講師(宗夜)ブログ
●『教える』仕事 その3
ピアノは20代半ばの結婚直前まで続けました。
まさかこんなに長く続けるとは子どもの頃には想像も出来ませんでした。
小学生低学年の頃に『やめる、やめる』と大泣きしていたのに。
大人になると音楽は、無くてはならない存在になっていました。
仕事の厳しさとか、恋愛とか、少しずつ人生が分かってくると曲の素晴らしさも分かってきました。
作曲家がどんな気持ちで曲を作ったか。
どんな社会情勢だったか。
ピアニストはどういう風に弾いてるか。
作曲家はどんな風に弾いてもらいたかったか。
子どもの頃、母親に泣いて訴えました。
『なんでこんなに叱られて辛い思いをしてまで続けなきゃならないんだ。ピアニストになるわけでもないのに。』
すると母は言いました。
『趣味だからと言って、いい加減にして良いわけがない。一つのことさえ続けられない人にいったい何が出来る。』
大人になって、まったくその通りだと思いました。社会人になってから友達に言われたことがありました。
『いいなぁ、ピアノが弾けて。私も子供の頃習っていたんだけど、母に辞めたいと言ったら、いいわよって言われてすぐにやめちゃったんだよね。あの時もう少し母が粘ってくれたら…と今では思うよ』
子どもの頃、母は実家に帰るたびに祖母や叔母から『子育てが厳しすぎる』と言われていました。
『ピアニストになるわけでもないのに…』という表現はその時の受け売りでした。
だけど母には視えていたのだと思います。
人生が思いのほか短いということを。
子供の頃の柔らかい筋肉は、大人になってからでは取り戻せない。
確かにピアニストにはなれない。
だけど、ピアニストがどれだけ凄いかが肌で分かる。
社会人になってしばらく経った頃、ピアノの先生に『ご飯を食べに行こう』と誘われました。
成人した生徒と食事をすることが先生の夢だったそうです。
その会には懐かしい顔ぶれが10数人。
あー、どうもどうも…
あー、どうもどうも…
ピアノは個人レッスンなので、他の生徒さんと顔を合わせるのは年に一度の発表会のみでした。
それでも子ども同士はすぐに仲良くなってコンサートホールで追っかけっこしてました。
いやぁ、先生、怖かったですよー、昔。
ほんと、怖かった。
よく泣いたもんねー。
『そうね。泣かせたね。』
私が一番下手だと言われたよ。
それ私だよ。
私も、私も。
え?何だ、みんな言われてるじゃん。
いや、そんなことない。
私が一番下手だったと思う。
2時間練習しろと言われて、終わったら先生に電話で報告したもん。
それ私もしたよ。
私も、私も。
えー、本当に?
『みんな同じよ。みんな練習しなかった。』
私、一回楽譜投げられたことある。
こんなの見れるかって。(←工藤)
(しーん…)
いや…、それは…無いかな。
なんだ、これは私だけか。
言わなきゃよかったよ。
(爆笑😂😂😂)
数時間、食べて、飲んで。
みんな忙しくて開催は一回きりでしたが、温かい時間でした。
ピアノは難しかった。
一生懸命に練習しても難しかった。
ハノンで指練習して、ツェルニーで練習曲やって、ブルグミュラーやソナチネやソナタでようやく曲らしいものを弾く。
怒られながら、怒られながらの子ども時代。
基礎に10年。
表現力にまた10年。
ある時、クラッシックの番組でピアニストが言っていました。
『曲の素晴らしさが分かってから練習するのでは遅すぎるんです。理解できない頃から練習することが大事なんです。』
と、なると大切なのは教育。
子どもには先は視えないから。
本当の力を身につけるのに、どれだけの労力と時間が必要か。それが分かると粘り強くなる。
粘り強くなると素直になる。
プロになるかどうかは問題ではない。
誰より上手とか下手とかも関係ない。
大切なのは、素直さ。
素直になると綺麗になる。
だから人は趣味を持つ。
その道の達人から素直さを継ぐ。