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日記

2023-08-09 18:40:00

按摩術営業取締規則に関する請願

大正10年6月23日に出された

 

按摩術営業取締規則に関する請願書です。

 

この意見書を出した福島という方、の住所が津市になっています。三重県津市のことかと思い、読解してみました。

 

按摩術営業取締規則が改正され、営業するために試験合格するか専門学校の卒業を条件とすることになったようです。

その結果、これまで按摩業をしていたのに廃業せざるを得ない視覚障害者があったようです。鑑札(営業できるお札)を持っていた者は、従来通りに営業できるようにして欲しいという旨の嘆願かと思われます。

以下に意見書を記してみます。

 

 

意見書

 

請願文書表題三二二九

ç

津市蔵町一〇一四番地 福島芳丸

外八名呈出(紹介議員 越山太刀三郎君)

 

右請願の要旨は按摩術営業取締規則は大正九年四月内務省令を以て改正の結果⚪︎⚪︎地方長官の施行する「マッサージ」術試験に合格するか或は指定せる学校にて該術を習得卒業者に限り該術を標榜し営業することを得ることとなれるを以て同規則改正当時の該術営業者にして廃業の止むなきに至る者あり之請願人等の苦痛に堪へさるところとす依て規則改正当時の按摩鑑札所有者に「マッサージ」術営業を許可せられたしと請ふに在り

衆議院は其の趣旨を至当なりと認め之を採択すへきものと議決せり

依て議員法第六十五条に依り

別冊及御送付候也

 

昨日の盲人保護法の制定への請願の本文中に出てきた按摩術営業取締規則について調べていたら、この意見書を見つけました。

津市蔵町は、現在の津市大門、商店街を東に抜けたあたりのようですね。

確かに津市の方が意見書を出したようです。

今日はここまで また明日 by. 永瀬 賢

 

2023-08-08 10:11:00

昭和6年盲人保護法制定の請願

久しぶりの日記更新です。

1週間ほど前かな、昭和6年盲人保護法制定の請願についての記述を日記にアップするときに保存ができずに全部消えてしまってから、もう一度書き起こす気持ちをつくるのに時間がかかりました。

あと、ちょうど、県外からの研修生さんを1週間ほどお預かりしておりましたので、日記を書く時間を持つことができませんでした。

今日はお久しぶりの更新です。おつきあいよろしくお願いいたします。

昭和2年、4年の請願を経て、昭和6年に再再提出された請願書を書き下ろしてみます。

 

盲人保護法制定の請願

東京府北豊島郡高田町雜(ざつ)司ケ谷⚪︎原五十一番地

齋藤武彌

外 五百八十九名呈出(提出) 貴族院

五千十三名呈出(提出) 衆議院

本請願の要旨は近時 我が国の盲人は約十万に及び之が保護救済を或るは刻下の急務なるに拘らず未だ何等(なんら)見るべき社会的施設の講せられさるは人道上寔(まこと)に遺憾とする所なり故に政府は救護法の貫施を以て足れりとせす特に盲人保護法を制定し、教育、授産及救護等の施設を講し以て盲人生活の不安を軽減せられたしと請うに在り貴族院及衆議院は採択すべきものと議決せり

盲人保護に関しては従来盲人の保護救済を目的とする社会施設に対し奨励助成の途を講じ或は明治四十四年内務省令第十号按摩術営業取締規則を以て盲人に対しては受験資格及試験の程度に付特典を興へ又は地方の状況に依り無試験にて免許観察を交付する等相当保護の途を講じ来りたる所にして尚近く救護法を施行するに於ては労働能力なき貧困盲人は総て救護を受くることを得へし然れとも盲人の保護救済は未た現状を以て充分なりと言ふを得す依て此の⚪︎に関しては更に調査

攻究を遂け将来適当なる方策を講せんとす

右 閣議を請う

昭和六年七月十三日

本文ここまで

請願の人数が、貴族院から、衆議院から更に人数を大幅に増員しての請願になっています。

按摩業を生業としている視覚障害者は按摩術営業取締規則である程度の救済がされているが、仕事に就けない視覚障害者の貧困な生活について盲人保護法においてどう救済するかを考えなければならない、というニュアンスの請願内容になっています。

すでに議決されているのに関わらず、盲人保護法が制定されていかないことに対する再々の請願、という位置付けでしょうか。盲人保護法がすぐに制定をみない背景として、1929年(昭和4)4月2日公布、1932年(昭和7)1月1日施行された救護法がありそうです。このあたりの経緯を調べる必要がありそうですね。

今日はここまで また明日、と言いたいところですが書けるかどうか、お約束ができずですみませんが。できるだけまた明日、です。  by 永瀬 賢

2023-07-31 11:02:00

本日は日記お休みです

作成した日記を保存したはずが、

なんのトラブルか、全文消えてしまいました。

昭和6年の盲人保護法請願書について書いたのですが。

また次回で。

今日はこれにて失礼します。  by  永瀬 賢

 

2023-07-29 15:27:00

盲人保護法制定に関する請願 昭和4年

昭和2年の盲人保護法制定に関する請願後、再び4年に請願がされることになります。

こちらのほうは、斎藤さんのほか、貴族院78名、衆議院135名で請願していることになっています。貴族院とは皇族、華族などで構成される議員です。まだ参議院はない時代です。昭和2年の請願に比べると、背景で進展があっての請願のような文面に感じます。

まずは、本文をお読みください。

盲人保護法制定に関する請願

東京府北豊島郡高田町大字雜(ざつ)司ケ谷五十一番地

斎藤武彌

外(ほか) 七十八名呈出(ていしゅつ) 貴族院

      百三十五名呈出(ていしゅつ) 衆議院

本請願の要旨は我が国の盲人は約十萬に及ふも未た何等(なんら)之に対する保護的施設の見るへきものなく親兄弟等の扶養に放任せられ居る爲悲惨なる境遇に在る者頗(すこぶ)る多きは人道上寔(まこと)に遺憾とする所なり故に盲人に対しては或は教育、授産の途を講し或は一定の箇所に収容し依て其の生活を保障する等之か救済を図るは社会政策上最も緊要のことなりと信す依て速に盲人保護法を制定せられたしと請ふに在り

右 貴族院及衆議院に於て採択すへきものと議決せり

盲人保護に関しては従来盲人の保護救済を目的とする社会施設に対し奨励助成の途を講じ或は恤救規則に依り極貧の者の救助を爲す等相当留意しつつある所なり○して

今般制定せられたる救護法は現行恤救規則に比し著しく救護の範囲及程度を○充せるを以て同法の施行に依り貧困なる盲人は凡て之か救護を受くること、なると○も元来盲人の保護の如きは特殊なる方法に依るに非されは其の徹底を期し難きの感あるを以て此の○に関しては更に充分なる調査研究を遂け将来適当なる方策を講せんとす

右閣議を請ふ

昭和四年六月二十七日

内務大臣 望月 圭

内閣総理大臣 男爵 田中 義一殿

 

貴族院と衆議院の両方の議院で、採択すべきと議決した、と書いてありますから、その後に再び請願をしているということになりますね。

この年の4月に、救護法という法律が制定されたすぐ後に、この請願がされています。

救護法は、

第1条で

左に掲ぐる者貧困の爲 生活すること能はざるときは本法に依りて救護す

1 65歳以上の老衰者

2  13歳以下の幼者

3   妊産婦

4 不具廃疾、疾病、傷痍 其の他 精神又は身體の障碍に因り労務を行ふに故障ある者

と記述しています。身體の障碍に因り、の身體の體が骨に豊と書く漢字を使用し、障碍の碍が、さまたげるの碍、日本碍子の碍を使用している点が注目ですが、

それはまた後日の日記でテーマにするとして。今回は、救護法で救護対象者として視覚障害者も含んでいるであろうけど、視覚障害者は特殊な方法で保護しなければならない部分があるから救護法では網羅できない、よって充分に調査と研究をして盲人保護法の制定を急いで欲しい、という旨の請願書になっていると思います。

救護法の登場によって、盲人保護法が後手になった、ということなのでしょうかね。この辺りの経緯を調べておく必要がありそうです。

実は、続けて昭和6年に再々度、盲人保護法制定の請願書が出されています。次回は、そちらの方の請願書を読んでみたいと思います。

では、また明日。  by  永瀬 賢

2023-07-29 09:32:00

盲人保護法制定の請願 昭和2年

身体障害者福祉法に至る過程において、当事者団体が請願した盲人保護法の成立に向けた請願について、公文書で見てみます。

以下

内務省衆衛第43号

盲人保護法制定の請願に関すること

右請願の要旨は古来盲者は按摩術等に依り其(その)生計を維持し来りたるも現在に於(おい)ては何等之か保護制度なき爲(た)め暫時晴願者の爲(た)めに侵追(か迫)せられ今や其(そ)の生活に危惧を感するの状態に在り依て按摩術を盲人の専業と為すの法期を制定し以て之を保護するの途を講せられたしと請ふにあり

按するに盲人に特典を興へ之を保護することは必要なことに属するを以て明治四十四年省令第十号を公布し盲人に対しては受験資格たる修行年限を短縮したるのみならす晴眼者と区別し簡易なる試験を挙行し又地方の状況に依りては無試験にて免許を興ふる等晴眼者に比し格別の特典を興へ以て盲人の利益を保護したり故に更に進て按摩業を盲人の専業と為すの必要なきものと認む 右閣議を請う 昭和二年七月八日 内務大臣 鈴木喜三郎 内閣総理大臣 男爵 田中義一殿

 

昭和2年に作成されたこの文書では、視覚障害者は盲者か盲人と記述され、せいがん者は、正しい眼の者ではなく、晴れた眼の者と書くほうの晴眼者で記述されています。

明治、大正という時代の時間経過を経て、按摩を生業としていた視覚障害者の生活が困窮している現状を訴えています。

視覚障害者の按摩業は、戦前、戦後、そして現在と何度も制度の中で立ち位置を揺るがされてきたのがわかりますね。

by  永瀬 賢

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