講師(宗夜)ブログ
●帛紗のなぞ
帛紗の角と角は合わない。
なぜなら正方形ではないから。
茶道を始めた頃は、これがとても不思議でした。
『ちゃんと正方形に作ればいいのに』
そのように安直に思ったりしました。
その後はお点前を覚えるのに必死で、角が合わないことに慣れてしまい、不思議に思ったこと自体を忘れてしまいました。
しかし最近になって、この形が人生の不思議と重なり、実感を伴いながら私の心に迫ってきました。
ああこれで良いんだなと思うようになりました。
なぜ正方形ではないかの理由については、複数の方がインターネット上にアップされていらっしゃいますのでお任せするとして…
私なりの帛紗への気持ちの変化をお話ししたいと思います。
茶道を始めたころ…
こんなに色々な作法にうるさいのに、なぜに手元の帛紗だけ歪んでいるのかと、嫌でした。
子供の頃から小さなズレが嫌でした。
折り紙の角は必ず合わせるタイプでした。
私だけでなく、日本人はそのような体質が多いように思います。
きっちり折るからこそ折り紙という遊びが成り立ちます。正確に折ることが折り紙の醍醐味。
そのようなキッチリ体質の日本の人々が、なぜ手に持つ帛紗を正方形にしなかったのか。
炉を見れば正方形。
畳も半畳は正方形。
釜は上から見れば正円。
五徳は正三角形。
五角盆は正五角形。
『正』が好きな日本人。
だけれども、手元には少し歪んだ四角形の帛紗。
人間関係…なのかな?と思います。
自分と他者との意識をピタリと合わせることは難しい。
同じ方向を見ているようでも、同じ夢を追っているようでも、ズレは生じるのだ。
ズレは存在する。
どんな人間関係でも。
若い頃の『ちゃんと作れば良いのに』という感覚は、ピタリと合っていることが『正しい』という思い込みでした。
ピタリと合うことを前提としていた。
だから『ちゃんと』という前置きが付いた。
その前提は本当は違うのではないか?
合わないのが本来の姿なのかも。
良いんだ。多少合わなくても。
大体合っていて、綺麗に折り畳んで、お道具を清めるという目的が達成できたなら。
少しのズレは包み込んで『捌く』という美しい作法に変える。美味しいお茶でお客様におもてなしが出来たなら、それが一番なのだ。
ズレに驚いたり、戸惑ったりしないで。
存在するものだと思って。
所作を綺麗に整えて歪みを超える。
そのためにお稽古する。
出来る限りできたならそれで良い。
許容する心を育てる。