日記
当たり前の日常に、あらためて感謝する
昨日は、大雨に見舞われました。
線状降水帯となり、電車もバスも、すべての公共交通機関が運休。
いつもなら当たり前のように利用している交通手段が、
突然すべてストップしてしまいました。
「電車に乗れば帰れる」
「バスがあるから大丈夫」
そんなふうに、普段は意識することさえない日常の仕組みが、
ほんの少しの時間で大きく変わってしまう。
改めて考えてみると、私たちは日々、
本当にたくさんのものに支えられて暮らしているのだと思います。
結局昨日は、小雨になった頃を見計らって、
歩いて移動することにしました。
普段は公共交通機関で移動しているため、
ある程度の距離を歩いて移動するということ自体、
久しぶりのことでした。
歩きながら、ふと思いました。
「歩ける」ということも、決して当たり前ではないのだな。
電車やバスが動いてくれること。
道路が整備されていること。
安全に歩けること。
そして、自分の足で目的地まで歩いていけること。
普段は意識していないことの一つひとつが、
実はとてもありがたいことなのだと気づかされました。
◆「当たり前」が心を支えている
メンタルヘルスの視点から考えても、
日常生活の中にある「いつものこと」は、
私たちの心を支える大切な土台なのかもしれません。
いつもの時間に起きる。
いつもの道を歩く。
電車に乗って仕事へ行く。
誰かと挨拶を交わす。
仕事を終えて家に帰る。
こうした何気ない繰り返しは、
私たちに安心感や見通しを与えてくれます。
だからこそ、災害や大雨などによって日常が突然崩れると、
身体だけでなく心も大きく揺さぶられます。
そんなときに大切なのは、
「いつも通りにできない自分」を責めることではなく、
その時々の状況に合わせて、自分を守る選択をすること
なのだと思います。
昨日、私は、雨の様子を見ながら別の場所で仕事をしつつ、
タイミングを見計らって
「今なら歩けそう」と判断して、
歩いて移動することを選びました。
状況を見ながら自分で考え、できる範囲で行動を選択する。
そんな小さな「自分で決める」という経験も、
心のしなやかさにつながっていくのかもしれません。
◆非日常が教えてくれたこと
大雨という非日常を経験したことで、
普段の生活を新鮮な目で見ることができました。
電車が動いている。
バスが来る。
自分の足で歩ける。
仕事に行ける。
家に帰ることができる。
どれも、特別な出来事ではないけれど、
特別ではないからこそ、つい「当たり前」だと思ってしまいます。
昨日の帰り道は、そんな「当たり前」を
一つひとつ拾い直すきっかけとなりました。
大きな幸せを探さなくても、私たちの毎日の中には、
すでにたくさんの小さな幸せがあります。
今日も歩ける。
今日も仕事ができる。
今日も家に帰ることができる。
そんな日常に、あらためて感謝したいと思います。
そして、何気ない一日を何気なく過ごせることこそが、
実はとても尊いことなのだと感じた一日でした。
今日も、ありがとう。
移動の先にあるもの――経験が私を育ててくれる
◆土曜日
今日も大学の仕事からスタート。
午後からは訪問へ。
仕事のあと、
そのまま新幹線に乗って大阪へ移動。
無事に到着。
全て無事に完了できたこと、感謝。
宿泊先に着いて、少し落ち着いたところで、
部屋に置いてあった一冊の本を手に取った。
『誰も知らない帝王学Ⅱ 勇者の選択』。
何気なく読み始めたのだけれど、
今日の自分の一日に重なるような言葉が、
いくつも目に入ってきた。
特に心に残ったのが、
「生きる価値とは、成長のための体験やプロセスにこそあり、
その中で重要な視点や気づきを得て、より良く生きるための
本当の豊かさを手に入れられる」
という言葉。
仕事をしていると、つい
「今日は何を成し遂げたか」「どんな成果があったか」
という結果に目が向きやすいけれど、
本当に自分の中に残っていくものは、結果だけではない
のかもしれない。
人と出会うこと。
初めての場所へ行くこと。
思い通りにいかなかった経験。
少し苦労したこと。
その時には意味が分からなかった出来事。
そうした一つひとつの経験が、
少しずつ自分の「見る目」を育ててくれる。
本には、
「失敗を含めて多くの経験をすれば、
感覚が研ぎ澄まされていき、物事を見抜く目が
備わっていきます。」
とも書かれてあった。
これは、これまでの自分の仕事を振り返っても、
確かにそうだなぁと思う。
EAPの仕事でも、カウンセリングでも、音楽療法でも、
面談でも、一つとして同じ経験はない。
うまくいったこともあれば、
思うようにいかなかったこともある。
その時は「失敗だったのかな」と思った経験が、
後になって別の場面で役立つこともある。
経験は、すぐには形にならなくても、
確実に自分の中に蓄積されていくのだと思う。
そして、今日の自分に特に響いたのが、
「好奇心旺盛に旅行することは
瞬時に手っ取り早く学びを得る良い手段である」
という言葉。
さらに、
「発想は移動距離に比例する」
という一文もあった。
今日はまさに、移動の一日だった。
場所が変わるたびに、
出会う人も、見える景色も、考えることも変わる。
そして、
「移動した先で初めて知ること、
気づくこと、出会う人、出会うものには、
チャンスの神様が隠れている」
という言葉。
「移動する」ということを、
単なる移動時間として考えていたけれど、
そうではないのかもしれない。
いつもの場所から少し離れることで、
いつもの自分からも少し離れる。
そして、新しいものが見えてくる。
最近、仕事でもプライベートでも、
以前より「まず行ってみよう」「まずやってみよう」
と思うことが増えたような気がする。
一つひとつの仕事が、その時は別々の出来事に見えても、
後から振り返ると、思いがけないところでつながっていることがある。
人生は、そういう「つながり」の積み重ねなのかもしれない。
本の中には、失敗についての言葉もあった。
失敗の三要素は、
①諦めること
②人のせいにすること
③スピードが遅いこと
なのだという。
もちろん、すべてを急げばいいということではないと思う。
でも、「やってみる」「動いてみる」ということは、
やはり大切なのだと思う。
そして、もう一つ、とても心に残った言葉があった。
「辛いと感じるのは逃げていない証拠です」
「報われていないなぁ」
「辛いなぁ」
「疲れたなぁ」
そう感じる時は、誰かのために尽力した証なのだという。
この言葉には、少し救われるような気持ちになった。
疲れたということは、それだけ力を使ったということ。
一日の終わりに疲れているのは、それだけ今日、
自分の持っている力を使ったということ。
そして最後に、
「勇気ある行動の先には、
最終的に美しい景色が見えるはずです。」
という言葉。
これは、今の自分への言葉のようにも感じた。
これから先、どんな景色が待っているのかは分からないけれど、
これまで積み重ねてきた経験も、今日の移動も、出会いも、
仕事も、疲れも、きっと何かにつながっていく。
あしたはどんな一日になるのだろう。楽しみ♪
今夜はゆっくり休んで、明日は明日の場所で、
自分にできることを丁寧にやってみよう。
人生の豊かさは、
何か大きなものを手に入れた時だけにあるのではなく、
今日という一日を経験し、そこから何かを感じ、
気づき、少しだけ成長していくこと。
そのプロセスそのものの中にあるのかもしれない。
そして今日の疲れは、
「私は今日も、誰かの役に立つために、自分の力を使った」
という証。
今日一日に感謝。
今日も、ありがとう。
◆日曜日
今回も先生方と一緒にお仕事させていただき
無事に遂行できました。
帰りの新幹線🚄まで時間があったので
書店へ立ち寄ってから売店へ。
今回はこちらを購入しました。
(万博行けなかったので
ミャクミャクのシール買ってみました)
本当は恩師との再会を楽しみにしていたのですが
今回はお会いできず。。。
またお元気になられたら是非再会出来ることを
楽しみにしつつ、頑張ろうと思います。
今日も、ありがとう。
映画の翌日に、神経発達症(発達障害)について学ぶ ―学びがつながっていく一日
今日は午前中、面談の仕事に関する勉強会に参加しました。
(こちらは開始前にちょこっと座っていた椅子です。
飛騨、いいですね〜☺️)
今回のテーマは「神経発達症(発達障害)」。
ちょうど昨日、映画『平行と垂直』を観たばかりだったので、
「なんだか絶妙なタイミングだな」と思いながら勉強会に
参加しました。
映画では、自閉スペクトラム症の兄と、その妹の姿を通して、
「その人らしく生きること」や「周囲の人がどう関わるのか」
ということが描かれていました。
昨日、映画を観ながら感じていたことが、
今日は少し違った角度から、実際の支援についての学びとして
入ってきたような感覚があります。
神経発達症(発達障害)について知識として理解するだけではなく、
「では、実際に面談するときにはどうすればいいのか」
「どんなところに困りごとが生じやすいのか」
「本人にとって分かりやすい伝え方とは何なのか」
そんな具体的な支援のあり方をイメージしながら学ぶことができました。
知識が増えたというだけではなく、
これから出会う中高生の姿を、少し違った視点から
見られるようになった気がします。
昨日の映画が、今日の学びへの「入口」になってくれたのかもしれません。
こういう偶然のつながりって、面白いなぁ
と思います。
ひとつの経験が、その場で完結するのではなく、
翌日の別の学びにつながり、
そして、そこで得たことが、
また次の誰かとの出会いや支援につながっていく。
そんな「学びの連鎖」を感じた午前中でした。
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午後からは、ピアノ講師の仕事へ。
こちらはすっかりいつものルーティンです。
レッスンの前には、少し自分のための「ピアノタイム」。
いつもの練習メニューに加えて、
来月の音楽療法のリクエスト曲の
弾き歌いの練習もしました🎹
この時間が、私にとってはちょっとした
リフレッシュの時間になっています🎹
午前中は「支援する側」として学び、
午後は「音楽を通して人と関わる側」へ。
一日の中で、いくつかの違う仕事をしていますが、
振り返ってみると、どれもどこかで
「その人がその人らしくいられること」
に関わっているのかもしれません。
面談では、「対話」を通して。
音楽療法では、「音楽」を通して。
そしてピアノのレッスンでは、「音楽を学ぶ時間」を通して。
それぞれ方法は違っても、人と人との間にある
「ちょうどいい関わり方」を探しているという点では、
どこかつながっているように思います。
昨日は映画から考え、
今日は勉強会で学び、
午後はピアノに触れる。
一見すると別々の出来事なのに、
振り返ってみると、ちゃんと一本の線でつながっている。
そんなことを感じた一日でした。
明日もまた、どんな学びや出会いが待っているのか
楽しみです。
日々の仕事や生活の中にある、
こうした小さな「つながり」を
これからも大切にしていきたいと思います。
映画『平行と垂直』を観て ー支えることと、自分の人生を生きること
今日は映画「平行と垂直」を観に映画館へ。
自閉スペクトラム症の兄・日向大貴と、
カウンセラーとして働きながら兄を支えてきた妹・希
のきょうだいの物語。
幼いころから二人で支え合い、
兄は周囲の手を借りながらも自立した生活を送り、
妹はそんな兄を気にかけながら生きてきた。
そんな二人の関係が、
希が恋人からプロポーズを受けたことをきっかけに、
少しずつ動き始める。
「これまで通り」だと思っていた生活に、変化の時が訪れる。
それは、兄にとっても、妹にとっても、決して小さな出来事ではないはず。
映画を観ながら、
カウンセラーとして、そして一人の人間として、
いろいろなことを考えさせられた。
◆「支えること」と「背負うこと」は違う
希は、兄のことを大切に思っている。
だからこそ、これまで兄を支えることが、
自分の人生の一部になっていたのだと思う。
家族であれば、「私がやらなければ」と思う場面は少なくない。
特に、障害のある家族を支える立場にあるきょうだいは、
幼いころから自然と「支える側」になることがある。
でも、
支えることと、背負うことは同じではない。
私はこのことを、カウンセリングの仕事を通しても感じることがある。
誰かを大切に思うからこそ、その人の問題まで自分が引き受けてしまう。
「この人が困らないように」
「私がいなければ」
「私が何とかしなければ」
そうやって相手を思う気持ちが、
いつの間にか自分自身の人生を狭めてしまうことがある。
けれど、本当の意味で相手を尊重するということは、
何もかも代わりにしてあげることではない。
必要なところでは手を貸しながらも、
「あなたの人生は、あなたのもの」
と信じること。
それは、家族であっても同じなのではないだろうか。
◆カウンセラーだからこそ、難しいこと
希自身がカウンセラーであるという設定も、とても興味深く感じた。
人の話を聴き、人の心に寄り添う仕事をしている人であっても、
自分の家族のこととなると、必ずしも冷静にはなれないものだ。
むしろ、家族だからこそ見えなくなるものがある。
カウンセリングでは、相手との間に一定の距離がある。
その人の人生を、その人自身のものとして尊重しながら、
一緒に考えていく。
でも家族の場合は、そこに「これまでの歴史」がある。
幼いころからの記憶。
一緒に乗り越えてきた出来事。
「私がこの人を守らなくては」という思い。
そうしたものが重なっているからこそ、
簡単には「相手の問題」と「自分の問題」を分けられない。
だからこそ、家族への支援では、
「何をしてあげられるか」だけではなく、
「どこまでが自分の役割なのか」
を考えることも大切なのだと思う。
◆きょうだいにも、それぞれの人生がある
この映画を観ていて、特に心に残ったのが、
「兄の人生」と「妹の人生」は、同じではない
ということだった。
もちろん、二人は大切な家族。
支え合ってきたからこそ、深い結びつきがある。
でも、家族であっても、それぞれに未来がある。
兄には兄の人生があり、
妹には妹の人生がある。
それぞれが自分の人生を歩みながら、
必要なときには支え合う。
私は、そんな関係が理想なのではないかと思う。
「家族だから一緒に生きなければならない」でもなく、
「自立するためには家族と距離を置かなければならない」でもない。
近すぎず、遠すぎず。
必要なときには手を差し伸べられるけれど、
お互いの人生を尊重できる距離。
そんな関係をつくっていくことなのかもしれない。
◆ 「平行と垂直」というタイトル
映画を観終わってから、タイトルについても考えてみた。
平行線は、どこまでいっても交わらない。
でも、同じ方向を向いて進むことができる。
一方、垂直は交わる。
人生の中で、何度も出会い、影響し合う。
家族というのは、もしかすると
「平行」と「垂直」の両方なのかもしれない。
ずっと一緒にいるのではなく、それぞれの道を歩いていく。
けれど、人生のある地点で交わり、支え合い、
またそれぞれの道へ戻っていく。
そんなことを、この兄妹の姿から感じた。
◆「その人の人生」を信じる
カウンセラーとして人と関わるとき、
私は「その人を変える」ことはできないと思っている。
できるのは、その人が自分自身の気持ちに気づき、
自分の人生について考え、自分なりの選択をしていくためのお手伝い。
それは、家族に対しても同じなのかもしれない。
心配だからといって、先回りしてすべてを決めてしまうのではなく、
「この人なら、自分の人生を歩いていける」
と信じる。
そして、自分自身もまた、
「私も私の人生を生きていい」
と思えること。
支える側の人にも、自分自身の人生がある。
誰かを大切にすることと、
自分の人生を大切にすることは、
決して反対ではないのだと思う。
◆ 映画を観終えて
厚労省のページに
映画『平行と垂直』とタイアップ!
と書かれていて「あ、観てみたい!」と思い、すぐに予約して
やっと今日観ることができた。
「平行と垂直」は、障害や家族をテーマにした映画でありながら、
私にはもっと普遍的な物語にも感じられた。
家族との距離。
誰かを支えるということ。
自立とは何か。
そして、自分の人生をどう生きていくのか。
大切な人がいるからこそ、迷う。
大切に思っているからこそ、手放すことが難しい。
でも、相手の人生を信じることは、突き放すことではない。
そして、自分自身の人生を選ぶことも、
決して誰かを見捨てることではない。
そんなことを静かに考えさせられる映画だった。
「支える」という言葉の奥には、
その人が、その人自身の人生を生きられるようにする
という意味もあるのかもしれない。
そしてそれは、カウンセラーとして人と関わるときにも、
家族と向き合うときにも、大切にしていきたいことだと思った。
それぞれの人生を歩きながら、ときどき交わる。
そんな「平行」と「垂直」の関係を、
私自身も大切にしていきたいと思う。
今日も、ありがとう。
今週末の過ごしの記録
◆土曜日
今日は朝から先生方とお仕事。
午前中で無事完了したので、
午後からはいつもの仕事&来月からの新たな取り組み(仕事)
の準備をしました。
午前中の仕事からの帰り道、
あまりにも暑いので💦
ちょっとひといき。
今日は
「オーツ麦抹茶ラテ」
をいただきました(シュガーなし)。
しっかり抹茶の味を堪能できました。
シュガーなしで正解だったかも。
初めてのお店に入ってみたのですが
店員さんも感じがよくて
居心地もよかったです。
機会があったらまたふらっと立ち寄ってみようかな。
帰宅してから、
新しい取り組み(仕事)の準備に取り掛かりました。
事前に結構インプットしておくべきことも多いので
メモをまとめながら進めていきました。
まとめることで、当日のイメージがより明確になり
子どもたちへの支援のイメージを描くことができたかなと思います。
今日でおおよそ準備ができたので
あとは詳細を確認して準備を整えていきたいと思います。
今日も、ありがとう。
◆日曜日
今日の琵琶湖
今日は午前中、父の顔をみに立ち寄って
その後、お仕事へ。
(↑こちらのショコラサブレは
帰りの電車の中でいただきました😋)
今日も、気づきの多いひとときとなりました。感謝です。
今日も、ありがとう。












