日記
あん摩業の人数
明治44年10月16日に出された按摩業を盲人の専業と為すの件は、
衆議院書記官長 林田亀太郎の名で、内閣総理大臣 侯爵 桂 太郎あての公文書です。
この文書の7ページに、盲者人員及生活状態調査票という手書きの表があります。都道府県別に、按摩業、鍼業、灸業に従事する男女別の人数と平均収入を記載しています。
三重県は、人数だけ転記すると、
按摩業 男321 女235 合計556名
鍼業 男54 女12 合計66名
灸業 男13 女3 合計16名という当時の人数になっています。
ちょっと現在についても調べてみました。
平成30年度の就業(視覚障害者以外も含む)
あん摩マッサージ指圧師 822名
はり師 1065名
きゅう師 1025名
柔道整復師数が530名
現在の三重県での視覚障害者の就業数を調べたいところです。明治時代に約600名の視覚障害者が按摩などを生業としていたということになります。
表では、彼らの生活の困窮を訴えるためでしょうか、1日平均の収入まであげてあり、男性より女性の方が低い収入であることも表されていました。
この他に、歌舞音曲業という生業の項目があり、三重県は男5名、女4名になっています。
さらに無職についても調べており、三重県は男257名、女381名です。
当時、視覚障害者以外の晴眼者がどれくらい生業としていたのかは調べがついていません。
現在の場合、
全国データで晴眼者と視覚障害者の割合を調べますと、
平成28年データですが、
あん摩マッサージ指圧師 晴眼者89,627名 視覚障害者26,653名です。平成初頭と比べると、晴眼者約33,000増し、視覚障害者約10,000減です。
はり師 晴眼者100,800名 視覚障害者15,207名です。平成初頭と比べると、晴眼者約60,000増し、視覚障害者約3,000減です。
きゅう師 晴眼者99,502名 視覚障害者14,546名です。平成初頭と比べると、晴眼者約55,000増し、視覚障害者約3,500減です。
按摩業は、幾度も時代ごとの制度によって翻弄され、また護られもしつつ、今また視覚障害者の生業者数が減少してきているわけです。
今日はここまで。 また明日。 by. 永瀬 賢
按摩業を盲人の専業と為すの請願 明治44年3月30日
先の日記でふれた按摩業営業取締規則は、明治44年の8月に制定されています。これに先立って、
栃木県から長島文太郎他511名、山形県から石川百八他58名、福島県から市島淳一他17名、新潟県から丸山謹静他130名、群馬県から河原井森英他26名、などなど、27か所から按摩業を盲人の専業と為すの請願がだされています。明治に入り、当道座の廃止をもって視覚障害者の身分、特権が奪われて以降、按摩業での生業が成り立たずに困窮する背景を感じます。
以下、請願の要旨と書かれている内容です。
按摩業を盲人の専業と為すの請願
右請願の要旨は按摩業は医術として古来我が国に行われ特に盲人の専業として発達し近時海外にも其の要法たるを認めをれむとするに至れり 然るに其の技術に至りては却て退歩の観あり 而して其の起因は主として一時的衣食の為にする非盲人の斯業(しぎょう)に従事する者増加せしに因る而も之か為按摩其の他一二の外適業を有せさる盲人は今や生活の途を失わむとす実に聖代の一大恨事たり殊に斯業(しぎょう)は他に適業を有せらる盲人に於て熟誠忠実に研鑽技能の発達を来すへきは自然の理數(りすう)なり封建の世按摩業を盲人の専業とせられたる寔(これ)に理ありと云うへし依て盲人を保護すると同時に斯業(しぎょう)の発達を期せむか為之を盲人の専業と為すの法律を制定し且適当なる試験制度を設けられたしと云うに在りて衆議院は其の趣旨を至当なりと認め之を採択すへきものと議決せり依て議員法第六十五条に依り別冊及御送付候也
これから半年後に按摩業営業取締規則が制定されていることと、この請願との直接的な関係性はまだ調べ中です。
関係はありそうですよね。
今日はここまで また明日、かな by 永瀬 賢
按摩術営業取締規則に関する請願
大正10年6月23日に出された
按摩術営業取締規則に関する請願書です。
この意見書を出した福島という方、の住所が津市になっています。三重県津市のことかと思い、読解してみました。
按摩術営業取締規則が改正され、営業するために試験合格するか専門学校の卒業を条件とすることになったようです。
その結果、これまで按摩業をしていたのに廃業せざるを得ない視覚障害者があったようです。鑑札(営業できるお札)を持っていた者は、従来通りに営業できるようにして欲しいという旨の嘆願かと思われます。
以下に意見書を記してみます。
意見書
請願文書表題三二二九号
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津市蔵町一〇一四番地 福島芳丸
外八名呈出(紹介議員 越山太刀三郎君)
右請願の要旨は按摩術営業取締規則は大正九年四月内務省令を以て改正の結果⚪︎⚪︎地方長官の施行する「マッサージ」術試験に合格するか或は指定せる学校にて該術を習得卒業者に限り該術を標榜し営業することを得ることとなれるを以て同規則改正当時の該術営業者にして廃業の止むなきに至る者あり之請願人等の苦痛に堪へさるところとす依て規則改正当時の按摩鑑札所有者に「マッサージ」術営業を許可せられたしと請ふに在り
衆議院は其の趣旨を至当なりと認め之を採択すへきものと議決せり
依て議員法第六十五条に依り
別冊及御送付候也
昨日の盲人保護法の制定への請願の本文中に出てきた按摩術営業取締規則について調べていたら、この意見書を見つけました。
津市蔵町は、現在の津市大門、商店街を東に抜けたあたりのようですね。
確かに津市の方が意見書を出したようです。
今日はここまで また明日 by. 永瀬 賢
昭和6年盲人保護法制定の請願
久しぶりの日記更新です。
1週間ほど前かな、昭和6年盲人保護法制定の請願についての記述を日記にアップするときに保存ができずに全部消えてしまってから、もう一度書き起こす気持ちをつくるのに時間がかかりました。
あと、ちょうど、県外からの研修生さんを1週間ほどお預かりしておりましたので、日記を書く時間を持つことができませんでした。
今日はお久しぶりの更新です。おつきあいよろしくお願いいたします。
昭和2年、4年の請願を経て、昭和6年に再再提出された請願書を書き下ろしてみます。
盲人保護法制定の請願
東京府北豊島郡高田町雜(ざつ)司ケ谷⚪︎原五十一番地
齋藤武彌
外 五百八十九名呈出(提出) 貴族院
五千十三名呈出(提出) 衆議院
本請願の要旨は近時 我が国の盲人は約十万に及び之が保護救済を或るは刻下の急務なるに拘らず未だ何等(なんら)見るべき社会的施設の講せられさるは人道上寔(まこと)に遺憾とする所なり故に政府は救護法の貫施を以て足れりとせす特に盲人保護法を制定し、教育、授産及救護等の施設を講し以て盲人生活の不安を軽減せられたしと請うに在り貴族院及衆議院は採択すべきものと議決せり
盲人保護に関しては従来盲人の保護救済を目的とする社会施設に対し奨励助成の途を講じ或は明治四十四年内務省令第十号按摩術営業取締規則を以て盲人に対しては受験資格及試験の程度に付特典を興へ又は地方の状況に依り無試験にて免許観察を交付する等相当保護の途を講じ来りたる所にして尚近く救護法を施行するに於ては労働能力なき貧困盲人は総て救護を受くることを得へし然れとも盲人の保護救済は未た現状を以て充分なりと言ふを得す依て此の⚪︎に関しては更に調査
攻究を遂け将来適当なる方策を講せんとす
右 閣議を請う
昭和六年七月十三日
本文ここまで
請願の人数が、貴族院から、衆議院から更に人数を大幅に増員しての請願になっています。
按摩業を生業としている視覚障害者は按摩術営業取締規則である程度の救済がされているが、仕事に就けない視覚障害者の貧困な生活について盲人保護法においてどう救済するかを考えなければならない、というニュアンスの請願内容になっています。
すでに議決されているのに関わらず、盲人保護法が制定されていかないことに対する再々の請願、という位置付けでしょうか。盲人保護法がすぐに制定をみない背景として、1929年(昭和4)4月2日公布、1932年(昭和7)1月1日施行された救護法がありそうです。このあたりの経緯を調べる必要がありそうですね。
今日はここまで また明日、と言いたいところですが書けるかどうか、お約束ができずですみませんが。できるだけまた明日、です。 by 永瀬 賢
本日は日記お休みです
作成した日記を保存したはずが、
なんのトラブルか、全文消えてしまいました。
昭和6年の盲人保護法請願書について書いたのですが。
また次回で。
今日はこれにて失礼します。 by 永瀬 賢