講師(宗夜)ブログ
所作(29)●日本人の心を育てた昔話②
昔話に向き合っていた時、それらが生まれた背景にも興味が湧きました。どんな風に生まれて現代の私たちに受け継がれてきたのだろう…。
専門的に研究したわけではありませんが、本を読んだり、旅行先などの博物館などで得た知識をもとに自分なりの解釈を持つようになりました。
私が昔話と呼ぶものには、多くは民話由来のものであることを知りました。
昔話と民話とは異なると言われます。
昔話は語ることを前提とした空想の物語だと言われ、民話は特定の地域で語り継がれてきた個人的なお話を元にしているとのことです。
ですが、両者が重なっている部分も多いような気がします。私は専門家ではないので民話も含めて昔話、と大きく捉えさせてもらっています。
昔話の多くは、お百姓さんの家で生まれたそうです。昔、現代とは違い、農薬も化学肥料もない時代、お米を収穫するのは本当に大変なことでした。
水田を真っ平らに作るのも大変だし、水を引くことも大変です。水が多すぎてもいけないので丁度いい具合に時々水抜きをします。
水の権利を巡っての地域での争いも絶え間なかったことでしょう。
ダムもないため、洪水も頻繁に起こります。
虫害や冷害による飢饉も多く、なんと苦難の時代が長かったことか…。背筋がゾワゾワとします。
ようやく収穫した稲も、稲穂のほとんどは年貢として上納しなければなりません。
そんな時代…
お百姓さんたちは、自分達が暮らすための収入を得るために夜な夜な内職をしていたそうです。
稲穂を上納して、残るは籾殻や糠や茎です。
籾殻は燃料として保存。または大切なものを送る時の緩衝材(クッション)として活用しました。
今でも茶道の枝炭は籾殻に包まれて売られています。
精米時に出る糠は糠床として漬物に利用、そして茎は、藁細工となり様々な日用品として現金を得るための大切な収入源となりました。
日用品とは、しめ縄、雨笠、蓑、藁草履、雪沓、子どものための人形などなど…。
藁を石にのせて槌で打ち、柔らかくしてから、家族総出で夜な夜な藁細工を作っていたそうです。
特に雪国では冬の間は外に出られないため、このような時間が長かったとのこと。
そのような時間にお話が伝えられたと言います。
おばあさんが聞かせ、父母が聞かせ、たまには『こんどはお前、話してみ…』などと促されて子ども語ったそうです。
家族で忙しく手を動かしながら。
生活と共にお話が伝わってきたのです。
それらのお話は、生活に密着している分、時代の大きな変化に巻き込まれて消えいる危機がありました。
大きくは、明治時代の初めと太平洋戦争後。
西洋文化がドッと入ってきた時です。
この時に民俗学者が危機感を持ち、民話の収集を行ったそうです。
そして戦後は、様々な研究者がそれらを文字にまとめて語り用の本や、絵本として形にしました。
もしかしたらお百姓さんの時代のお話とは、かなり異なるかもしれません。
それでも何とかして土着文化を残そうとする関係者の努力に、私は頭が下がる思いです。
研究者には、西洋の文学に精通していた人たちが多かったのではないかと推察します。
文章の作り方が、西洋の論文と酷似しています。
従属接続詞が多く使われています。
〜なので、〜した時に、〜だけれども、
などが従属接続詞です。
西洋の文学を翻訳した時に生まれた概念と思われます。この概念の輸入が、外国語を学ぶ私たちに大いに役立っていると思います。
これがなかったら外国語の勉強はもっと困難であったかもしれません。
昔話は時代の変化に程よく調和して、私たちの脳と心を育ててくれています。
茶道にもそんなお百姓さんの暮らしを所々で垣間見ることができます。
豪華なお道具や格の高いお点前もたくさんありますが、侘茶における茶室はとても簡素です。
茶室は重要な情報収集の場でありましたから、農家の人間もまれに招待されたのではないでしょうか。
あまりに豪奢な造りにしては、反感を招いて情報を得られなかったかもしれません。
茶室の躙口は狭く、刀を預けて入室します。
中も狭く、暗く、身分の隔てなく、茶室では皆平等であるという考えの元で茶が供されます。
私たちは土から離れてはいけないのだ…
そんな気持ちになります。
あらゆるところに日本の文化が伝わっている。
小さなことにも気付いて生きていきたい。
それも茶道のお稽古のうち。
そんな風に思っています。
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和から学ぶ気品ある仕草 美しい所作教室