にはなるだろう、持って帰って・・・』。

 指さす方を見ると、分針も秒針もない置き時計がテーブルの上にあった。かなりの年代物で全体にすすけて黒ずんでいたが、材は瘤の目立つ花梨であった。

 数日は材を前に腕組み状態だったが、瘤には惹かれるものがあり、やはり時計として生き返らせることにしました。本体部分はナイロン製の大きなブラシや歯ブラシ等を使い洗浄剤で時間をかけて除去し、最後はコンパウンドを使いました。頑固な汚れのだったのでちょっと苦労しました。土台は本体とのバランスを考え作り直しました。

 曲折はありましたが(下記)、最終的にこうなりました。

 

 

                                      寸法:W530 D170 H310 板厚55 塗装:ウレタン

   

     時計作り変遷

 

  (1)針と電源部のために市販の掛け時計①を購入しましたが、針が長すぎて合いません。
  (2) それではと、針は自分で作ってみましたが、デザインがイマイチ・・。
  (3)仕方なく寸法を計り、ネットで2セット購入しました。その一つが完成品(上の写真)に使われています。
  (4)行き場を失った掛け時計①を生かすべく枠を作ってみました。②です。
  (5)さらに形を変えて③を作りました。雰囲気を楽しむために縦横自由に設置できるようにしました。④は横に取り付けたものです。
 (6)ネットで購入した針がもう1セット残っていましたので、さらにこんなものを作ってみました。⑤です。

 

 

   気がついたら時計作りで遊んでいる自分がいました。

 

 

 

  

空っぽの巣  (6.06

 

  今日は親鳥の飛び交う姿が見えないなあ。イヤな予感がして巣をのぞくと願いも空しくあの愛らしい姿は消えていました。

 巣下の小枝が数本折れていたので間違いなく例の猫の仕業のようです。本来ならもっと高い位置に巣を作るはずですが、この巣は根元から2㍍ほどでした。ひょっとして親鳥が若く経験不足だったのかも知れません。猫よけシートが功を奏している思っていましたが、残念です。私も経験不足でした。

 わずか数日の生でしたが雛ちゃん安らかに・・・。

 

 

 

 

 

 

 雛の誕生  (6.02

 

 

 帰宅すると連れ合いが堰を切ったようにしゃべりはじめました。いつものように主語がないので理解に時間がかかりましたが、要約するとこうです。「久しぶりに流しの前の窓を空けたところ、目の前の梅の枝に鳥が巣を作っている。なかに雛が数匹いるようだ」との話でした。

 今朝、さっそく確認してみると、窓から50㎝ほどの葉ぶりのよい枝の巣には生後間もない雛が4羽ほどいました。この木にとまっている頻度からするとヒヨドリではないかと思います。ながめていると、突然その木の幹をそろりそろりと登ってくるものがいるではありませんか。顔見知りの黒い野良猫でした。慌て追い払いましたが、気になるので外に出て確かめると、やはり近くにうずくまっていました。雛がターゲットであることがわかったので以前使っていた猫よけシートを木の根元に敷きつめました。猫も然る者、しばらくは目が離せません。 

 

 

 

 

                     応援するよ!無事育ってくれ~!

 

 

 

 

  続 竹林の住人(5.17

 

 

   昨年、八王子城址近くの竹林の一画で物作りをしている仲間を紹介させていただきました。

  その中のお一人、石橋さんとは今も交流が続いています。

  昨日ひょっこりと最近の作品を持って訪ねてこられました。

  塗装がうまくできない、教えていただけないだろうか?ということであった。

  電動の工具類はいっさい使わず、手工具で丁寧に時間をかけ作り上げていることが

 どれもよくわかる個性溢れる作品でした。

    廃材として生涯を終えるはずだった端材が息を吹き込まれ生き返った良い

 見本かもしれません。

  

 

 

   左からケヤキの表皮部を活かした器、竹の徳利、飾り敷き板   拭きうるし、カシュー漆で塗装  

 

 

 

 

  屋久杉の欄間 (4.18

 

 行きつけの銘木屋さん(勝俣銘木店)で私には無縁と思っていた欄間に目が

止まりました。

 彫刻も然りだが素材(屋久杉)の持つ独特の風格にいつしか見入っていました。

 生産地の屋久島が世界遺産に登録されたことはご存じだと思います。

 それ以来、伐採が禁止され、現在使われているものはそれ以前の材で

希少価値が高く、高値で取引されているそうです。

 

 

 

 親父さん(社長さん)にお頼みしビニールをはずしていただき、写真を撮らせてもらいました。

 天井と鴨居(かもい)との間に、格子(こうし)や透かし彫りの板などを取りつけた部分を欄間といいます。本来は採光・通風のために設けるが、建物に品格を持たせるべく、様々な装飾を施したことから、一般に装飾板自体も欄間と呼ぶようになったそうです。

  古くは平安時代の絵巻物にも原型が見られるそうで、歴史を感じます。

   

 

 

   春爛漫 (3.20

 

  この季節を表す言葉として三寒四温(さんかんしおん)という季語があります。冬季に寒い日が三日ほど続くと、そのあと四日ほど温暖な日が続き、また寒くなるというように7日周期で寒暖が繰り返される現象のことのようです。ところが今年は繰り返しもなく温かくなってしまい、突如夏日まで訪れ、生き物たちはみんな大慌てです。そんな中、母の紀寿(百歳)の祝いを兼ねて帰郷しました。思った通り宮崎は一足先に春をむかえていました。

 

     機上からの富士山がきれいでしたので紹介です   (3/15撮影)

 

 

      早咲きの八重桜です (実家隣の大山さん宅)

 

 

      田んぼのレンゲと畑の中の一本桜 (国富町で3/16 弟撮影)

 

 

 

   祝宴は母の体力を考慮し、お世話になっている”風の杜”のホールで開催でした。会場の設営、飾り付け、そして食事に至るまで、施設の方々のご尽力で心温まる会になりました。

  我々、一言難癖のある兄弟・親族は施設の皆様の痒いところに手が届くほどの細部にわたる心配りに、痛く感動し素直に喜んでいました。
 そのごく一部です。

 

 

 

 ホール入り口の案内     そっくりの似顔絵      イチゴ100個を使ったビッグなバースディーケーキ

 

 

 

 

 

 

  春告げ草  (3.6

 

 

 

  待っていた季節が一歩また一歩と手招きしている様子が実感できるようになりました。

  散歩の途中、近くの畑の畦で小さな春の野草を見つけました。

  無機質だった郊外の景色も、徐々に変化をはじめているようです。

  野草の名前はホトケノザとオオイヌノフグリだと思います。

  

 

 

      寒さのせいで製作も進まないし、アイデアも浮かばないと、一人ぼやいていた私に

   ”いつまで眠っているんだ 早く目を覚ませ”といっているようです。

 

 

 

 

 

 

再会  (2.23

 

   この時期になっても寒さの和らぐ様子はみられません。
   意を決して先日の河原へウォーキングに出かけました。

   白鳥さんたちは春間近を感じ、すでに故郷へ旅立ったんだろうなと半ばあきらめていました。

   到着し河原の土手に上がると目の前を悠然と泳いでいるではありませんか。まさかの再会に感激でした。

   さらに上流に歩を進めると、回りに水鳥たちを従えた一羽がのんびり泳いでいました。近くで眺めていた年配の男性(おっと失礼、私より若い人です)が「私も長年歩いているが、見るのは今年がはじめてです。毎年の越冬地がことのほか冷え込み、餌不足でこちらまで足を伸ばしたのではと思いますが・・・・」『じつは私もそう思っていたんです』 と会話が弾んだ。土手沿いの1㎞余りの木々の小枝にピンクのリボンが数個くくってあった。白鳥の目撃地点の目印のために誰かが付けたらしいという情報もいただいた。お陰で寒さも忘れた気持ちよいウォーキングになりました。 

 

 

 

 

   

 

 

 

  まさか 白鳥! 1.30)

 

   このところの冷え込みは製作にも影響していましたが、今日は突如訪れた小春日和でした。

  日頃の運動不足もありチャンスとばかり近くの相模川(昭和橋上流)へウォーキングに出かけました。今日のコースは真っ直ぐ伸びた土手沿いの私の好きな一本道です。途中、河原や水辺で羽を休めているサギや鴨たちを観察できるという楽しみもあります。今日も眺めながら歩いていると、10羽ほどの白い鳥が潜水を繰り返していました。はじめは大きなサギと思っていましたが、動きに違いを感じ、カメラを向けました。同じようにウォーキングしていた年配の男性二人も足を止め驚き顔で眺めていました。白鳥といったら雪の北国の象徴です。長年の散歩コースですが初の対面に感激しました。距離もありコンパクトカメラでしたのでこれが限界でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 厳冬 (1.20)

 

  今年の冬は、寒さがことのほか厳しく感じます。特に工房は床がコンクリートということもあって底冷えすらおぼえます。ストーブさんにはフル稼働してもらっています。申し訳ないが、ほんの気休め程度です。ということで、製作も焦らずボチボチやっています。

  そんな中、この冬初めての雪景色です。チャンスとばかり人形さんに登場してもらいましたが、スタンバイした途端、横殴りの風雪で可哀想にごらんの通りです。早々に引き上げていただきました。

  

  厳冬なのに雪のなかった関東でしたが、今回は予報が大当たり、しかも大雪(ニュースでは爆弾低気圧と称していました)。雪慣れしていない首都圏は道路・空と大混乱。私も車のスリップが予想されたので、早々に工房を引き上げました。帰宅直後、二階の書斎から撮った裏の川沿いの雪景色です。

 

 

 

 

  祝100歳  (1.01)

 


 私の創作の人形は反応の鈍くなった母の「笑顔が見たい」が原点でした。その母が本年度百歳を迎えます。

  先日、総理大臣、県知事、市長さんから表彰状と銀杯そして金一封が贈られました。ありがたいことに、市の関係者が母の元を訪れ読み上げ手渡したそうです。

  おめでたいので母に内緒で公開することにしました。今の母には話しても理解できないでしょうが・・・・。

  

 

 

 

  母の家系は長寿で知られていますが、百歳を迎えたのは母が初めてです。