日記
読書メモ
『だれが君を殺したのか』読了。
今日、『だれが君を殺したのか』を読み終えた。
読了した瞬間、じんわりと何かが残る感じがした。
はっきりと言葉にはできないけれど、確かにそこにある違和感のようなもの。
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物語に出てきたクリストフは、特別な子ではないと思う。
むしろ、これまで出会ってきた子どもたちの中に、
似た輪郭をいくつも見つけられる気がする。
少し敏感で、少し不器用で、
でもそれをどう伝えたらいいかわからないまま、
関係の中で少しずつずれていく感じ。
その「ずれ」が、周りからは「問題」として
見えてしまうこともある。
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今回、読んでいていちばん引っかかったのは、
やっぱり「誰も明確には悪くない」という構造だった。
先生も、家族も、それぞれの場所でちゃんとやろうとしている。
むしろ、関わろうとしているからこそ、
すれ違いが起きているようにも見える。
それなのに、結果として、ひとりの子どもが孤立していく。
その静かさが、たぶん
「じんわり残る感じ」につながっている気がする。
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そして、自分の仕事(心理職)の視点から。
心理職として関わるとき、
「理解しようとすること」や
「言語化を手助けすること」を大切にしている。
それに加えて、大切だと感じたことがある。
・言葉になる前の違和感や、本人もまだ掴めていない感情に対して、どう関わるかということ。
「うまく話せなくてもここにいていい」と伝えることの大切さ。
・クライエントとの「つながり方」について。
カウンセリングの時間の中では関われていても、
その外の世界(学校や家庭、日常の関係の中)で、
その子(クライエント)がどう存在しているのかまでは、
どうしても見えにくい。
クリストフのように、
関係が断片的なままつながらないとき、
その隙間に落ちてしまうものがある。
その隙間は、あとからは見えにくい。
心理職として、その「隙間」をどう捉えるか。
個別の関わりだけでなく、周囲との橋渡しも含めて、
もっと考えていく必要があるのかもしれない。
これは教育だけでなく、産業分野でも同じことが言えると思う。
クライエント(従業員)だけでなく、上司、同僚を含めた
組織全体をみながらつなげていく役割。
目に見えず、形になりにくい立ち位置ではあるものの、
大切な役割だということを意識しながら、
これからも携わっていきたいと思う。
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今日も、ありがとう。
映画からの気づき
◆映画『父と家族とわたしのこと』を観て
今日、映画『父と家族とわたしのこと』を鑑賞しました。
周囲をみてみると、60代-70代くらいの方が多い印象を受けました。
この作品は、戦争によって深い心の傷を負った父と、その影響を受け続ける家族の姿を通して、
「トラウマがどのように世代を越えて連鎖していくのか」を静かに、しかし強く問いかけてくるものでした。
劇中で描かれる父親の暴言や暴力、さらには性虐待といった行為は、決して許されるものではありません。
しかしその背景には、戦争という極限状態の中で刻み込まれた深いトラウマが存在しています。
言葉にされることのなかった苦しみは、行き場を失い、最も身近な家族へと向かってしまう。その現実の重さに胸が詰まる思いでした。
この作品を通して強く感じたのは、「加害」と「被害」が単純には分けられないという構造です。
父は加害者でありながら、同時に戦争による被害者でもある。
この二重性は、観る者に簡単な理解や結論を許しません。共感しすぎることも、断罪することもできない。
その「宙づり」の感覚こそが、この問題の本質的な難しさを表しているように思います。
また、戦後の社会において「戦争による精神的後遺症」が十分に語られてこなかったことの影響も大きいと感じました。
本来であれば社会全体で受け止め、支えるべき問題が、家庭という閉じた空間に押し込められてきた。
その結果、語られなかった苦しみが関係性の歪みとして現れ、世代を越えて受け継がれていくという、負の連鎖。
映画の中で紹介されていた医療機関や専門家の言葉、そして兵士たちの精神疾患の記録は、
この問題が決して曖昧なものではなく、確かに存在していた現実であることを突きつけてきました。
「知られていなかった」のではなく、「見えないものとして扱われてきた」歴史。
その重みを感じずにはいられませんでした。
この連鎖は決して過去の話ではなく、現在にもつながっています。臨床の中でもそのことを感じています。
そしてこの映画を観ながら、私は現在も世界の各地で続いている戦争のことを思わずにはいられません。
とりわけ中東情勢をめぐる緊張や軍事衝突の報道に触れるたびに、「今まさに同じような傷が生まれ続けているのではないか」という感覚が強まります。
戦争は、その瞬間の被害だけで終わるものではありません。身体的な被害が可視化されやすい一方で、心に刻まれる傷は見えにくく、そして長く残り続けます。
言葉にならない恐怖や喪失、怒りや無力感。それらが適切にケアされないまま放置されたとき、個人の中にとどまらず、家族や次の世代へと影響を及ぼしていく可能性があります。
すなわち、いま世界で起きている戦争もまた、数十年後の家族のかたちや人間関係に影を落とすかもしれないということです。
この視点に立つと、トラウマケアは「過去への対応」ではなく、「未来への責任」でもあると感じます。
さらに、子どもたちへの支援においても、この問題は深く関わってきます。
困窮家庭やひとり親家庭の背景には、個人の努力や選択だけでは説明できない歴史的・社会的な積み重なりが存在していることがあります。
その根底にあるトラウマや関係性の連鎖に目を向けることが、より本質的な支援につながるのではないかと考えさせられました。
正直に言えば、この映画は「観てよかった」とすぐに言えるような、わかりやすいカタルシスを与えてくれる作品ではありません。
むしろ、理解が深まるほどに簡単には割り切れなくなり、「では自分はどう向き合うのか」という問いが残ります。
しかし、その問いを持ち続けること自体に、大きな意味があるのだと思います。
心理職として、「トラウマケア」の重要性と不可欠さを改めて実感しました。見えにくい傷に丁寧に寄り添い、その人の語りに耳を傾けること。
そして個人の問題として閉じ込めるのではなく、社会的・歴史的な文脈の中で理解していくこと。
その積み重ねが、世代を越えた負の連鎖を少しずつほどいていく力になると信じています。
いま起きている現実と、過去の出来事、そしてこれからの未来は、決して切り離されたものではありません。
この作品を通して、そのつながりを見つめ続けることの大切さを、改めて心に刻みました。
これからも日々研鑽を重ねながら、一人ひとりの背景にある物語を大切にし、取り組んでいきたいと思います。
連休は
◆5月2日(土)連休1日目
今日は午前中SV(スーパーバイザー)の仕事へ。
終結の仕方、総合的なまとめも含めて行いました。
グループでのスーパービジョンの良さを
改めて感じられたと思います。
午後は自分自身のメンテナンス。
このところ、いろいろあったので
ちょっと労りタイム。
今日も、ありがとう。
◆5月3日(日)連休2日目(憲法記念日)
今日は大学の仕事の日。
いつもの通り、丁寧に進めていきました。
有意義な時間です。
夕方、お気に入りの傘☂️でお出かけ。
久々にお気に入りの傘☂️の出番で
楽しいひとときになりました✨
今日も、ありがとう。
◆5月4日(月)連休3日目(みどりの日)
今日は晴れたり曇ったり雨がふったり
暑いのか涼しいのか
ややこしいお天気。。。
いつものように、掃除や洗濯をしているうちに
晴れてきたので、
おふとんやクッションも洗濯。
今日できてよかった~
感謝です。
今日は気になっていたテーマについて
執筆したりもしました。あと内省も。
GWは内省する絶好の機会ですね。
今日も、ありがとう。
◆5月5日(火)連休4日目(子どもの日)
今日は映画『父と家族とわたしのこと』
観てきました。
ずっと観たくて
楽しみにしてました♫
(気づきがたくさんあったので別記事でアップします。)
今日も、ありがとう。
久々の休日に
今週末は
◆土曜日
今日から講座スタート。
講座の前に久しぶりに散策。
ステキな風景。
講座では、幅広い年代の
多くの仲間と出会うことができました。
これから楽しみです♫
講座のあと
父と団欒タイム。
最近の様子を聞きながら、
新しい作品も見せてくれました。
やっぱりすごいなぁ〜
猫ちゃんの絵
癒しの一枚です✨
ありがとう。
◆日曜日
先週に引き続き
今週も講師の仕事(心理学)でした。
前回の復習からはじめて
今回はさらに具体的な内容へ。
じっくり丁寧に
進めていきました。
最終回で
「とてもわかりやすかった」
「(担当が)先生でよかった」 と
言っていただけて本当によかったです。
私自身も日々成長していきたいと思います。
今日も、ありがとう。




