講師(宗夜)ブログ
●秋の和菓子『梨』
●いちご大福
先生の『いちご大福』は抹茶みるく餡とみるく餡の2種類。
どちらも瑞々しくて本当に美味しい。
いちごのフレッシュさが生きています。
大福の生地と餡の柔らかさが同じくらいに調整されていて、口の中で一体となってとろける味わいを作り出しています。
その中でやや穏やかな酸味のいちごが加わり、春の訪れを告げています。
日本の赤い宝石、いちご。
先生のいちご大福は平安期王朝文化の雰囲気。
平安時代の貴族の女性たちは十二単と呼ばれる衣裳を纏っていました。
襟元や袖元、裾などを三枚、五枚と重ねて、わずかずつずらしてその色目を楽しんでいました。
『襲の色目:かさねのいろめ』
襲の色目は、それぞれすべてに名がつけられていました。単色どうしを組み合わせてセットとし、セットごとの名があったのです。
平安期の日記や、源氏物語にも、その襲の色目などの描写にて人物の衣裳が紹介されています。
きっと当時の女性たちは、ファッション雑誌を眺めるような気持ちで源氏物語を愉しんでいたのではないかと思うのです。
みるく餡のいちご大福は、桜の襲かな。
抹茶みるく餡のいちご大福は、萌黄の襲かな。
先生の作るいちご大福のいちごちゃん。
私には平安時代の雅な女人に見えてきました。
●平安時代のお菓子『蘇』
宗嘉先生が平安時代のお菓子を再現してくれました。
『蘇』です。
濃厚なお味。
クリームチーズのような味わいです。
先生が『蘇』の上に蜂蜜をかけてくださいました。
当時、蜂蜜が献上されていた記録が残っており、ごくごく少数の貴族が食していたそうです。
乳白色で、優しい甘さと優しい香り。
しっとりとした感触ですが、表面は少し硬め。
楊枝で切ることが出来て、持ち上げて口に運ぶことができます。
濃厚なのでほんの一口で満足です。
現代で言うところの高級チョコレートのような位置付けでしょうか。
『蘇』は音読みでは『そ』ですが、
訓読みでは『よみがえる』です。
もしかしたら療養食でもあったのではないかと思います。
現代の私たちが味わっても十分に美味しい。
そして十分に豊かな気持ちになれる。
平安期の人々と、味覚からも繋がることができる。
そんな気持ちになりました。
会うことは出来なくても、言葉を交わすことは出来なくても、人間は繋がれる。
時代を超えて繋がれることは、とても楽しい。
お菓子と物語が繋ぐ、人と人。
●睦月の和菓子『花びら餅』
睦月の和菓子は『花びら餅』でした。
宗嘉先生の花びら餅は繊細なお味。
味噌餡を包むふんわりとした餅生地は『雪平』です。
餅粉とメレンゲを合わせて作られています。
素人には難しい技法で作られた生地は柔らかく滑らかな舌触り。
口に含むとマシュマロのような感触。
メレンゲの細かな気泡がそのような繊細さを生むのでしょうか。
味噌餡の向こう側には、優しい甘さの牛蒡(ごぼう)。ほのかに土の香り。こころが安らぐ香り。
限られた時間の中にありながら、手間を惜しまず、豊かな発想の元で生まれる宗嘉先生の和菓子たち。
茶道に対する深い愛情と、人生に向ける強い思いをいつも感じます。
美味しい、だけではないのです。
『生きる勇気』を味わえる和菓子です。
勇気が途切れそうになるような、このご時世。
リラックスだけではない。精進だけでもない。
五感を解放させて、心の平静を整えて、生きる勇気を持つ。持ち続けるお手伝いをする。
茶道教室にはそのような役割もあるのではないかな、と最近感じています。
●お菓子作りには夢がある
お菓子作りには夢がある。
それは作っている時から、誰かと一緒に食べることを想像しているから。
『わぁ美味しい。』
『美味しいねー。』
こんな風に盛り上がるのを想像しているから。
『ねぇ、これどうやって作ったの?』
『それはね、こうやって、こうやって』
先生に教わった作り方を知ったかぶって教えちゃう。小鼻ピクピクさせながら。
『へーそうなんだ。』
でも相手はあんまり聞いていない。
(全然聞いてないじゃん)
それもまた楽しい。
お菓子と共にいただくお茶も美味しい。
手の平に収まる器。
じんわりと温かさが伝わってくる。
暮らしの中にある小さな幸せ。
材料切って、揃えて、測って、粉振るって…
やること色々、いっぱい。
焼いたり、蒸したり、形を作ったり…
出来た!
和菓子って自分でも作れるんだ。
これも自信になる。小さい自信。
和菓子サイズの自信。
小さくて良いの。
大人の女性にはちょうどいい。
ちょうどいい、が一番大事。