日記
緑内障 glaucoma
日記を書く時間がなく、夜になってしまいました。
日本において
失明原因になる眼疾患の第一位は緑内障です。英語ではglaucoma。
glaucusが青緑という意味を含み、ommaが眼という意味で繋がってひとつになったといわれています。緑内障の急性症状にある人の目が青緑っぽく見えたというエピソードから、このような疾患名になったそうです。
緑内障は、原発性と続発性に大別されます。
原発性は他の疾患に起因していないタイプ、
続発性は他の疾患に誘発されて二時的に起きている、とでもいえばいいでしょうか。
原発性、続発性ともに、
開放隅角緑内障、閉塞隅角緑内障があります。
閉塞隅角は、眼球内部の水路が塞がって狭いので、いわゆる眼圧があがって視神経を圧迫して侵してしまって失明に至る、という典型的な緑内障です。
開放隅角は、水路が塞がっておらず、高眼圧の場合の他に、眼圧が高いわけではないのに緑内障という場合があります。正常眼圧緑内障といいます。
日本人の緑内障は、この正常眼圧緑内障が圧倒的に多い、全体の90%はこちらという事実が判明しています。
眼圧が高くない🟰自覚症状に乏しいということです。
40歳以上で20人から30人に1人の割合で緑内障といわれていて、そのうちの90%は気づくのが遅れる、というなかなかおそろしい病気です。
では眼圧があがるタイプは気づくのがはやいから安心なわけではまったくありません。こちらは一気に悪くなりますから、やはりできるだけ早期に
発見、治療に至れる、時間との勝負になる、と言ってよいと思います。
40歳以上になったら
定期的に目の検査を受けてください、といわれる所以です。
20人に1人、
けっこうな高確率、誰でもなりうるという認識にたって、早期発見に努める必要があるのが緑内障と知って欲しいと思います。
すっかり遅くの更新で。
日が変わる2時間前の更新日記になりました。
また明日 by 永瀬 賢
報酬単価の地域区分
同行援護は、対象を視覚障害の方に特化した外出支援サービス名です。
報酬単価がサービス実施時間で違っています。報酬単価とは、サービスを実施した事業所に支払われるサービス報酬のことです。この報酬単価は単位という考え方で表記されており、例えば100単位であれば概ね1,000円になります。つまり、1単位は概ね10円です。
さて、この1単位概ね10円、概ね、と言うのはわけがありまして。10円を基準にして加算のある市町があるのです。障害福祉サービス地域区分というのがございまして、全国の市町を1級地から7級地、その他の8つにわけています。10円を基準にして、1級地10%増、2級地16%増、3級地15%増、4級地12%増、5級地10%増、6級地6%増し、7級地3%増し、その他0%つまり10円という、級地による金額調整があります。地域区分の適用地域という名の表で整理されているのですが、障害者サービスと障害児サービスでどの市町がどの級地に当てはまるかが違っています。
障害者サービスの地域区分で見ていくと、
三重県の市町は、1級地から5級地までは該当ありません。6級地(6%増)に津市、四日市市、桑名市、鈴鹿市、亀山市が該当しています。7級地(3%増)に名張市、いなべ市、伊賀市、木曽岬町、東員町、菰野町、朝日町、川越町が該当します。それ以外の地域はその他、つまり1単位10円です。
6級地は6%増しですので単純に計算すれば10.6円ですが、実際のところ同行援護は10.36円になります。
同行援護のほか、居宅介護・重度訪問介護・行動援護・計画相談支援・地域相談支援は10.36円。
就労移行支援は10.35円
就労継続支援A・Bは10.34円
生活介護は10.37円
放デイ・児発・障がい児相談支援は10.37円
単純に6%増しになっていないのがどういうことなのかがよくわからないのですが、どのサービスも10.3円代で調整されています。サービスごとに単価調整して全体で6%増しにしているならわかるのですが、どのサービスも6%増し以下の金額ですものね。ハテナ、勉強不足です。
この地域区分も数年ごとに見直しが入ります。地域区分をする理由が、地域による家賃や人件費などの差に配慮するためですから、ずっと同じにはならない地域があったり、地域区分自体を変更することもあります。以前は7級地はありませんでしたね。現在使用する地域区分の適用地域は令和3年から5年まで、と書かれていますから、来年度からはまた見直しがされると思います。
都度、同行援護授業者養成研修会の資料も更新していかなくてはなりませんし、経緯を伝えようとすると過去の資料も比較に残したいですから、結果、資料の質量がどんどん膨らむ、ということになってしまいます。最新情報だけを伝えていればいいというものでもありませんからね。しっかりと準備して講習会の当日を迎えたいと思っています。
もう夕方ですね。
今日も1日、お疲れさまでした。また明日。 by 永瀬 賢
盲人保護法、盲人福祉法、身体障害者福祉法
戦後、身体障害者福祉法が公布される直前まで、盲人福祉法の制定に向けて運動を続けたのが、日本盲人会連合でした。その初代会長が岩橋武夫になります。
盲人福祉法の草案は、GHQの意向、厚生省の意向が絡み合いながら、盲人のみならず他の身体障害を含んだ法案、身体障害者福祉法の制定に進んでいきます。
岩橋は、関西盲人事業連盟を発足させ、後に全日本盲人事業連盟となり、全国盲人協会連盟・全国盲学校同窓会連盟とともに橿原において全日本盲人大会を成功させました。この大会で、盲人保護法の制定促進が決議されました。その後、戦時下、大日本盲人会が結成されます。大日本盲人会の幹部が名を残しているエピソードとして、GHQの盲人鍼灸禁止方針に対する交渉があります。岩橋も、他の盲人関係団体も全国的に活動して、禁止を全力で阻止したという経緯があります。当時の視覚障害者にとっての最大の危機だったと言える案件です。もし、禁止が実現していたら、今日の鍼灸がどうなっていたか?ということですからね。この事件を契機にあらためて全国組織の必要性を痛感したのではないかといわれており、日本盲人会連合の設立へとつながっていきます。その運動の一つが、盲人福祉法の制定でした。身体障害者福祉法の制定がほぼ確実になった土壇場まで、あくまで盲人福祉法の制定に拘り続けましたが、政府の説得に対して岩橋の大局的視点によって了解し、身体障害者福祉法の制定に至った、とされています。 参考文献 小西律子 身体障害者福祉法成立に盲人集団が果たした役割 社会福祉学 第52巻第4号 2012 世界盲人百科事典 日本ライトハウス
今日の身体障害者福祉法の源流が視覚障害者の運動にあった点を忘れることなく、語り継ぎたいと思っています。
さて、今日も朝から蒸し蒸しの暑さで大変そうです。
熱中症など、十分にお気をつけて。こちらも頑張ります。
では、また明日。 by 永瀬 賢
戦後の視覚障害者数
戦後、身体障害者福祉法が昭和24年12月に公布されるまでの間、この法をGHQに納得してもらうまで
様々な紆余屈折の過程を歩んだといわれています。戦争で負傷した兵隊を救済する色合いが強くなることにGHQが難色を示したのだろうと思います。GHQが目指す占領政策の一つが軍隊の解散でしたから、軍隊色を再び標榜するような政策を認めない、という姿勢は強かったのではないかと。この辺りのことは、経緯をしっかりと調べていきたいなと思います。
ともあれ、身体障害者福祉法を策定するにあたって、1949年(昭和24)、国は障害者数の実態調査した結果を11月に公表しているのです。調査自体は数年前だと思われます。それによれば、全盲が34,312人、強い弱視が261,041人としています。他の障害は、表記の順序通りに記載すると、聾唖が83,501人、強い難聴が114,790人、盲聾唖が4,800人、強い難聴強い弱視が56,690人、四肢不自由が214,399人、結核20,166人、頭部障害10,279人という人数を発表しています。総数が799,978人。現在の身体障害者総数430万人以上(1,000人中34人)に比べるとかなり少ない人数を公表していますが、注目は視覚障害の数え方と人数です。当時から弱視を含めている点と、人数が全盲と弱視を合わせて約30万人。当時の身体障害の内訳のなかでは1位の人数になっているわけです。現在の印象とはかなり異なりますね。視覚障害は、内訳ではむしろ少数派ですからね。
当時調査して公表した視覚障害者数と現在の視覚障害者数の差幅が、他の障害と比べて小さいように思えます。当時、盲人福祉法の制定を目指す中で、GHQの意向として視覚障害のみならずで考えていくべきとの流れがあって身体障害者福祉法になっていった、むしろ牽引したのは視覚障害であったということに頷ける感じです。
まだ詳しく資料を整理していませんが、戦後の経緯にふれておきたいと思いますね。
今日も暑かった。皆さんもお疲れ様でしした。
また明日 by 永瀬 賢
身体障害者福祉法 昭和29年改正案
昭和24年に公布された身体障害者福祉法は、26,27,28年と改正をしながら29年の改正で別表 身体障害の範囲で、
視力障害を視覚障害に表記を改めます。
昭和24年公布の身体障害者福祉法 別表
視力障害
1 両眼の視力(万国式試視力表により、測定したものをいい、屈伸異常のある者については矯正視力について測定したものをいう。以下同じ。)が0.1以下で症状の固定したもの
2 一眼が失明し、他眼の視力が0.6以下で症状の固定したもの
↓
↓
身体障害者福祉法の一部を改正する法律案 昭和29年2月
別表を次のように改める
別表(身体障害の範囲)
一 左に揚げる視覚障害で、永続するもの
1 両眼の視力(万国式試視力表によって測ったものをいい、屈折異常がある者については、きよう正(矯正のこと)視力について測ったものをいう。以下同じ。)がそれぞれ0.1以下のもの
2 一眼の視力が0.02以下、他眼の視力が0.6以下のもの
3 両眼の視野がそれぞれ一0度以内のもの
4両眼による視野の二分の一以上が欠けているもの
この改正案で、視力障害から視覚障害に表記を改め、範囲として視力の他に視野を定めています。
また、24年公布時は、屈伸異常と書いてあった箇所を屈折異常と改正しているのも、気になるところではあります。
視覚障害が、視力と視野で判定を受けるように明記されたのが5年後だったことになります。
この後もさらに改正を続けていくことになるわけですが、
それはまた次回ということで。
また明日。 by 永瀬 賢