講師(宗夜)ブログ
●お辞儀のふしぎ
最近、外部の社中に在籍している会員さまがビジターとしてお稽古にご参加くださる機会が多くなりました。花月や茶事、奥伝などのお稽古を楽しんでくださいます。
お稽古後にお褒めの言葉を頂戴することが多くあります。
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よし庵の生徒さまのお辞儀が美しい
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ありがたいお言葉です。
宗嘉先生も宗夜も、お辞儀には並々ならぬこだわりを持って指導に当たっております。
お言葉をとても嬉しく受け止めました。
私たちはお辞儀に、その方の全てが滲み出ると思っております。
ネガティブな人は、ネガティブなお辞儀
威張った人は、威張ったお辞儀
素敵な人は、素敵なお辞儀
入会されて間もない生徒さまも、
先輩達の美しいお辞儀を目にして
『私もあんな風になりたいんです』
と口にされることがあります。
よし庵の生徒さまのお辞儀には卑屈さは微塵もない。
頭を下げているのに威厳すら感じる。
背筋をまっすぐに伸ばし、
肘は左右対称の美しい三角形を描いて、
目線はやや憂いを帯びたように斜め下、
伏し目がちの睫毛までもが美しい。
それは、ご自身がご自身を認識しているから。
人生という形のない地図の中で、ご自身の立ち位置を正確に掴んでいるから。
今の、自分は、ここに居る。
それを座標的に認知しているから。
茶室とは不思議な場所で、このお部屋に入ると、肩書きは全て掻き消されてしまう。
素の『そのひと』が現れる。
そして茶室ならではの上下関係がある。
私たち講師はお辞儀を受けてはおりますが、生徒さま達に平伏してもらいたい訳ではないのです。
人格が上とか、能力が上とか、よもや思ってはおりません。
ではなぜお辞儀にこだわるのかと言うと、そういうシステムだから。
人は様々なシステムの中で生きいます。
システムを深く理解すると人間関係が円滑になり、組織が上手く回り、自分も生きやすくなります。
茶室では必要な時に、必要な事だけを行い、あとは集中してもらいます。
静かに美しく。
いまお客様がこう動いたから、自分はこう動く。
半東さんがこう動いてくれたからスムーズに事が運んだ。ありがたい。
でもお礼はあとで言おう。
いまはその時ではない。
いまは目の前のことに集中…。
茶の湯は自分ひとりでは成り立たない。
皆さまが居られてこそ。
どうもありがとう…
自分に自信がつくと頭が下げられる。
ありがとうと言える。
間違えた時は素直に謝れる。
自分が悪かった。申し訳ない、と言える。
自信のないうちは、人に頭を下げられない。
下げたくないと思う。
『なぜお金を払っている自分が下げなくてはならないのか?そちらが下げるべきではないのか?』
と疑問に思う。
『自分はお客様ではないのか?』
と思う。外の世界ではそうだから。
私も習い始めはそうでした。
『はい。ここでお辞儀してください。』
と言われ、ちょっとムッとしました。
(だったらサービスして深々と下げてみよう)
などと浅知恵を出すと
『それは深すぎる。もう少し浅くして』
(サービス要らないの?よく分からないなぁ…)
これが『我』
我が張っていると人間関係が上手く行かない。
現代では『生きづらさ』というキーワードがよくメディアなどに上がりますが、これを『我』と言い換える事ができると思います。
我が去ると楽になるのだけれども、これがなかなか自分から去らない。
変なプライドが自分から剥がれない。
それを、お辞儀が少しずつ少しずつ剥がしてくれる。
身体を傾けて、戻して、という繰り返しによって少しずつ剥がしてくれる。
すると本来の輝く自分が現れ出る。
美しいお辞儀が自分を創る。