講師(宗夜)ブログ
●『ああ嫌だ!もう嫌だ!』 愚痴さえも包む古今和歌集
高野切第三種の終盤
(ん?)と目を皿にして何度も見返した和歌がありました。
。。。。。。。。
そゑにとて
とすればかかり
かくすれば
あないひ知らず
あふさきるさに
そうだからと言って
ああすればこうなるし
こうすればああなるし
ああどう言っていいか分からない
食い違いばかりで
(第1160首 よみ人知らず)
。。。。。。。。
そゑにとて(そうだからと言って)と、突然に始まる和歌。
直前の和歌への返歌か?と思ったけれど、直前の和歌は三日月🌙を詠んだもので意味がつながらず…
唐突に始まることで、何かにすごくイライラしている様子が伝わってきます。
あふさきるさ は
漢字を当てると『合ふさ切るさ』
長さが規格に合わないのでしょうか?
も〜!ピタッとハマらないのよ。
だからと言って切るわけにもいかないじゃない?
こんな声が聞こえてきそう。
面白い和歌を込めたものです。
撰者は紀貫之。
編纂を命じた醍醐天皇も当然知ってのこと。
その次の和歌も強烈で…
。。。。。。。。。
世の中の
うきたびごとに
身を投げば
深き谷こそ
浅くなりなめ
(第1161首 よみ人知らず)
。。。。。。。。
これは現代語訳も必要ない、そのまんまの意味です。
すごいなぁ日本人。
表現の幅が広いなぁ。
これらの和歌は古今和歌集の第十九巻目の中の俳諧歌の段に収められています。
俳諧歌は、おもに滑稽な歌のこと。奇抜な着想によって正調から外れた歌とのこと。
もしかしてこのまま1100首まで続いてゴールか?
と心配になって先を読むと、
『大歌所御歌』とあり、日本各地の当時の主要都市を愛でる歌が風土記のように並び、雅びに幕が閉じられていました。
大歌とは、当時の祭事で、楽器の演奏に合わせて歌う歌のこと。
主要都市の景勝地を讃える歌が順番にならんでいます。
この祭事はもしかしたら…
古今和歌集の完成時に各都市の要人が招待されて催されたのではないかと想像したくなるのでした。
和歌集という国宝
ふわりとした真綿のような柔らかさを感じます。
鋭いものを柔らかく包み込んで無力化してしまう強さ。
文化力の誇示というと、大きな建造物がまず最初に浮かびます。
でも、立派であればあるほど維持が大変。
後世の人々への負担となります。
だけど、どうだろう。
紙と墨で出来た和歌集は朽ちにくい。
もしも全て覚えてしまって
口伝で継いでいくなら、朽ちることもない。
臨書をしていると、ところどころで小さなミスがあります。
ミス…と言っていいのか分かりません。
ただ、和歌集によって何ヶ所も相違があるのは事実です。
横に置いて書き写したのなら表れることのない相違でしょう。
これらはもしかして、口伝を書き起こしているのでは?と感じるのでした。
こんなにたくさん覚えられないのではないか。
普通はそう思います。
ところが継ぐことが自分たちのアイデンティティを証明する方法だとすれば…
中には喜んで覚える人間もいるだろうと思うのでした。
なぜ醍醐天皇は和歌集の編纂を命じたのか。
口伝に励もうとする心に望みを賭けたのかも知れない。
日本人のアイデンティティを繋ぐ確かな方法として。
臨書を進めていると、そんな風に思われるのでした。