講師(宗夜)ブログ
●茶と書 『美しい字を書くレッスン』
茶と書とは、切っても切れない深いつながりがあります。
モバイルツールが発達した現代でも、
いえだからこそ、
文化・教養として書は存在感を増していくでしょう。
茶の湯においての『書』とは
まず第一にお軸の鑑賞です。
書きぶりを目で追っていくと、過去のものであるのに今目の前で書かれているような臨場感を放つのだから不思議です。
どんな姿勢で、
どこで力を入れて・抜いて、
どこで墨つぎして、
どのくらいのスピードで
どんな気持ちで
などなど情報は満載。
マニアは歴史上のどの人物から影響を受けたかまで分かります。
茶の湯では鑑賞だけでなくご自身で『書く』場もあります。
許状申請の折には熨斗袋(のしぶくろ)に表書きや記名をしなければなりません。
七事式の『香付き花月』や『唱和之式』では人前で和歌をしたため、詠み上げたりもします。
教室を開けば生徒さんの御名をお月謝袋に書かないといけませんし、茶事を催せば巻紙の招待状、茶会記、献立表を用意しないといけないかもしれません。
『書は心画(しんが)なり』
という諺が充分すぎるほど通用するのは、特定の方にお送りするから。
特定の方に対する『書』
〇〇さん、□□さん、△△さん…
ここに茶の湯における『書』と
『書道』との違いがあります。
この違いがまた面白い。
茶の湯での『書』は黒子の扱いです。
あくまでも主役は茶の湯であります。
『書』だけが突出して前に出てはいけないのです。
例えば招待状の巻紙では、
『是非ともあなた様にお越しいただきたいのです』
という歓迎の気持ちが主役です。
茶会記ではお道具の揃え方とテーマが主役。
献立表ではお料理が主役。
書はお料理を思い出していただくための脇役です。
茶の湯あっての『書』
皆さまあっての『己』
ゆえに競い合いからは最も遠いところにあります。
対して『書道』で大切なのは『自我』
書家の方々は自分という軸を中心に据えておられます。
過去の偉人の書から多くを学んで研究し、
目を閉じても自然と筆で人物ごとに書き分けられるまでに訓練されています。
その上での自分らしさの表現。
いま現在の自分と、過去世の人々との対話という哲学が芸術性の中央にあるようです。
平安の三筆の『空海』
真言宗の開祖で、高野山を開いた人物です。
同年代に『最澄』がいます。
天台宗の開祖で、比叡山を開きました。
両者ともに遣唐使として大陸から多くを学び、両者ともに中国の書聖『王羲之』に影響を受けた筆の達人です。
ではなぜ空海だけが平安の三筆に選ばれたのか?
研究者の方によると、
『空運の方が独創性を強く開示していたことが評価に繋がったようだ』
とのこと。
『どちらが上とか下とかではない』
と言われてはいますが、三筆に選ばれるか否かで後世への余波は計り知れません。
このエピソードからも書道では『己』が大事なのだなぁと思うのでした。
私にとって『書』はこれからの人生を共に歩む大切な友人です。
自己表現したいというよりは、野に咲く花のような字を書きたいと思っています。
私が主に学んでいるのが『筆ペン』です。
着物は汚れないし、墨を擦ったり筆を洗ったりするも必要なし。
茶道講師はお道具の準備や後片付けなどの雑事に追われがちなので、筆ペンでササっと書ける技を身につけておくと本当に役に立ちます。
ところが、小さな字を筆ペンで美しく書くのは見た目以上に難しいのであります。
筆ペンは安価で簡易ながらも一筋縄ではいかないジャジャ馬なので驚きました。
ナイロン毛のため、紙への反発が大きいのです。
リカちゃん人形の髪の毛を想像していただけると近いと思います。
曲がりたいところで曲がれない。
かと思えば突然にピンと跳ね上がる。
『ああ、もう!』
と冷や冷やするけれども慣れてくればやっぱり便利。
よし庵では
『美しい字を書くレッスン(筆ペン)』
を行っています。
やみくもに練習しても字は綺麗にはなりません。
小さな空間ながら美しく見せるためのテクニックが多数存在しています。
ポイントを押さえて一歩一歩少しずつ綺麗な字を書けるようになりましょう。
テキストは
・お名前と住所
・許状の表書き
・茶会記
・献立表
・巻紙の招待状
など茶の湯に関するものになります。
詳しくはホームページをご覧くださいませ。