園だより

2023-01-30 18:00:00

つぶやき(R5.2)

いちご

子:「先生、ケーキ、はいどうぞ。」

保:「ありがとう、いただきます。」

(フォークで刺してそのまま食べる真似をすると)

子:「ちゃんと切って食べて!」

 

【連絡帳より】 作品展の話をしていて

子:「〇〇君と〇〇ちゃんと動物作ったの。」

母:「一緒に行こうね。」

子:「頑張ったの。絶対に見ようね!」

 

ばら

子:「いらっしゃいませ~!」

保:「何屋さんですか?」

子:「お魚にあんこが入ってまーす。」

保:「たいやきですか。」

子:「そう、たいやき!」

 

雪がちらちらしているのに気づき

子:「サンタさんが来たみたい。」

 

子:「あれ?雪がない。」

保:「どこ行っちゃったんだろうね。」

子:「太陽さんが食べちゃったのかな。」

 

子:「あっ。カラスがいる。どうしたんだろう。」

保:「こども園に遊びに来たのかな。」

子:「お母さん、探してるんじゃない?迷子なんだよ。大丈夫かな。」

保:「見つかるといいね。」

  

年少

子:「私のおうち、屋根がないんだよ。」

保:「えっ、どうして?」

子:「だって、白い四角だから。」

保:「三角お屋根じゃないってことだね。」

 

子1:「リサイクルマークあったよ。ほら、ココ。プラスチックって書いてある。」

子2:「あっ。ここにもプラスティックあった。」

子1:「じゃあ、このおもちゃにもあるかなあ。」

(2人でおもちゃの裏側を探す)

子1:「これは書いてないや。」

 

子1:「見て。あそこにメリーさんいるよ。」

保:「ひつじさんに名前つけたの?」

子1:「メリーさん、何してるの?」

子2:「毛をとって、毛糸玉ができるんだよ。」

 

保:「あとシール3個はったら1月は終わりだよ。」

子1:「じゃあ、もうすぐオニマキが来るね。」

子2:「オニマキじゃなくて、豆まきだよ。」

 

トランポリン

子1:「全然高くとべな~い。」

子2:「ひざを高く上げると高くとべるよ。ほら。」

 

保:「〇〇君、本当に準備が早いね。」

子:「うん、だって足も速いもん。」

 

子1:「僕の家におもちゃ、いっぱいあるんだよ。」

子2:「そうなの。」

子1:「うん。線路が作ってあるから、足元に気を付けてね。」

 

年中

寒い朝

子1:「あーあ。今日も火事だった。」

子2:「え?消防車来た?」

子1:「違うよ。今日も口から白い煙が出たの。」

 

子1:「歯が抜けた。ここ!」

保:「抜けた歯はどうしたの?」

子1:「枕の下にいれてある。」

子2:「私もそうした。歯の妖精がいるんだよ。」

 

課業(素材がテーマ)

保:「画用紙に折り紙をくっつけたいなあ。」

子:「のりを使えばいいよ。」

保:「鞄の取っ手がとれちゃった、どうしよう?」

子:「糸とトゲを使う。」

 

子1:「かき氷つくれそう。」

子2:「かき氷のかきって、果物の柿?」

子3:「え!そうなの。違う方のカキかもよ。」

子1:「でも、そんな味しないよ。」

 

シメジ

子:「僕これ苦手だから短いのにして。お願い。」

保:「短いのにしようとしたら、2本くっついているのになっちゃった。大丈夫?」

子:「うーん。兄弟かあ。」(頑張って食べました。)

 

子1:「見て。くじらみたい。」

子2:「えっ。大きないもむしじゃない。」

子3:「おいしそうなおもちだよ。」

子1:「また動いて、変わっちゃった。」

 

もも組の子と遊んでいて

子1:「私、いつになったらお姉ちゃんになれるのかな?」

子2:「大きくなったらなれるんじゃない。」

子3:「私のお姉ちゃん8歳でお姉ちゃんだから、8歳じゃない。」

 

プランター

子1:「この玉ねぎみたいなのは何だろう。」

子2:「先っちょがとんがっているよね。」

子3:「ネギみたいなのも見える。」

子4:「春になったら、正解がわかるよ。」

 

年長

仏参で“ご恩”の話を聞いて

子:「ごはん作ってくれたり、洗濯してくれたり、ご恩数え切れんね。」

 

ままごとで

保:「マヨネーズ多めでお願いします。」

子:「カロリー高くなっちゃうから、少なめにしておくね。」

保:「分かった。ありがとう。」

 

子1:「○○君、大きくなったら結婚しよう。」

子2:(照れながら)「えー。」

子3:「大きくなったら、気持ちって変わるものらしいよ。」

子2:「えっ。そうなの。」

 

正月休みに

子1:「お年玉もらったよ。○○君はもらえた?」

子2:「うん。もらったお金はお母さんに渡したよ。」

子1:「僕も。しっかりお金は貯めないとね。」

 

子:「先生。その上着新しいでしょ。」

保:「そうだよ。よく分かったね。」

子:「いつも一緒なんだから、それくらい分かるよ。」

 

書初め

子1:「筆で書くの、難しいね。」

子2:「鉛筆のほうが書きやすい。」

子1:「初めてなのに、うまく書けて良かった。」

子2:「うん、みんな上手だね。」

 

マフラーつくり

保:「長いマフラーだね。」

子:「もっと長くするんだあ。」

保:「そんなに?」

子:「家族4人でくっついて、みんなで一緒に巻くんだあ。」

 

子1:「卵入りラーメン作ろう。あと、レンゲもつくろう。」

子2:「レンゲって何?」

子1:「汁飲むときに使うやん。」

子2:「私、汁飲むときは、お椀もって飲むもん。」

子1:「レンゲのほうが飲みやすいよ。やってみー。」

子2:「分かったー。」

 

かるたとり

子1:「次、私が読むね。いくよー。はなよりだんご。」

子2:「あった!」

子3:「あったじゃなくて、はい!って取るんだよ。次やったら、1回休みね。」

 

2023-01-30 10:25:00

「学び」への探求心は「遊び」で芽生える

「学び」への探求心は「遊び」で芽生える

  「小1プロブレム」という言葉があります。授業が始まってもおしゃべりをやめない、歩き回る子がいるなど、教師を悩ます状況があることが数多く報告されています。これまで、それは、親や園のしつけや規律教育の問題として語られることが多かったようです。

 しかし汐見稔幸さんは、それは違うと言います。それは、現代の子どもが育つ社会や環境、教育に対しての、子どもたちの「異議申し立て」なのだと。子どもが学ぶ喜びを、本当に感じられるような経験がなされているかが問題であると、指摘しています。

 かつての子どもたちは、近所という地域社会の中で自由に「放牧」されて育っていました。そこには、異年齢の群れ遊びがあり、秘密基地を作ったり、鬼ごっこをしたりして遊んだのです。こうした遊びの中で、工夫すること、企画力、リーダーーシップ、社会性、自主性、規律も含め、知らず知らずのうちに大切なことを総合的に学んでいたのです。しかし現代は、この遊びの体験が大きく失われており、汐見さんは、この問題を「学び」との関連で問題提起をしています。

 「遊び」と「学び」は対立したものとして理解されがちですが、そうではないのです。

 「子どもたちの遊びも、学問と言われる高尚な精神の営みも、同じようにカオスからコスモスを作り上げる作業というところで共通するものなのである。」という汐見さんの言葉にもあるように、子どもが本気で「遊び込む」ことは、学問にも共通する原理があるのだと述べられています。それは、カオス(混沌)からコスモス(秩序)を生み出す、学びのプロセスなのだということです。

 例えば、泥団子を作る遊びがあります。はじめは、そこには土と水があるだけです。そこから、子どもは試行錯誤しながら、硬くて光った泥団子を生み出します。

その過程で、どのぐらい水を足せばいいか、どのタイミングでどう磨いたらいいか、数多くの探究のプロセスを通して一つの泥団子を完成させます。そこには、そうとうな集中力や創造力、そして思考力が必要です。

 研究者が、新しい発見をするために試行錯誤するプロセスによく似ています。土と水だけのカオス(混沌)から、泥団子を完成させるというコスモス(秩序)を、導き出しているのです。

 子どもの育ちに[遊び込む」ことが「学び」として重要であることは、一般の方にはあまり理解されていないようです。それは、保護者だけでなく、教育関係者でさえそうかもしれません。21世紀型能力やアクティブラーニングが求められる時代、「遊び」の重要性を、いまこそ声を高く上げていくことが必要です。

[大豆生田啓友著 『子育てを元気にすることば』より]

 

2023-01-27 15:19:00

「学び」への探求心は「遊び」で芽生える

「学び」への探求心は「遊び」で芽生える

「小Iプロブレム」という言葉があります。授業が始まってもおしゃべりをやめない、歩き回る子がいるなど、教師を悩ます状況があることが数多く報告されています。これまで、それは、親や園のしつけや規律教育の問題として語られることが多かったようです。

 しかし汐見稔幸さんは、それは違うと言います。それは、現代の子どもが育つ社会や環境、教育に対しての、子どもたちの「異議申し立て」なのだと。子どもが学ぶ喜びを、本当に感じられるような経験がなされているかが問題であると、指摘しています。

 かつての子どもたちは、近所という地域社会の中で自由に「放牧」されて育っていました。そこには、異年齢の群れ遊びがあり、秘密基地を作ったり、鬼ごっこをしたりして遊んだのです。こうした遊びの中で、工夫すること、企画力、リーダーーシップ、社会性、自主性、規律も含め、知らず知らずのうちに大切なことを総合的に学んでいたのです。しかし現代は、この遊びの体験が大きく失われており、汐見さんは、この問題を「学び」との関連で問題提起をしています。

「遊び」と「学び」は対立したものとして理解されがちですが、そうではないのです。

「子どもたちの遊びも、学問と言われる高尚な精神の営みも、同じようにカオスからコスモスを作り上げる作業というところで共通するものなのである。」という汐見さんの言葉にもあるように、子どもが本気で「遊び込む」ことは、学問にも共通する原理があるのだと述べられています。それは、カオス(混沌)からコスモス(秩序)を生み出す、学びのプロセスなのだということです

 例えば、泥団子を作る遊びがあります。はじめは、そこには土と水があるだけです。そこから、子どもは試行錯誤しながら、硬くてて光った泥団子を生み出します。その過程で、どのぐらい水を足せばいいか、どのタイミングでどう磨いたらいいか、数多くの探究のプロセスを通して一つの泥団子を完成させます。そこには、そうとうな集中力や創造力、そして思考力が必要です。

 研究者が、新しい発見をするために試行錯誤するプロセスによく似ています。土と水だけのカオス(混沌)から、泥団子を完成させるというコスモス(秩序)を、導き出しているのです。

 子どもの育ちに[遊び込む」ことが「学び」として重要であることは、一般の方にはあまり理解されていないようです。それは、保護者だけでなく、教育関係者でさえそうかもしれません。21世紀型能力やアクティブラーニングが求められる時代、「遊び」の重要性を、いまこそ声を高く上げていくことが必要です。

汐見稔幸『本当は怖い小学一年生』146頁、ポプラ社、2013年

[大豆生田啓友著 『子育てを元気にすることば』より]

 

2022-12-28 12:00:00

つぶやき(R5.1園だより)

いちご

星を指さすプーさんの絵を見て

子:「プーさんがなんか言ってる。」

保:「何て言ってるの?」

子:「お星さまがとれないよおって、言ってるの。」

 

子:「○○ちゃん、泣いてないね。」

保:「うん、うん。泣いてないね。」

子:「よかったね。うれしいね。」

 

保:「手、上手に洗えたね。きれいになったね。」

子:「うん、きれいになった。先生も洗ってください。」

 

 

カバンの中から連絡帳がなかなか取れなくて

子:「うんとこしょ。どっこいしょ。」

子:「わあ、連絡帳のおイモが取れたぁ。」

 

雪が溶けたのに気づき

子:「雪、なくなっちゃったね。」

保:「そうだね、どうしてだろう。」

子:「お空に帰ったんだよ。」

 

給食の手巻き寿司を食べている時

保:「カニが入っているね。」

子:「先生、これはカ!ニ!カ!マ!」

 

トイレトレーニング中の子がトイレで

子:「おしっこからっぽみたい!」

 

髪を切った保育士に

子:「先生。男の子になっちゃったの?」

 

おやつのゼリーのフタがなかなか開けられず

子:「もぉ!」

保:「手伝ってもいい?」

子:「いいよ。」

一緒に少し開けられると

子:「ここは○○にまかせて!オープン!!」

 

年少

寒い日、雨上がりに陽がさしてきて、園庭の木の家の屋根から上がる湯気を見て

子:「園長先生、大変。木の家が火事だー!」

 

子1:「今、○○ちゃん先生に絵本呼んでもらってるんだよ。」

子2:「○○ちゃん、絵本読むの上手だよね。」

 

子1:「カエルはサナギになって、カエルになるんだよね?」

子2:「違うよ。アオ虫とかイモ虫がサナギになるから、カエルはならないよ。」

子1:「そっか~。」

 

子:「私ね、1月になったらお誕生日だよ。だから、遊戯室でお祝いしてね。私、大きい声でお名前言えるからね。」

子1:「ねぇ。桃太郎して遊ぼ。」

子2:「じゃあ僕、桃太郎。」

子3:「僕も!」

子4:「僕も!」

子1:「なんでみんな桃太郎なの。他のは誰がやるの。」

 

子1:「サンタさんにプレゼントお願いした?」

子2:「うん。ママにキッチンセットお願いしたよ。」

子3:「私もしたよ。だから、明日イオンに行くんだ。」

 

子1:「いらっしゃいませー。レストランですよ。好きな物を言ってください。」

子2:「マグロください。」

子3:「マグロ?海に行ってきまーす。」

子1:「いってらっしゃい。すぐに帰ってきてね。」

子2:「ブリもください。」

子3:「大変だ~。たくさん取らなきゃ。」

 

年中

子1:「今日も寒いね。」

子2:「ハワイはずっと暑いらしいよ。」

子3:「ハワイにみんなで行こうよ。」

(地球儀で場所を確認して)

保:「ハワイにはどうやって行く?飛行機?」

(相談して)

子:「園長先生に、水陸両用バスで連れて行ってもらうことにする。」

 

子1:「きょうのミカン、種入ってた。」

子2:「え!じゃあ、あたりだね。」

子3:「僕もあったよ。先生はあった?」

保:「なかった。」

子3:「じゃあ、それははずれだ。今度あたるといいね。」

 

牛乳を飲んで

子1:「見て。白くなった。」

子2:「サンタさんのひげみたい。」

子1:「サンタさん、ミルク好きなんだね。」

 

ほんの家で絵本の読み聞かせをしてもらった後に

子1:「ありがとうございました。」

子2:「あ~、面白かった。」

子3:「こんなに一度にたくさんの本を読んでくれる先生は初めてだわ~。」 発表会の前日①

子1:「緊張してきた。」

子2:「失敗したらどうしよう。」

子3:「大丈夫!失敗は成功のもとやで。」

 

発表会の前日②

子1:「コロナで発表会に出れんくなるといかんで、苦手やけどキノコ食べた。」

子2:「好き嫌いすると、コロナに負けてまうでね。」

 

発表会の当日

子1:「先生、給食を食べたら発表?」

保:「そうだよ。」

子1:「僕、今日は少な目にして。何だかおなかいっぱいだから。」

子2:「おなかじゃなくて、胸がいっぱいなんじゃない?」

 

発表終了後

子:「あ~楽しかった。もう1回やりたい。」

 

子1:「うち、サンタさん来たよ。」

子2:「先生のとこにも、サンタさん来た?」

 

 

年長

子1:「劇の練習、いつやるの?」

保:「昼からやるよ。」

子1:「やったー!上手にお話しできるようになりたいから、頑張る。」

子2:「私もー。違う役の子のセリフも覚えよっと。」

 

子1:「このマーク知ってるよ。止まれだよね。これ、いっぱいあるね。」

子2:「今日、バスの中でカーブミラーいっぱい見たよ。」

子1:「明日、いくつあるか数えてくる!」

 

子1:「サンタさんって神様なんだよ。」

子2:「そうなの?」

子1:「世界中の子どもにプレゼントを配りまくるんだよ。すごすぎでしょ。」

 

冬至の翌日

子1:「昨日、ゆず風呂に入ったよ。めっちゃ温かかった。」

子2:「私も~。いい匂いだったよ。」

もちつき

子1:「思ったより3倍くらいきねが重かった。」

子2:「先生たち、簡単に持ち上げてすごいね。」

 

アクアトトにて①

歯が牙のように飛び出た魚を見て

子1:「あの魚、もうすぐ歯が抜けるんじゃない。」

 

アクアトトにて②

歯がない魚を見て

子:「これは、おじいちゃんだね。」

 

餅花つくり①

子1:「木がかわいくなった。」

子2:「急にお正月ぽくなったね。」

 

花餅つくり②

子1:「このお餅、お米のにおいがする!」

子2:「本当だいい匂いがする。」

子3:「なんかおいしそうで食べたくなってきた。」

 

2022-12-19 15:26:00

子どもの困った行動は大人に向けたメッセージ

子どもの困った行動は大人に向けたメッセージ

 

 津守真さんは、子どもの行為を、心の表現だと言います。

「あるとき、私は子どもの行動を表現として見ることを発見した。行動は子どもの願望や悩みの表現であるが、それはだれかに向けての表現である。」

 このように一見、問題に見える行為も、その子がうったえる重要な表現として大切な意味を見いだすべきだと、彼は考えたのです。しかし、そう捉えることは決して簡単ではありません。実際の子育てや保育では、「どうしたら早くおむつがとれるか」とか、「どうやったら困った行為をやめさせられるか」といった、表面的なことばかりに振り回されてしまうからです。

 ずいぶん前に出演した、ある子育て番組での話です。2歳の女の子は、公園で友達と上手に遊べません。すべり台を滑ろうとすると、突然滑るのをやめて他の子を押しのけて階段を下りてしまいます。乗り物に乗ろうとした時には、他の子が一緒に乗ろうとすると「ダメ」と強烈に拒否するのです。友達がボールを蹴って遊んでいた時にも、「ダメ」と言ってボールを抱えて逃げてしまいます。親としては、友達とうまく遊べないわが子に悩むのは当然です。

 しかし、表面的には「友達とうまく遊べない子」「わがままな子」と見えますが、本当は違うのです。なぜ、その子がすべり台を下りたかといえば、滑ろうとしたら他の子に後ろから軽く押されたからです。それで、他の子から離れるために乗り物の方に行ったのです。「友達とうまく遊べない子」として見ていると、なかなかその事実に気づきません。乗り物には一人で乗ろうとしましたが、他の子がついてきて一緒に乗ろうとしました。ボールで遊ぼうとしたら、他の子たちが彼女のボールを蹴っていて、手に入らないのです。

 自分のペースでゆっくり遊びたいと思っている女の子にとって、それは[困ったこと」だったのです。それなのに、「どうして、お友達と一緒に遊べないの」と叱られます。この子の思いは、誰にも理解されないのです。この、一見「わがまま」に見える行為は、「願望や悩みの表現」といえます。それは、誰かに分かってほしいという表現ともいえるでしょう。その子を「うまく遊べない子」「わがままな子」と見ていると、「願望や悩み」はなかなか分かりにくいものです。でも、ちょっと立ち止まって見てみると、その子の思いが分かってきます。

 困っているのは大人ではなく、子どもなのです。問題があると思っている時こそ、その子が何に困って表現しているのかと、じっくりと見てあげたいものです。

[大豆生田啓友著 『子育てを元気にすることば』より]

 

 

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