よりみち日記&身近な法律

2026-03-08 17:35:00

 本日の南日本新聞に、2025年度南日本文学賞が決まったとの記事があった。知人が詩部門の選考に残っているようだったので気になって居た。残念ながら知人の名前はなかった。ビックリしたのは、詩部門受賞の馬場広大さんが、22年度の小説・文芸評論部門でも受賞されているという事実。何となくどこかで見た記憶があるお名前とは思っていたが、まさかである。どんなに凄い方なんだろうと思ってしまう。

 文学というと身近なところでは、つい最近の、2月末の土曜日に伊仙町ほーらい館で行われた「島口つこわでー大会」のことである。司会をさせてもらってたので、方言について石川啄木の短歌を紹介したかったが、すぐには思い出せなかった。大会も終わりに近づいた頃に、やっとググって分かったが、時既に遅しで紹介する時間は無かった。ご存じの方も多いかと思うが、その短歌は「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」だ。が、続いて下の方に新たによく出来た短歌を見つけた。「ふるさとの訛なくせし友といてモカの珈琲はかくまで苦し」(寺山修司)。僕も東京の学生時代は、訛りを無くそうと「~さ」とか東京弁の真似を一時したことがある。今思い出すと恥ずかしい。最も、僕の是までの人生は、恥ずかしさ以外の何ものでも無いようなものだが。短歌では、最近は、永田和宏さんが好きだ。現在、南日本歌壇の選者のお一人でもある。本職は科学者だが作歌も本職以上のご活躍で超有名人。歌や文章も気取らずに、あちこちで「にやっ」とさせるところがある。

 啄木の他に好きな短歌は、何と言っても在原業平の歌。「つひに行く道とはかねて聴きしかど昨日今日とは思はざりしを」。また吉田松陰の歌「親思う心に勝る親心けふのおとづれ何と聞くらん」や明治天皇の次の歌もいい。「さしのぼる朝日のごとくもさわやかにもたまほしくは心なりけり」。俳句では「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」(小林一茶)や「やせ蛙負けるな一茶ここにあり」(同)、「我と来て遊べや親の無い雀」(同)、「めでたさや中位なりおらが春」(同)、「柿食えば鐘があるなり法隆寺」(正岡子規)などか。子規は、「病牀六尺」などの随筆も病床とは思われぬほどの明るさに満ちていてとても面白い。好きな詩もたくさんあるが、今は茨木のり子がいい。「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」など。後者を少し紹介しよう。「ぱさぱさに乾いてゆく心を/ひとのせいにはするな/みずから水やりを怠っておいて/・・・自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ・・・」。詩の全部を載せたいが分量が限られているので載せなられないが、そんな調子だ。数日前だったか、偶然、テレビで茨木の生前の録画を見た。司会の女性の方だったか茨木ご本人の言だったか、忘れたが、「茨木さんは、怖い人だと思っていた」という言葉があった。茨木は、それでもあっけらかんとしている感じだった。すべてそんな調子の人なのだ。谷川俊太郎もいいなあ。文学という世界の、言葉が持つ、同感ややすらぎ、幸福感などの計り知れない味わい。そこには人生そのものがある。終わりに、僕の文学との関わり(と言えるほどのものでは全く無いが)は、高校1年時の国語の教科書に載っていた小林秀雄の「美を求める心について」の一文と担任だった国語専門の湯浅先生との出会い(これも僕だけの勝手な思い込みだが)から始まる。湯浅先生は、中原中也を卒論とされたとのことで、小林秀雄についても詳しかった。僕はその動線上で、学生になってから、長崎の雲仙会場と鹿児島の霧島会場で小林秀雄の講演を二回ほど拝聴した。ほぼ内容が分からずに講演中は居眠りをしてたなあ。その時の講演の内容は、文学者や評論家では異例のレコードとなって発売され、今はCDとして新潮社から発売されているから聞くことが出来る。小林秀雄の講演CDは全8巻あるが、僕が会場で拝聴したのは、「信ずることと考えること」(小林秀雄講演第2巻)と「本居宣長」(小林秀雄講演第3巻)だった。実家にあった講演レコードは前者だったが、7年前に実家が全焼して今はもうそれも無くなった。

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