講師(宗夜)ブログ

2023-01-23 20:09:00

●帛紗のなぞ

帛紗の角と角は合わない。

なぜなら正方形ではないから。

 

茶道を始めた頃は、これがとても不思議でした。

『ちゃんと正方形に作ればいいのに』

そのように安直に思ったりしました。

その後はお点前を覚えるのに必死で、角が合わないことに慣れてしまい、不思議に思ったこと自体を忘れてしまいました。

 

しかし最近になって、この形が人生の不思議と重なり、実感を伴いながら私の心に迫ってきました。

ああこれで良いんだなと思うようになりました。

 

なぜ正方形ではないかの理由については、複数の方がインターネット上にアップされていらっしゃいますのでお任せするとして…

 

私なりの帛紗への気持ちの変化をお話ししたいと思います。

茶道を始めたころ…

こんなに色々な作法にうるさいのに、なぜに手元の帛紗だけ歪んでいるのかと、嫌でした。

 

子供の頃から小さなズレが嫌でした。

折り紙の角は必ず合わせるタイプでした。

私だけでなく、日本人はそのような体質が多いように思います。

きっちり折るからこそ折り紙という遊びが成り立ちます。正確に折ることが折り紙の醍醐味。

そのようなキッチリ体質の日本の人々が、なぜ手に持つ帛紗を正方形にしなかったのか。

 

炉を見れば正方形。

畳も半畳は正方形。

釜は上から見れば正円。

五徳は正三角形。

五角盆は正五角形。

『正』が好きな日本人。

 

だけれども、手元には少し歪んだ四角形の帛紗。

人間関係…なのかな?と思います。

自分と他者との意識をピタリと合わせることは難しい。

同じ方向を見ているようでも、同じ夢を追っているようでも、ズレは生じるのだ。

ズレは存在する。

どんな人間関係でも。

 

若い頃の『ちゃんと作れば良いのに』という感覚は、ピタリと合っていることが『正しい』という思い込みでした。

ピタリと合うことを前提としていた。

だから『ちゃんと』という前置きが付いた。

 

その前提は本当は違うのではないか?

合わないのが本来の姿なのかも。

 

良いんだ。多少合わなくても。

大体合っていて、綺麗に折り畳んで、お道具を清めるという目的が達成できたなら。

少しのズレは包み込んで『捌く』という美しい作法に変える。美味しいお茶でお客様におもてなしが出来たなら、それが一番なのだ。

 

ズレに驚いたり、戸惑ったりしないで。

存在するものだと思って。

所作を綺麗に整えて歪みを超える。

そのためにお稽古する。

出来る限りできたならそれで良い。

許容する心を育てる。