日記
三重という県名
私どもアイパートナーのスタッフが暮らす三重県は、江戸時代までの長島藩、桑名藩、菰野藩、亀山藩、神戸藩、津藩、久居藩、鳥羽藩、そして渡会府にわかれていました。渡会府とは、大政奉還で始まった明治新政府が伊勢地方の幕府、旗本、伊勢神宮領を管轄するために設けたものです。江戸幕府が設けていた山田奉行所に変わるものですね。
1871年(明治4)に、明治政府が廃藩置県を断行します。各藩は、長島県、桑名県、菰野県、亀山県、神戸県、津県、久居県、鳥羽県、そして渡会府は渡会県となりました。同年に合併が断行され、長島県、桑名県、菰野県、亀山県、神戸県、津県は安濃津県に、久居県、鳥羽県、渡会県は渡会県に統合されます。
この安濃津県になった時に、当初は津に仮設置した県庁を三重郡四日市町に移転したのでした。翌年、1872年(明治5)に安濃津県は三重県に名前を変えます。その後、1873年(明治6)に再び、津に県庁を戻して、現在に至っています。安濃津県と渡会県を統合させて、現在の三重県となったのは1876年(明治9)のことです。
三重郡に県庁が短期間あったことで、三重県という県名になったのですね。子どもの頃に、伊勢、伊賀、渡会の3つが引っ付いたので三重県になったと学校の先生に教わった気もするのですが、間違いだったようで。
さてと、今日も暑かった。今年は猛暑日の多い夏になる可能性大とのこと。外ではこまめな水分塩分補給しながら、中では涼しいエアコンを活用する日々が続きそうです。汗を適度にかかなくてはかえって体調を悪くもしますので、エアコンづけになるのもダメですが。とにかく熱中症とエアコンでかえって体調崩すの両方に注意して、プラス、再び感染拡大しているらしい新型コロナにも注意して、今年の夏を過ごしてまいりましょう。
では、また明日 by 永瀬 賢
らくらくほん
DOCOMOさんのらくらくホンシリーズは、視覚障害者にとって恩恵を受けた携帯電話として永く記憶され続ける端末だと思います。
ボタンを押せば音声が出て、全く目が見えなくても携帯電話の操作を可能にしてくれた携帯電話です。電話帳も音声で呼び出せて、かけたい人に電話をかけることができ、受信したメールも耳で聞くことができ、送りたい文章も音声補助を受けながら入力できます。
初登場以来、毎年新しい機種が出てきて、性能もアップしていってくれました。最初の機種では、メール作成時にひらがなを読み上げてくれるものの、漢字の候補は読み上げてくれなかったのが懐かしい。新しい機種が出るたびに読み上げ機能が向上して、正確に何年目だったか忘れてしまいましたが、らくらくほんにATOKが搭載される、というアナウンスがされ、期待感ワクワクでショップにデモ機を触りにいったのを覚えています。
ATOKは、日本語入力システムの商品名で、漢字の変換精度が非常に高いと評価の高いものでしたから、ATOKをらくらくほんに搭載するということは、ついに漢字の変換候補も音声できっちり読み上げてくれるのではないか、という期待感をもたせてくれたのです。いざ、店頭のデモ機を触りにいって、漢字の変換候補を見事に音声で読み上げてくれるのを確認した時は、小躍りして喜んだものでした。目が不自由でも、メールの文章作成時など、自信をもって漢字入力できるようになったのです。嬉しくて、関わっている視覚障害の方にどんどん情報提供をしたものでした。
以降、らくらくほんは視覚障害者の方に長きにわたって寄り添い続けてくれた通信機器で、今も、従来のガラケーの形のままでらくらくホンシリーズを継続してくれています。時代はスマホ主流ですけれども、なくなってほしくない商品ですね。
今日もまた暑いですね。
エアコン必須な暑さですが、今度は温度差がありすぎて体調を崩されたりしませんように、今日もお元気でお過ごしください。
ではまた明日。 by 永瀬 賢
本屋さん
昭和の時代って、
町におじいちゃんやおばあちゃんが店番をしている、という感じのこじんまりした本屋さんがありましたが、今はほとんど見かけなくなりました。
本屋さんって、基本的には書籍や雑誌を仕入れて販売しているわけではなくて。言わば、出版社さんに本棚を貸しているようなものなのです。本棚にある本が売れたら、その本の仕入れ額を払う、みたいな、ちょっと順番が逆みたいなお商売になっていました。
売れない分は返品できる独特な流通ルールで成り立つ業界です。
週刊誌って、多くの消費者は、いちはやく読みたいから買うわけでして、時期を過ぎてしまって売れ残った余剰在庫が売りきれる余地はあまりなさげです。
なので、仕入れずに棚に並べて、売れた分は仕入れ額を払い、売れ残った分は週刊誌なら毎週返品してまた新しい週の号を並べるわけです。
仕入れすぎて商売に失敗する、というリスクの低いシステムですね。これが、おじいちゃんおばあちゃんが、程よく1人で本屋をやっている、みたいなことが成り立つわけだったりしたのですが。
では返品冊数が多くて困るのは
返品される出版社だったりするわけです。
本って、本屋さんが出版社1社ずつ発注してたら大変なので、問屋さんが仲介してくれていましてね。この問屋さん発注された本を集めてくれて、本屋には
毎日毎日本が届いて、本屋はその便で返品本を渡すことになるのですが。
例えば20冊、ある雑誌が本屋に届きました。本屋は、5冊売れて15冊を返品しました。
そうすると、問屋は、次からもう5冊しか送ってくれなくなるのです。
1冊も売れなかったら1冊も届かなくもなる、こういう管理をしているのが問屋さんの采配になってるのが書店業界の流通ですね。なので、本屋さんは売りたい本をたくさん売ることできるよう、棚への陳列の仕方をとても考えるわけです。
次にバカ売れするネタの書かれてる週刊誌をたくさん売りたいと思っても、冊数管理をしてるのは問屋さんですから、今週は増やして、とか発注できないんですね。
もうひとつ、棚に並べるのに、注文して仕入れなきゃいけない出版社さんの本もたまにあります。
岩波書店さんの岩波文庫とかがそうですね(今も変わっていなければ)。
本屋さんに行って岩波文庫が並べてある本屋さんは頑張ってる本屋といいますか、本を大事にしている本屋といいますか、本を好きな本屋といいますか、そんな印象です。
本屋のレジバイト、時給1000円だとすると、1時間にいくら売れば、バイト代がでるだけの儲けになるか?と言うと、
本って概ね2割くらいの粗利益ですから、1時間に1万円売れば2000円の粗利益がでます。諸経費も含めて、これを目標にすると、300円くらいの週刊誌なら1時間に35冊売らなきゃならない。2分に1人のお客さん対応です。これを8時間やり続けなきゃならなくなる。
だから、本屋さんも客単価が高いもの、やっぱり1冊の定価ぎ高い本が売れて欲しくなりますね。
1000円の本なら1時間に10冊、
1日80冊、そのバイトさんがレジ対応してくれたらバイト代はだせるかなあ、という感じです。
1人が1日10万円を売り上げたいところですね。これで2万円の粗利益。休みなくひと月30日開店して、ひと月60万円の粗利益。
そこから光熱費、家賃、諸々の按分を差し引いて、そのレジに1か月はりついてくれた人のアルバイト代24万円の人件費がだせたかなあ、という感じですねえ。
本屋さんのお仕事も、なかなか大変です。あ、そうそう、本を買うときに、短冊のようなものがついていて、レジで店員さんが抜きとりますよね。あれ、本屋さんには大事な短冊になります。金券みたいなものなのです。なので、勝手に抜き取らないでね、なものですね。
今日は暑くて風も涼しいと感じませんでしたね。蝉はないてましたかね?
おつかれさまでした。
また明日 by 永瀬 賢
4日目の上陸作戦
養鶏場では、長きにわたり、ある謎を把握しながら、鶏の卵を育てていたと言います。
温めている4日目の卵を少しでも動かすと、なぜか卵の中にいる生命が死んでしまうのだそうです。それまでは親鳥はコロコロ卵を転がすのに、4日に入るとまるでそのことを知っているかのように、じっと抱いて微動だにさせない、というのです。
厳密には95時間から100時間の間です。21日目にはひよこの姿で無事に生まれてきますが、4日目の危険を潜り抜けなければなりません。この4日目に死んでしまう率が高いのだそうです。
この4日目に卵の中で何が起きているのか、を調べた学者さんがいらっしゃいまして。
その学者さんの結論は、どうも生物が長い間海の中にいて、陸上に上がって生活を始める進化を遂げるまでに要した歴史時間というものを、卵の中でこの4日目にやっているのでではないかと。つまり、4日目に水中から陸上に上がってくる、というのですね。この間、卵はとても衰弱した反応を示すのだそうです。ここを過ぎると、それまではエラがあったのに肺になって、顔が明らかにひよこの顔になっているのだそうです。
この学者さん、人間の胎児もそうなのではないかと、ホルマリン漬けになって小さな姿から並んでいる胎児の標本を眺めます。そして、胎児の顔を真正面から見る決意をしたのだそうです。この時期の胎児は体を丸めて顔を下向きにうずめていますから、首を切断しないと顔を見ることができません。研究のためとはいえ、標本に手を加えることに倫理観とのせめぎ合いのあったこと、と思います。
そして、正面から顔をとらえてみた結果、
32日目の顔は魚を連想し、34日では両生類に顔が変わっている。そして36日目には爬虫類、つまりここで上陸を果たした顔になっていたのです。この時期、まさにお母さんのつわりが始まる時期と一致しているというのです。遙か太古に生き物が上陸する進化、適応する過程をお腹の中でやっている、そして38日目の顔は、額が人のようで、鼻が哺乳類、口が爬虫類でミツユビナマケモノという哺乳類と同じ顔つきだと、この学者さんは驚き、胎児は生物の長い進化をお腹の中でやっている、と確信したのです。
因みに、眼らしきものが最初にできるのは顔の横側ですね。まさに魚のような位置、と言えるでしょうか。
人は最初から人の形をしているわけではない、知っているといえばそれまでですが、よくよく考えてみると実に神秘的で不思議なことに思えますね。
さて週が明けて、月曜からまた1週間お仕事、という方が多いのでしょうか、土日もお仕事だった方もいらっしゃると思います。
今日もこちらは晴れているようです。
早くも7月最終週で、学校は既に夏休みに突入しています。なんとなく、大人も肩の力を抜きながら、安全にしっかりと役割を果たしてまいりましょう。
参考文献 生命とリズム(三木成夫 河出文庫) 輪廻する赤ちゃん(平野勝己 人文書院) 人体誕生(山科正平 講談社)
では、また明日。 by 永瀬 賢
プライムナンバーブレイク
光とはなにかを語る上で、
まずは、なぜか空間というものから整理をしてみたいと考えています。
光とはなにか、という問いになんと答えればよいのでしょうか?
現在では、
「光は空間を電場と磁場の振動として直進する電磁波である。」というところまで解明されているようです。
光は/
空間を/
電場と磁場の振動として/
直進する電磁波である
空間、電場、磁場、電磁波、さっそくわかるようなわからないような言葉で説明がされているのが光、です。
まずは、空間から。
空間、という用語がでてきました。空間、当たり前すぎて当たり前に見過ごしがちです。
空間をと言いますが、では空間とはなにか?も、そもそも難しい感じがします。
空間もまた、一体なんなのか、が現在進行形の研究対象になっています。
ちょっとわかりづらいですが、空間は曲がっている、ということはわかっているようです。
空間が曲がっている?
なんとなくイメージがつきやすいように、地球が丸いということは曲線であるから、つまり真っ直ぐではなく曲がっている、というところから考えてみます。
昔は、地球は平面だと多くの人は疑問をもたない人が多かった。
海原を見渡せる陸に住んでいたり、海洋に船を進める人の中には、「地球は平面?水平線は丸く見えているぞ。」ということはわかったでしょう。
地球が丸いということは、
天気が良ければ昇り沈む太陽の丸さ、夜は月の丸さを眺めながら、自分の大地も丸くできているのかもと思うくらいの先人がいたかもしれません。
海で体験できることとすれば、
1.海を航海した人が、島や港からただただ真っ直ぐに海を進んだら、元の島や港に戻れること。つまり、往復しないで往路だけで元の位置に戻れること。
2.陸地から海を眺めたとき、遠く彼方に見えている巨大な船が更に遠くに行けば行くほど、まるで沈むように見えなくなっていく。逆に遠くから近づいてくる巨大な船は、船体の一番高い構造部から姿を見せ始め、近づくにつれ船体の全貌を現してくること。
この事実だけでも「平面ではない。」との考察が可能で、私たちにも考えやすいことに思えます。
3つめの方法として、
例えば日本のある地点から、海をまたいだ遠い2国の地点を選んで、日本の地点からa国の地点、a国の地点からb国の地点、b国の地点から日本の地点を、それぞれまっすぐにロープかなにか地面にはわせて結んでみるわけです。現実的には無理な話しですけどね。だからアインシュタインは、そういうことを光でやってのけたわけですが・・・。
まあ、とにかく、
日本、a,bの3つの点をロープで結ぶと、上からロープを見れば巨大な三角形になりますよね。
で、この三角形の3つの角度をそれぞれ測って、和を求めるわけです。
三角形の3つの角度の和って、180度じゃないですか。
厳密な話をすれば、3つ足すと180度になるってことは、平面であることを前提にしているわけです。
この地球規模の巨大な三角形の角度を合わせてみると、180度にならないんですね。地球が平面でないことの証明なわけです。
さて、
空間が曲がっている、
というのは、掴みづらいイメージですが、
地球が平面でなかった、ということとよく似ているのではないかと思えます。
1.2.3の方法を、空間でやってのけてみて、
空間は曲がっている、ということを解き明かしたのだ思います。
宇宙で考えてみると、
なぜ巨大な星々が宇宙に散らばって存在しているのか?単純に地球でも月でも星々でも、質量のあるものが浮かんでいるように見える。
無重力というけれども、沈みもせずにいるということについて、
空間がひずんでいる、歪んでいることで説明をした人がアインシュタインなのかもしれません。
伸縮する網ネット、トランポリンのようなものの中心に、重たい丸いものをどんと落とせば、丸いものが乗りかかった網の部分は、重さで沈み込みます。これが空間の歪み、ひずみ、つまり曲がっている。その周りにある小さな丸いものは中心にある重たい丸いものにひきよせられていくじゃないですか。この中心の重いものが太陽、周りの小さな丸いものが地球や太陽系を構成する星々、と考えたわけですね。
さて、空間を考えていくうえで、
最も難しく最も重要だと言われている数学上の大難問、リーマン予想というものがあります。
ドイツの天才数学者、リーマンという人が考えたので、リーマン予想。
リーマン予想ってなんだろうか。
リーマンが予測した予想について、現代の科学者が必死に解明、証明をしようとしているのですが、まだ解明にも証明にもいたりません。予想が正しいかどうかも、わかっていないぐらいなのかもしれない。
リーマン予想ってなんだ?
の前に、リーマン予想を解き明かすことについて、現代の科学者がなんと言っているかをいくつかあげてみましょう。
数学者ピーター・サルナック博士
「格が違う難問。数とはなにかの根源的な問題に直結している」
数学者ブライアン・コンリー博士
「リーマン予想を証明できれば、人類にとってひとつの時代が終わり、新しい時代の幕開けになる。人類の知性の最高到達点になるだろう。」
数学者 ドン・ザギエ博士
「素数は人間の知性を超えた存在であるように思える。素数には、自然の神秘を解き明かすなにかが隠されている。」
数学者 ルイ・ド・ブランジュ博士
「素数を見れば、宇宙にすべてが理解できる、ということはわかってきている。」
リーマン予想を証明することは、Prime Numbers(素数)の謎を解き明かす鍵を握っている、と言われています。
Prime Numbers(素数)、素数とは?
1と自分自身でしか割り切れない数=素数ですよね。2は1と2で割ることができるから素数です。3も1と3でしか割れないから素数。つまり、それ以上には細かくできない数字(小数点とかは無しの話し)を素数というのですよね。
2 3 5 7 11 13 17 19 23 29 31 37 41 43 47 53 59 61 67 71 73 79 83 89 97・・・現在発見されている素数の最大桁数は、1742万5170桁。5000万個以上発見されている。
1から順にドミノやピアノの鍵盤のようにえんえんと数字を直線に並べ、素数だけ違う色で表示してみると、
素数が登場する位置はバラバラで、まったく規則性を見出せない。
固まって連続して現れたり、しばらくまったく現れなかったり・・・
数が小さかろうが大きかろうが、まったく規則性を見出せない・・・
一見気まぐれな素数に、なにが秘められているのか・・・
リーマン予想は、素数の謎を解き明かす最も重要な課題になっている。
リーマン予想を証明することは、
バラバラにみえる素数にとても重要なメッセージ、意味が隠されていることを発見できるかもしれない。
宇宙の創造、創造主の暗号、ともいわれている。
素数は、1と自分自身数でしか割り切れない数字。すべての数字は素数に分解することができます。
6は、2と3(2×3)、あるいは1と2と3(1×2×3)
235は、47と5(47×5)
380は、38と10→2と19、5と2
などなど
これ以上分解できない数字が素数、数の原子とも呼ばれています。
素数は、桁を増やして無限に続くのではないかと思われます。コンピュータで、無限といわれる素数を追い続けているわけです。
リーマン予想(1859年)は、一言で述べれば、
「ゼータ関数の非自明なゼロ点はすべて一直線上にあるはずだ!」
という予想らしいです。なんのこっちゃ?ですが、
それは後述するとして、
フランスパリ ルイ・ド・ブランジュ博士は、長年、素数の謎に挑み続ける数少ない老学者です。たぶん80歳ぐらい。
リーマン予想関連の論文80本以上
いまだリーマン予想の証明には行き着きません。
が、そこには、「とてつもないなにかが潜んでいるに違いないという確信をもって」研究にのぞみ続けています。
「素数の並びの意味を理解できれば大自然を支配している法則が明らかにできる」
「宇宙の法則の理解、すなわち、原子や電子などのミクロの世界、宇宙や自然のすべてが理解できるのではないか」と述べています。
リーマンは、リーマン予想の中で、どうもまったく無秩序に出現してくるようにうつる素数というものに対して、なんらかの法則があり、それを解明するための重大な予想をした、ということなのでしょうね。
素数の並びについて、なにか意味がある、ということを解き明かそうとした歴史についてふれてみたいと思います。
素数を探求する者、素数に取り憑かれた人々、天才の多くが、解き明かすことを達成できずに人生を狂わせた人が多い。
精神的におかしくなってしまったり、とか。
そして、いまだ解き明かせないもの、それが素数、の不思議です。
光を解き明かすのに、光が通る空間、空間とはなにか、を考えるとき、
素数という難問にぶちあたり、
事実としてはわかっていても、なぜそうなっているのか、
なんの法則が潜んでいるのかが、わからないまま、
わかっていない空間を突き進んでくるのが光、という理解を、
まずはしておいてください。
素数の研究史について触れてみます。
今回の、素数に関する記述は、素数に関するテレビ放送番組の内容から、テキストで掘り起こしながら補足して進めています。
18世紀初め ロシアのサンクトペテルブルクの王宮に招かれたスイスの数学者レオンハルト・オイラーという人が、素数の謎に取り組みました。
オイラーの論文に太陽と月のマークが記載されています。素数と宇宙、大自然のなにか重大な鍵を握っていると考えていたわけです。
オイラーは、大きな桁の素数を求める研究をおこないました。
5桁?の素数まで求めたのかな?とにかく1から順に、素数を探し求めたわけです。
頭の中で、数字を1から順に一直線に並べ、素数がきたら階段が1段だけあがるイメージ。オイラーは、1,2,3,4,5・・・と、果てしなく続く数字の床を、 1段ずつ頭の中で素数が現れるたびに段がひとつあがっていく廊下?階段?にみたてて進んでいきます。
素数31391から31469までのあいだには、70以上素数が現れない箇所を発見したりしました。
4万台、5万台と、諦めずにオイラーは素数を見つけて頭の中で廊下?階段?を進み、登り続けます。が、規則性や法則性はまったく見出せません。当時、オイラーに批判的な意見を述べる人が多かったようですね。「素数が、地球上のどこかに転がっているとでもいうのか?」「素数に、なんの意味があるというのか?」
つまり、
「素数は地球や宇宙にまったく関係ない無意味なもの」
みたいな根本的な批判ですね。
ところが、オイラーは、
とんでもない発見をすることになります。
2²/2²-1 × 3²/3²-1 × 5²/5²-1 ×・・・とにかく素数²/素数²-1をひたすらかけていく。
4/3 × 9/8 × 25/24 ×・・・
=π²/6 素数を集めていった結果、
円周率π²に合致してしまったんですね。
素数をかけていくと、つまり素数の集まりが、宇宙の究極美である円になるということをみつけてしまったんです。
オイラーは、素数の神秘の一端に、人類史上具体的に初めて触れた人物、ということになります。
オイラーは、とてつもない数学者の1人ですが、
私たちにとっても、ちょっと特別な点は、オイラーが数字を見過ぎたことが影響したか、徐々に視覚を喪失していくのですね。晩年は全盲になるのです。が、オイラーは全盲になったことについて、「研究に邪念がなくなった、より計算に集中できるようになった」と言い放ち、むしろそこからの研究に成果がどんどんあがっていくことになります。
目を使わないで筆記する練習もしたそうです。
ニコライ・ムーエフ博士 「オイラーの発見は、数学者にとって大ショックだった。素数には意味があるのかもしれないということを、多くの人が初めて認識した」
素数の研究は、19世紀、
カール・フリードリッヒ・ガウスに引き継がれました。
最大の数学者、と呼ばれる人ですね、ガウスもまた、素数になにかしらの意味があると考えていました。ガウスは、少年時代に、1から300万までに存在する素数を自分で発見していました。ガウスは、自分の膨大な素数データを基に、素数と自然界における重要な関係性を発見しました。
ドン・ザキエ博士 「ガウスは、一見、なんの意味も羅列もないように思える素数に、法則を発見した。自然対数表との関連です。」
対数は、
もともと掛け算の計算を足し算に置き換えて簡単にできないか、ということに端を発しています。対数表は、表内の左列にずらーっと上から下に順序良く書かれた数字をみつければ、その横の列には答えが並んでいる、ということですね。
自然対数表とは、当時の科学者が古くから当たり前に使用していた、自然界における渦巻き上の存在の計算に使う有名な対数表だったらしいのです。かたつむり、台風、銀河、などなどの渦巻き、螺旋の形に使った表ですね。
自然対数表は、螺旋の中心から螺旋状のある点までの距離 1,2,3,4,5,6,7・・・(これが左列)
に対して、右列はその点までの螺旋の巻き数を表していました。
ガウスは、数字の床をオイラーのように廊下、階段と見立てて進んでいき、素数9227まで登りました。そこで、自然対数表を開き、
左列の9227を探し出します。その右には、螺旋の中心からの距離9227の場合における螺旋の巻き数が記載されています。ガウスは、左列÷右列、つまり距離÷巻き数を計算してみたのです。因みに、自然対数表では、9227の場合は1010という数値が得られました。
これが、素数上の立ち止まった高さという発想で比較してみたのですね。
ガウスは、頭の中で9277の地点で立ち止まった場合の高さを測定してみたのですね。高さは1144でした。1010と1144、11%ほどの誤差がありますね。
ガウスは、素数262069の地点で立ち止まります。同様に自然対数表から得られた数値で 割り算すると、21005という数値が得られました。これまた同様に262069地点の高さを測定してみると22992になりました。誤差があるのですが、8%ほどの誤差であり、先の11%より誤差が縮んでいます。
ガウスは、素数階段を上へ上へあがり続けると、自然対数表との誤差が小さくなっていき、行くつく先では素数階段の高さと自然対数表の計算値が合致するということを発見したのでした。
光とはなにか 3 素数の研究 ベルンハルト・リーマンから現代まで
リーマンは、素数に対してオイラーやガウスとは対極の考え方からはいっていきました。
まあ、はなから素数の意味をうたがってかかった、とでも言えばいいでしょうか、そんな感じです。
数式は、ζ(ゼータ)やらΣ(シグマ)やらn=1やら、
テキスト入力が苦手とする文字の羅列なので割愛します。
が、
ひとまとめにして表したζ関数の計算式を、ちょっと広げて式に表すと、
2のx乗/2のx乗-1 × 3のx乗/3のx乗-1 × 5のx乗/5のx乗-1 × 7のx乗/7のx乗-1 × 11のx乗/11のx乗-1 × ・・・
オイラーの計算式に似ていますよね。
オイラーの2²/2²-1 × 3²/3²-1 × 5²/5²-1 ×・・・とにかく素数²/素数²-1をひたすらかけていく、という式の2乗を、リーマンはx乗に置き換えただけなのです。
つまり、やはり素数だけで構成した計算式だったわけです。
オイラーやガウスが数字を廊下、階段に見立てて頭の中で歩いてみた、素数を階段の高さにして考えてみたような取り組みに対して、リーマンは、立体グラフにして可視化させてみたのですね。グラフで、高さが0になる点がどこにあらわれるかを探してみたのだそうです。
オイラーやガウスが、素数になんらかの法則があると考えたのに対し、
リーマンは、素数の規則性を疑ってかかっていたわけですから、高さが0点になる場所がそれこそ不規則に、不連続に、立体グラフの中でぼこぼこ穴みたいになってそこらじゅうに汚くあらわれると予測していたのですね。
ところが、実際に計算して立体視してみると、いくつか試しにみつけた穴が、綺麗に一直線に並ぶ位置にできてしまったんですね。
リーマン予想、「ゼータ関数の非自明なゼロ点はすべて一直線上にあるはずだ!」
とは、他の素数でできる穴の位置も、全て1直線上に並んでしまうのではないか?並ぶと予想される。
という意味なのです。
ブライアン・コンリー博士 「すべての0点が1直線上にすべて並んでいるはずだ、というリーマンの直感がもし正しければ、素数に理想的で完璧な調和が存在する、ということになる。素数の並びに、なんらかの意味があることの強力な裏付けになりえる。」
リーマンは、1直線上にあるはずだ!
と直感しましたが、リーマン自身も証明するまでには至らなかったのです。
予想の証明は、後の研究者に引き継がれました。
20世紀初頭、
ゴッドフレイ・ハーディー、ジョン・リトルウッドのコンビ学者
若い頃からもてはやされ、頭角を現した2人。
コンビでリーマン予想の決着を試みました。
自信満々にのぞんだのですが、証明にはすべて失敗、挫折。
2人は、「リーマン予想がもともと正しくなかった」と言い始めます。
「リーマン予想は間違っている。正しいという証拠などない。予想が間違いであってくれさえすれば人生はずっと楽なのだ」
科学者としては常軌を逸した発言をしてしまいます。
ジョン・ナッシュ博士 ノーベル経済学賞受賞者の彼に対し、指導教官の推薦状には「The man is genius.」とただ一言書かれていたという逸話の持ち主。当時の数学難問を4つも解明した人らしいです。そして、彼もまたリーマン予想に挑戦することになりました。証明に一番近い人物、と期待をされていました。
リーマン以後100年目、1950年代。ナッシュは、「リーマン予想についての型破りな見方」という講演を開くと発表し、注目されました。ところが、ナッシュは満員の聴講者の前で、だんだん話していることが支離滅裂でつじつまがあわなくなっていきます。これ以後30年、ナッシュは統合失調症に苦しむことになります。ナッシュのアプローチは、ナッシュにしか思いつかない独特のアプローチで、世界の数学者も期待をしたのですが、これも成功しなかったのですね。
ナッシュは数学界から姿を消します。
素数は、「キャリアを一撃で破壊しかねない難問」として研究者から恐れられるようになりました。
アラン・チューリング博士 イギリス数学者、国家の英雄としても有名
ナチスドイツの暗号機エニグマの暗号解読に成功した人物ですね。ドイツが開発した暗号機エニグマは、タイピングすると他の文字記号に変換される、つまり暗号化されるのですが、1回1回うつたびに、変換するルール、文字記号そのものも変わるという代物だったのです。同じ文字をもう一度暗号化すると、まったく違う暗号配列になっている、
それが1文字単位で毎回実行されているわけです。10億×10億通り以上のパターンがありました。
解読不能の暗号は、第二次世界大戦中の対ドイツ戦における甚大な被害を増やし続けることになりました。
チューリングはエニグマの暗号解読のために軍に招かれたわけです。1年かけてボンベといわれる歯車式の計算機を開発して、暗号解読に成功したのでした。
そして、連合国勝利に貢献した暗号のプロ、チューリングも、リーマン予想、素数に挑戦することになったわけです。
チューリングは、これまでの挑戦者とは真逆のアプローチを試みました。
つまり「リーマン予想は誤りであるということを証明する」ことを試みました。
「すべての0点が1直線上にすべて並んでいるはずだ」を証明するのではなく、1個でもはずれている0点を探すことでリーマン予想が誤りであると証明しようとしたのです。つまり、素数の並びには規則性も意味もない!という考え方ですね。
チューリングは、この研究のために今度はデジタル計算機を開発します。通称「マーク・ワン」。コンピュータ、ですよね。
マーク・ワンは、1直線上でないところに0点ができてないかを探索します。ひとつでも、直線からずれているものを発見したら、素数にはなんの意味もなくなる、という結果になります。
チューリングは、満を持して、自信をもって、必ず発見できる!とマーク・ワンの探索結果を待ち続けます。マーク・ワンが探索を始めて3ケ月が経過しましたが、1個も発見ができません。逆にマーク・ワンは、1直線上に1000個以上の0点を発見、その周囲に外れた0点が1個も見当たらないことを確認してしまいます。
チューリングの研究は挫折しました。リーマン予想を無に帰するつもりが、逆の結果がでてしまったのです。2年後、チューリングは自宅ベッドで、謎の死をとげます。
当時の数学者権威の1人、アトレ・セルバーグは、素数に立ち向かって次々と倒れていく権威ある同僚たちの顛末を見て、
「リーマン予想に立ち向かうのは自殺行為だ」
と、若い研究者にメッセージを送ったといわれます。
数学者たちは、リーマン予想を敬遠するようになりました。
そんななか、
フランスのルイ・ド・ブランジュ博士は、リーマン予想に立ち向かい続けたわけです。
「原子、素粒子の世界は肉眼で見ることはできない。論理的思考によって解明するしかない。このミクロの世界の空間のことはまだ一部しか解明されていない。リーマン予想の解明は、ミクロの世界、空間を解明することと同じ」
ルイ・ド・ブランジュ博士は、リーマン予想を証明できたと宣言しますが、ミスが見つかり撤回、また宣言、撤回を3回も繰り返していましました。他の研究では多大な実績を誇る学者であったのに、リーマン予想に関しては、評価をおとしていくことになります。
さて、素数について
我々の現実社会において、素数がどういう意味をもっているか、について少し紹介しておきます。
インターネットで買い物をするときの個人情報、クレジット情報にはセキュリティがかけられるわけです。=暗号化される、ということなのですが、この暗号化に素数が使われています。
セキュリティを確保する会社の秘密の金庫には、暗号化に使われる素数の並びが保管されています。4000人規模の会社でも、この金庫のある部屋には数人しかアクセスできない厳重な管理がされています。素数が商品なのです。
150桁以上の素数で暗号化がされるといわれています。金庫には使用している素数が保管されているというわけです。
ロン・リベスト博士は、1970年代、素数による暗号化を開発した1人です。彼らは、謎めいた素数だから、発見しづらい素数だから暗号に使える、という発想をしたのだと思います。素数は、現代のネット通信の安全性に世界規模で活用されることになったのです。
カードを機械に通した瞬間、
ネットで商品ボタンをポチッと押した瞬間など、全部、巨大な桁の素数がいくつも浮かび上がり、暗号化されて安全が守られています。
国家機密、軍事機密、すべて素数暗号で管理されているわけです。
ということは・・・
リーマン予想が証明され、素数の正体が判明するということになったら、
現代の暗号は、すべてセキュリティーにおいてまったく意味をなさなくなる、ということになってしまいます。人類社会の危機を招いてしまうことにもなるわけです。素数の研究は、今では国家情報機関から常にチェックを受ける状態となっています。リーマン予想に関する論文はすべてチェック対象になっているといわれています。もしかしたら、既に誰かが解明をしているのかもしれません。
アメリカ ニュージャージー州 ブリンストン高等研究所においての学会かなにかの集まりで、
ヒュー・モンゴメリー博士(発見された0点の距離、間隔を研究)とフリーマン・ダイソン博士(ミクロの世界、量子物理学を研究)が、偶然出会うことになりました。
15時のコーヒータイムでの2人の出会い。
お互い違う分野の研究をしている2人が、コーヒーブレイク中に友人に案内された初対面の挨拶で、
モンゴメリー博士が0点間隔を表す式を何気ない会話で伝えると、
ダイソン博士の顔つきが変わり、ウランなどの重い原子核レベルの間隔を表す式
がその式にそっくりであることに驚いたのです。
0点の間隔と、原子核エネルギーの間隔の式がまったく同じであることを発見した瞬間でした。
素数に関する研究は、分野を跨いで、それぞれの研究家が集まる会合へと発展していきます。
シアトルで開催された会合で、
ミクロの空間を理解するために非可換幾何学を創設したアラン・コンヌ博士は、
会議での多分野の専門家の発言を聞きながら、非可換幾何学が素数と深く繋がっているということを、閃きにも近い間隔で発想しました。コントが素数に興味を抱いた、ということもまた、衝撃のことになりました。
ルイ・ド・ブランジュ博士は、失敗を重ね、誰にも相手をされないような状況におかれながらも、4度目の素数証明の論文を発表しました。
よくわかりませんが、黙殺状態なのかもしれません。
証明すれば、宇宙、すべての摂理が理解できるとされる一方で、現代社会のすべての秩序が崩壊するとも言われる素数。
2極に分化するということこそが、摂理なのかもしれませんね。
「私たちの生活する空間は、実は不連続で、小さなつなぎ目が存在している」
「そこには、素数の秘密が潜んでいる」
空間、
今もってなお、空間の正体がつきとめられていないままに、
空間という用語を使い、光について説明する以上、
光もまた、まだすべてがわかったわけではないということを前提に、話を進めていくことになりますね。
んー、まとめながら、やっぱり納得できませんね、
空間とはなんなのか、謎は深まるばかりです。
ヒントは、ありますし、
感覚的にひらめいていることはあるのですけどね、
僕は、文にする才も計算する才ももたないですからね。
次回からは、電気と磁気について進めていくことになります。
空間の話しが巨大な謎すぎで、困りました笑。
光とはなにか 4 電場と磁場1 静電気の発見
「光は空間を電場と磁場の振動として直進する電磁波である。」
たった1行にも満たない光の説明ですが、難解、に思えます。
前回までは、空間とはなにかについてを探求してみましたが、
空間とは歪んでいる、空間は連続体ではない、
見えないけれども、歪んだ境界線が存在している、
どうもわけがわからない。素数の意味を解明することと空間とはなにかを理解することは、直結している難問であることはわかりました。
その、未だ不明であるけれども、当たり前に存在する空間を、電場と磁場の振動として直進してくるのが光です。
光とはなにか、を理解するには、
電場とはなにか?
磁場とはなにか?
を掴む必要がありそうです。
電場とはなにか?
風が吹けば髪の毛が風に影響を受けてなびきます。
電場とは、電気の風が吹く場所のことを指している、と考えてみましょう。
では、電気とはなにか?
電気も、私たちの社会では当たり前に存在しすぎていますが、殆どの人がわからずに使っている、というのが本当のところ、ではないでしょうか。見えないものを理解する、というのは、難しいことなのかもしれません。
紀元前6世紀
ターレス(ギリシア)は、
琥珀をこすると物を引きつける奇妙な現象を発見しました。下敷きで髪をこすると、下敷きを浮かしても髪の毛がひっついてく現象と同じですね。静電気の現象を発見したことになります。
16世紀末
ギルハート(イギリス)は、
琥珀以外にも、物を引きつける同様の現象があることを発見します。引きつける現象について、後に電気の語源となる、electricaと名付けました。
17世紀
静電気を多量に作ることができる機械、装置が発明されました。
電気は、吸い付ける力だけではなく、反発する力があることもわかってきます。
電気を帯びた物質側に、電気を帯びていない物質を置くと、電気を帯びていない物質も電気を帯びる、静電誘導という現象を発見しました。
1727年
グレイ(イギリス)は、
電気が自由に伝わる物質と、発生した電気がその場に留まる物質があることを発見しました。金属などの導体と樹脂などの絶縁体とに仕分けをし、
「導体にも絶縁体にも電気が発生するが、
導体は電気を逃しやすいので電気現象が現れない、絶縁体では電気が動かないので電気現象が現れる。」と考えました。
1729年
金属などは、摩擦しても静電気現象が起きないのは、金属が電気を逃しやすいからだということを発見しました。導体と絶縁体の区分が確定されたことになります。絶縁体には電気が動かずに留まることから、静電気という概念が誕生することになります。
1733年
デュフェー(フランス)は、
電気には2種類あって、引き合うものと反発するものがある現象について、
1.ガラスで絹をこすったときに、ガラスに生じる電気をガラス電気、
2.樹脂を毛皮でこすったときに生じる電気を樹脂電気
3.ガラス棒に帯電させた電気を同時に2本の金属棒に移したときに、この2本の棒が反発しあう。
4.2本の金属棒のうち1本はゴム、1本はガラスで帯電させた電気を移すと、この2本の電気棒が引き合う
の実験結果から、同種のもの同士は反発し、異種のものどうしは引き合う性質があることを発見しました。
1745年 エヴァルト・ゲオルク・クライスト(ドイツ)は、
ガラス瓶の内側と外側を金属(鉛など)でコーティングすると、静電気を貯めることができることを発見しました。
1746年 ピーテル・ファン・ミュッセンブルーク(オランダ)は、
ガラス瓶の内側と外側を金属(鉛など)でコーティングした装置を実際に作成しました。
ライデン大学で作成したので、ライデン瓶と呼ばれています。つまり、今の時代でいうところのバッテリの第1号かも。原理的にはコンデンサと同じ。
1752年 ベンジャミン・フランクリン(アメリカ)は、
雷の正体が電気であることを発見しました。
フランクリンは、アメリカ合衆国建国の父の1人と讃えられる超有名人です。
雷を伴う嵐の中に、ワイヤーでライデン瓶を接続した凧をあげて、雷雲の帯電を証明しました。
かなり危険を伴う実験で、後に真似をした人(追試研究)では犠牲が出ています。フランクリンは、そもそも事故がないよう安全性に配慮をしていたらしい。
フランクリンの13徳は有名です。
この方、他分野に業績を残し、多才なのですが、発明品だけとっても、
避雷針、ストーブ(フランクリンストーブ)、ロッキングチェア、遠近両用メガネ、グラスハーモニカなどがあります。
フランクリンは、電気素は1種類で、すべての物質が持っている、2つの異なる物質をこすりつけると一方の電気素がもう一方のほうに移り、その過不足によって帯電する、と考えました。
1780年 ルイージ・ガルヴァーニ(イタリア)が動物電気を発見
この方は、医師、物理学者です。カエルを解剖中に、切断用のメスと固定用のメスとをカエルの足に差し入れると、カエルの足が震えることを発見した。カエルの足に電気が起きることを見つけた。筋肉を収縮する力として、動物電気と名付けた。現在の生理電気学。
1785年 クーロン(フランス) クーロンの法則を発見
1799年 ボルタ(イタリア) ボルタ電池を発明
という感じに、電気の発見史は続いていきます。まだまだ、これで半分にも至らない。しかしながら、なんとなく、ある物質をこすると、物がひっついていく、吸い寄せられるという現象から電気を発見していった、ということがわかると思います。
つまり、長い間、静電気を扱い続けてきたのですね。
年表みたいに概観しましたが、次回は解説を加えながら、
さらに後年の電気に関する研究進展について説明していきたいと思います。
今日はここまで
また明日 by 永瀬 賢