~大切だと思うこと~
東洋医学では
人間と自然(宇宙)は一つである
人体のしくみも形も
自然に相応している
という考え方があります
例えば、太陽や月は、人間の両目
天のもたらす雨風は人の喜怒など
この考え方から言うと
人間の身体の中の
エネルギー(=気)のバランスも
よく分かります
身体の中で、温かい部分、冷たい部分
弾力のある部分、力のない部分
今期の雨のように
洪水になるほど滞留している部分
足りなくてカラカラに乾いている部分
この不愉快なアンバランスの原因は
何でしょうか?
日常の生活のあり方
身体の動かし方
思い癖
生まれてから今日までの何かが
少しずつ降り積もって
今の自分が出来たのです
そこに生じた痛みや不快感は、
憎むべきものではありません
頑張りすぎていたり
無理しすぎていたりしている自分を
もっと幸せでバランスの良い自分に
生まれ変わらせる為に
身体が声なき声で教えてくれている
心が変わらねば
一時的に良くはなっても
形を変え場所を変えて
このアンバランスを
身体は訴え続けるでしょう
そうはいっても
心はなかなか変わりません
ではどうしたらいいのでしょうか?
ただ ただ 数歩下がって
遠くから眺めてみるのです
今の自分を自分を見て
いい悪いの判断もしません
何の判断も交えずに、見つめるのです
私達の心の中に天秤があって
この天秤はいつも右に左に揺れている
本当は真ん中に戻りたいのに
感情の波に飲まれて
傾く、移ろいやすい天秤
中庸という言葉があります
できるだけ、かたよらないで
真ん中に戻るという意味です
頑張りすぎていないか
考えすぎていないか
誰かに依存しすぎてはいないか
一人で抱え込んでいないか
誰かを心配ばかりしてないか
気功では極端な感情は
心身の気を損なうと考えます
怒り 憂い 思い 悲しみ 恐れ
驚き そして喜びまでも
極端であれば
気を損なうという考えです
といっても人間ですから
感情には当然波があります
波に翻弄されたとしても
自分が感情に翻弄されていると
気づく事
人体の中庸はどこにあるのか?
気功だけでなく、武芸やヨガ、
声楽などでも
「丹田」という部分を重要視し
大切にします
聞きなれた言葉ではありますが
実際どこかと問われると分からない
という方が大半なのでは
丹田の位置については説が色々ですが
私はお臍の下指4本くらい下の、
深さ9㎝位の場所だと考えています
ツボのような存在と異なり
丹田というスペースだと考えたほうが
わかりやすいでしょう
物体としてあるわけではないけど
意識することで存在する
そのような場所です
人間が2足歩行になってから
人間の気のバランスは崩れたと
いわれています
人間は、成長するにつれ
気が上りがちになります
気をつなぎ留めておく
腎の力の衰えも理由の一つですが
頭や神経を
使い過ぎているのかもしれません
物事にあれこれ考えを付け足して
ああでもない こうでもない
どんどん事態を悪く肥大させてしまう
心の不安定
心の軸が揺れてしまうと
身体の軸も揺れてしまう
年を重ねるほどに、
高血圧とか脳の病気、めまいなど
上半身の不調が増えていくのは
こういった理由もあるでしょう
気功では、「意守丹田」といって
意識を丹田に集中させます
人体の気のバランスも
中庸を求めているのです
丹田は気を貯めておく場所でもあり
しんから力を出す時は
無意識に丹田に力が入り
丹田から気を出しているのです
気の観点からみると
一番重要な場所です
心が不安定な時、イライラしてる時
つまり 幸せから離れた状態に
心の波動が落ちている時
そんな時はまず
身体の中庸=丹田を意識して
数分呼吸をしてみます
そういう意識に戻れれば
いつのまにか
本来の自分に帰る道を
見つける事が出来ます
教室で行っている功法は
日々の養生が目的です
軽い頭痛やだるさ、疲労感などは
教室の1時間半の経過の中で
いつのまにか良くなっていたり
教室に数か月通われた方が
体調が少しずつ良くなってきて
気持にも前向きな変化が起こり
喜んで下さるという事は普通にあります
気功教室だから当たり前といえば当たり前
の事ですが・・・
ただ長年続いている不調や体の問題については
時間がかかります
これは、病や不調の元に自ら気づくまで
続きます。
そしてこの気づきというのは
病や不調を、憎しみや否定の対象ではなく
痛みすらも許し
受け入れる事が出来た時
弱いだめな自分をまるっと許し
肯定できる段階になっていけた時
いつのまにかもたらされるものです
気功をする目的は「病を治す」「ストレス解消」等
皆さんそれぞれに色々あると思いますが
そういう目的すら忘れる心を造っていく事こそ
気功の道だと思うのです。
ないものを数える、思う事は
今の自分を否定する事でもあり
今の自分にダメ出しする事でもあります
今持てるものに感謝して
喜ぶ事の出来る心を育んでいく
教室の中で私が一番大事にしている根っこの部分です
そういう私もまだまだ出来ていないのです
なので共に学ぶつもりでおります
教室の中で、いつも「中庸」が大事と
お話しているのは
偏りのあるゆがんだ視点からでは
自分が見えないからで
自分が見えなければ変容はあり得ない
まずはあるがままに
自分を俯瞰できるようになる事
ここからがスタート
スタート地点に立てたなら
体の中に起こっている問題
どこに滞りがあったり
どこが足りない、あるいは過剰
心がどう無理しているのか
本来の自分とどこが調和できていないのか
諸々のアンバランスに
自身で気付けるようになってきます
何が必要でどうしたらいいのかは
不思議と自然に分かります
手が、身体が、感覚が教えてくれる
いつか必ず必要なタイミングで
分かっていただける日がやってきます
私の場合 手が勝手に動き
探っていると
こんがらがった固い結び目が
すこしずつほどけてくる・・・・
そういう感覚です
気が深い所で動く感覚は
動功で得られる心地よさとは
また違う深い「癒し」
優しさに満ちた許されていくような
柔らかい感触です
教室でもいつもお話していますが
まずは自分の身体に触れ
たどたどしく カタコトでもいいので
コミュニケーションをとっていく事
これを日々積み重ねていくと
赤ちゃんが言葉を覚えていくように
少しずつ感覚が磨かれていき
自らを癒す事が出来るようになってくるのです
生命あるもの全て気を感じ
気の海の中で生きています
気というのは
目で見ることは出来ません
ただ、誰もが感じ実感しながら
生きているのは事実です
朝起きて
今日は気分がいいなと思えたら
今日の身体の気の巡りは
上々だという事
やる気がおきない、疲れてる、だるい
そのような時は気が足りていません
美しい風景や自然に出会った時
木々から流れてくる涼しい風を
心地よく感じたり
小鳥のさえずりを嬉しく感じたり
誰かと一緒に居て心安らいだり
これらは良い気を
身体で心で感じ吸収しているという事
逆に、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車や
あちこちにゴミが散乱している繁華街
うんざりと待つ人のあふれている
病院のロビーなどに行けば
あまりいい気持ちはしないでしょう
日常で意識していないだけで
私達は気の海の中で生きています
気功では意識的に良い気を取り入れ
身体にたまった
古く濁った気を排出します
これには方法がありますから
本を読んだだけ
動画を見たりだけでは
難しいでしょう
実際は、気功経験のある人もない人も
等しく気の海の中で生きている事には
変わりありません
少しだけ心を透明にして
いつもより丁寧な呼吸をして
五感を働かせて、感じてみてください
息を吸うと身体はどう感じるか
息を吐くと身体はどう感じるか
息を吸い込む時は
木が成長するように背骨が上に伸び
息を吐きだす時は、温かい大地の中に
身体が沈み込んでいくよう
身体が温かくなったり
手のひらがジンジンしたり
呼吸が少しずつ深まり、心が休まり
いつも考えで一杯の頭の中が
シーンとする瞬間
きっと昨日までの嫌な思い出や
忘れてしまいたい事
明日からの心配も手放して
気の海の中にゆらゆら揺られ
安心している自分を
今この瞬間の幸せを
感じる事ができる自分を
見つけること出来るはず
気功を続けると
小さな身体のサインに気づきやすくなります
もともと 気功を生活の中に
取り入れようとされている方は
素直に心を内側に向ける事が
得意な方が多いです
体調に問題を感じれば
まずお医者様にきちんと診て貰う事は大切です
が、頼りすぎては危険です
沢山の患者さんを
限られた時間で診ないといけないお医者様は
私達の生活パターン1から10まで
しっかり聞いてくれて
診断してくださる余裕はありません。
あくまで自分の主治医は自分です。
気功は 古来中国で病気の予防、
治癒を目的に大切に育まれてきました。
素晴らしい効果的なノウハウをいくつも持っています。
ですが 患った時間と 治癒にいたる時間は
比例しているように思います
続けることによって 少しずつ
からまった固い結び目がほどけるように
症状が変化します
心の変化も平衡しておこります
気功による このような なだらかな変化は
身体のバランスを保ちながら
少しずつの変化をもたらすので
副作用がありません
これまでお会いした
病を経験されて克服された方は
うらやましいほどに
清々しい心持になられています
そういう方のお顔はとても美しいのです
病によって生き方の修正も行われるのでしょうか
身体はもしかして
私達の心に出来た冷たい氷の塊を
少しずつ溶かすために
痛い思いをしたり
細胞を弱らせたりして
サインを送ってくれているのかもしれません