講師(宗夜)ブログ

2025-09-27 10:18:00

●女性のための護身術

武道家の顔も併せ持つ、宗嘉先生が女性のための護身術教室を立ち上げました。

目下、工藤も特訓中です。

 

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(1)強く手首を掴まれた時の逃げ方

https://www.instagram.com/reel/DPDRs4zAe6K/?igsh=MTR3Z3pucXg1d3Ji

 

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手首を掴まれてどこかに連れて行かれそうになる状況を想定しました。

片手の場合、両手の場合のどちらも実践しています。

 

宗嘉先生はいとも簡単に手を解くのですが、これが自分でとなると大変難しいです。

そもそも、男性から思い切り手首を掴まれる状況に遭ったことがなく、工藤の手首は一日で真っ赤に腫れあがりました。

宗嘉先生はすごく手加減しているとのことですので、万が一暴漢に出くわした時には、場合によっては骨まで痛めてしまうかもしれません。

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・体を曲げるな。体幹はまっすぐを保て。

・無理やり外そうとするな。力では負ける。相手の虚をつけ。

・逃げる時に背中を見せるな。応戦の気合いを見せつつ素早く後ろに下がれ。

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体が動かない。

体の動きが遅い。

しかし今はこれで精一杯。

 

ところで、

『どうしてよし庵で護身術?』

というご質問をいただきました。

 

『時代のニーズに合わせてよし庵も変貌していきます』

とお答えしました。

いま、急激に日本の治安は悪化しています。

犯罪者は増えるのに予算はつかず警察官の数も足りないとのこと。

となると、これからは自分で自分を守り抜く覚悟が必要です。

 

茶道は武士を中心に興った文化ですので、護身術を取り入れることは私どもには不自然ではありません。

室町時代後期から安土桃山時代にかけて治安が悪く、明日をも知れぬ身を誰もが抱えていたと思えばむしろ自然なことに思われます。

 

歴史を見ると、日本は数百年ごとに軍縮と軍拡を繰り返していたようです。

軍拡の契機は、いつも海の向こうから来る外敵でした。

『異民族が攻めてくるぞー!』

となると号令が掛かったように一斉に軍拡へと動きます。

古墳時代や奈良時代は外敵に備えて要塞・石垣・山城などを造っていたそうです。

大きな古墳群は瀬戸内海からわざわざ見える位置に造られていたそうで経済力と軍事力の誇示が外交上の目的でした。

奈良時代の白村江(663)の戦いの頃には近畿地方にも九州地方にも石垣や山城などが造られたそうです。

しかし軍備はお金が掛かります。

労力も要ります。

数十年〜数百年も攻めて来る様子がなく、経済活動が活発になれば暮らしの方が大事になり、

『もう来ないでしょう』

と気が緩むのも無理はないかも知れません。

 

しかしちょうどその合間を縫うように外敵が侵攻してきます。

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●刀伊の入寇

(といのにゅうこう)

・1019年

・大陸から渡ってきた女真族の一派による大規模な海賊行為

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藤原道長が活躍していた時代に起きた侵略行為でした。

日本は894年に遣唐使を廃止。

大陸からの直接の影響は少なくなり、1000年代は仮名などの国風文化が花開いていた時代、

平和な日々が続いていたので徴兵制度も無くなり、大規模な軍事編成や軍事演習がなくなっていた時代だそうです。

そこに突然50艘の賊船が押し寄せ、北九州などで海賊行為を繰り返したとのことでした。

日本を守ったのは道長の甥の藤原隆家。

地元の武士団を率いて見事撃退したと紹介されていました。

 

現場は放火・誘拐・殺人などの残虐行為で大変な状況だったそうですが、京の朝廷には緊張感が伝わらず武士団にも隆家にも恩賞は十分ではなかったとのこと。

 

その頃辺りから海を渡ってくる移民が流入し始め、その後のモンゴル帝国の台頭によって更に大規模に大陸から押し出されるようにして日本に流入したと聞きます。

 

特にモンゴル建国後の移民は凄まじい数だったようで、仮名文化が廃れて日本語の文法も語句もその時期に大きく変化したと言われています。

 

このような歴史背景を持つ日本。

混迷極める昨今の状況も、過去を知れば連続した流れのひとつに見えてきます。

嫌なものは嫌だと言い

ダメなものはダメだと言う

その気概を持つために、いざという時に自分を守る力を持つことが大切です。

 

過去の日本人は強かった。

百姓も商人も強かった。

その強さに美しさを感じます。

私たちが追い求めるものがそこにあるように感じるのです。