日記
昭和6年盲人保護法制定の請願
久しぶりの日記更新です。
1週間ほど前かな、昭和6年盲人保護法制定の請願についての記述を日記にアップするときに保存ができずに全部消えてしまってから、もう一度書き起こす気持ちをつくるのに時間がかかりました。
あと、ちょうど、県外からの研修生さんを1週間ほどお預かりしておりましたので、日記を書く時間を持つことができませんでした。
今日はお久しぶりの更新です。おつきあいよろしくお願いいたします。
昭和2年、4年の請願を経て、昭和6年に再再提出された請願書を書き下ろしてみます。
盲人保護法制定の請願
東京府北豊島郡高田町雜(ざつ)司ケ谷⚪︎原五十一番地
齋藤武彌
外 五百八十九名呈出(提出) 貴族院
五千十三名呈出(提出) 衆議院
本請願の要旨は近時 我が国の盲人は約十万に及び之が保護救済を或るは刻下の急務なるに拘らず未だ何等(なんら)見るべき社会的施設の講せられさるは人道上寔(まこと)に遺憾とする所なり故に政府は救護法の貫施を以て足れりとせす特に盲人保護法を制定し、教育、授産及救護等の施設を講し以て盲人生活の不安を軽減せられたしと請うに在り貴族院及衆議院は採択すべきものと議決せり
盲人保護に関しては従来盲人の保護救済を目的とする社会施設に対し奨励助成の途を講じ或は明治四十四年内務省令第十号按摩術営業取締規則を以て盲人に対しては受験資格及試験の程度に付特典を興へ又は地方の状況に依り無試験にて免許観察を交付する等相当保護の途を講じ来りたる所にして尚近く救護法を施行するに於ては労働能力なき貧困盲人は総て救護を受くることを得へし然れとも盲人の保護救済は未た現状を以て充分なりと言ふを得す依て此の⚪︎に関しては更に調査
攻究を遂け将来適当なる方策を講せんとす
右 閣議を請う
昭和六年七月十三日
本文ここまで
請願の人数が、貴族院から、衆議院から更に人数を大幅に増員しての請願になっています。
按摩業を生業としている視覚障害者は按摩術営業取締規則である程度の救済がされているが、仕事に就けない視覚障害者の貧困な生活について盲人保護法においてどう救済するかを考えなければならない、というニュアンスの請願内容になっています。
すでに議決されているのに関わらず、盲人保護法が制定されていかないことに対する再々の請願、という位置付けでしょうか。盲人保護法がすぐに制定をみない背景として、1929年(昭和4)4月2日公布、1932年(昭和7)1月1日施行された救護法がありそうです。このあたりの経緯を調べる必要がありそうですね。
今日はここまで また明日、と言いたいところですが書けるかどうか、お約束ができずですみませんが。できるだけまた明日、です。 by 永瀬 賢