講師(宗夜)ブログ

2025-09-29 20:57:00

●メルヘンを捨てよう

大人になって改めて竹取物語を読んでみると、子どもの頃に憧れていた『かぐや姫』とは印象がだいぶ違うことに驚いております。

 

子どもの頃はお淑やかで大人しい姫なのかと思っていました。

ところが原文では冷淡で気性の激しい女性に描かれています。

またお話が『死』に触れていることも驚きでした。

 

五人目の求婚者は『燕の子安貝』を持参するように姫に言われました。

懸命な努力の末、ようやく手にしたのが…燕の糞だったというお話。

掴む時に腰を痛め、実は子安貝ではなく燕の糞とだったと自分の目で見てがっかりして気落ちし、そのまま病気になって亡くなってしまいました。

 

その後、かぐや姫は帝からも求婚されました。

帝は、お爺さんに官位を授けるからその代わりに姫を説得して入内させよと命じます。

お爺さんは姫にその旨を話して説得しますが

『万が一無理やり入内させたら死んでやります。なんなら本当に死ぬかどうか試してみるが良いでしょう。』

と、啖呵を切ります。

 

子どもの頃に読んだ、あらすじだけの絵本には『死』に関する記述はなかったように思います。

かぐや姫も月を眺めながら静かに泣いている美しい姫としか描かれていませんでした。

自分が知っていると思っていたお話は随分と脚色されたものでした。

 

不思議なもので、子どもは『死』に敏感です。

自分もよく子ども時代に母親に訊ねました。

『死ぬとどうなるの?どこに行くの?』

『何にも無くなるのよ』

『何にも無くなるってどういうこと?』

『知らないわよ、私はまだ生きてるんだから。忙しいからあっち行ってて。』

 

何にも無くなるってなによ。

いま色んなこと感じている自分の心まで無くなってしまうなんて、そんなひどいことがあるか。

 

そんな風に思っていました。

自分の子からも5〜6才の時に同じ質問を受けました。

どう自分が答えたのか正確な記憶はないけれども、

『何にも無くなるってことはないと思うよ』

と自分の希望を交えて答えたように思います。

 

理由は分かりませんが、5〜6才から10才くらいまでは死の世界が身近な気がしていました。

親になって改めて自分の子を見ても他所の子を見ても、その年齢の子たちは『死』に対して敏感で、それでいて身近な感じを持っているようでした。

それ以降の年齢になると、もう毎日が忙しくて、親も子もそれどころでは無くなってしまうのでした。

 

ちょうどその頃、今から15年くらい前に子どもが通う小学校で絵本の読み聞かせボランティア活動をしていました。

かなり真剣なボランティア部で絵本や昔話を定期的に勉強していました。

 

『工藤さんは残酷な話はどう思う?』

と入会時に聞かれました。

部のリーダーから続けてこのように説明を受けました。

。。。。。。。。。。

昔話には現代には馴染みのない残酷な表現が多々見られます。

これを嫌がる大人が最近になって増えてきました。

表面だけ取り出せば残酷なのですが、全体のお話を味わうとそれも大事な要素なのです。

何より数百年という長い年月を、名もなき人々によって口伝えで紡がれてきたという文化と歴史があります。

現代の感覚だけでは分からない生き物としての強さがそこに存在するのです。

どうか表面だけを見ないで、様々なお話を子どもに届けてあげてほしいのです。

。。。。。。。。。。

 

素晴らしい教えでありましたが、

絵本や昔話の素晴らしさに疎かった当時の自分には何のことやらよく分からず『はぁ…。はぁ…。』と生返事するばかり。

今になって反省しています。

 

実際に現場に入ってみれば、リーダーの言葉通りでありました。

昔話には、洋の東西を問わず残酷な表現がたくさんありました。

 

目をくり抜くぞ、とか

腕を切り落とすぞ、とか

指をちょん切るぞ、とか

 

子どもたちは一瞬ギョッとするけれども、その表現が過ぎるとケロリとしてお話の続きを喜んで聞いていました。

拘るのは大人でした。

クラスによっては先生からクレームが入りました。

学校との揉め事はNGなので、クラスごとの先生の性格を考慮して本やお話を選ぶようにしていました。

 

そんなある日

いつもの勉強会でメンバーの一人が絵本を一冊紹介しました。

 

『ゼラルダと人喰い鬼』

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皆んなの前で読んで聞かせて、どう思うか感想を求めました。

 

ゼラルダという女の子が、ある時人喰い鬼にばったりと出逢います。

ああ大変!と思ったら人喰い鬼はお腹が空きすぎてその場で倒れてしまいました。

ゼラルダはお料理が得意な女の子。

鬼をかわいそうに思ってたくさんのご馳走を作ります。

ゼラルダの作るお料理がとてもおいしかったので鬼は子どもを襲わなくなりました。

そのうちにゼラルダと鬼は結婚して子どもを設け幸せに暮らしました、とさ。

 

というお話です。

しかし最後の場面で、二人の子どものうちの一人が後ろ手にナイフを隠していたのでした。

しかもそのナイフの先が血塗られていました。

 

私には強烈な印象に見えて

『ちょっとその本はどうなのでしょう?』

と苦言を呈したのでした。

『わざわざその場面を子どもに見せる必要があるのかしら?』

するとこの本を持ってきた方が

 

『ここが大事なのよ。人間は実はそう簡単には変わらないんだという大事な意図がここに描かれているの。だから用心しなさいという教えがここにあるの。』

 

今になって。

五十路を過ぎた今になって、自分が間違っていたことに気づきました。

その方が正しいのでした。

私は心地よいメルヘンの世界にどっぷりと浸っていたのでした。

 

2〜4才くらいを対象とした絵本に悪い人は描かれません。

くまさん、たぬきさん、きつねさん…。動物はさん付け。

たまにズルい事はしても死ぬだの殺すだのという表現は出てきません。

ところが5〜6才くらいを対象とするものになると、怖い人がたくさん登場します。

 

それは実際に怖い人が世の中にたくさんいることをお話が子ども達に教えてくれていたからなのです。

『気をつけなさい。世の中は怖いのよ。』

人喰い鬼は、東洋のお話にも西洋のお話にもたくさん登場します。

それは本当に存在するからだったのだと今になって分かりました。

信じたくはありませんが、子どもを虐めて喜ぶ悪趣味な人が実際に存在します。

人口の割合から言えば多くはなく、ほんの数%か、数%未満だろうけれど残念なことに存在するのでした。

最近も子どもを狙った犯罪がまた増えていると聞きます。

 

昔からそういう人は居るのでした。

割合は少ないから生涯出会わない人のほうが多いけれど、運が悪ければ出会ってしまう。

だから

『現実をちゃんと見てね』

絵本や昔話は生き抜くための大事なメッセージを伝えてくれていたのでした。

 

これは子どもだけではなく、大人たちへの教育でもあるようです。

こういうお話を読み聞かせながら

『大人がちゃんと守らねば』

という気持ちが芽生えてきます。

そしてもう一つのメッセージ。

『大きくなったら自分で自分を守るのよ。』

 

子どもが小学校を卒業するあたり、自分もボランティア活動を卒業するあたりになって、部の友人から

『ねぇ、知ってる?最近の桃太郎は鬼を退治しないんだってさ。』

と声をかけられました。

『どゆこと?』

『かわいそうだから許してあげなさいって教育らしいよ。謝っているんだからって。』

 

胸のあたりがザワザワしました。

それが約15年前のことです。

そうか、こうやって人の思考は知らず知らずの間に路線矯正されていくのか。

 

世の中は怖い。

鬼はそこここにたくさん居る。

だけどちゃんと良いこともたくさんある。

悪いことや悪い人を見極めるのは、良いことを引き寄せるため。

 

諸々に気付いた上で、昔話や絵本や古典を知れば、もっと深く文化を好きになれるのでした。

知れば賢くなる。

賢くなれば幸せも見つけられる。

今の時代だけではなくても、過去の時代でも、同じ思いを持つ人と繋がれると幸せは広がります。